「とてもパニックな約束」・Ⅰ

最近突然聞いたこともないような言葉が一夜にしてクローズアップされ、一体何のことかさっぱり分からない事が多くなってきたが、今夜は「TPP 」と言うものに付いて少し考えてみようか・・・。

TPPの正式名称は長くて分かりにくく、しかもこれが日本語に約すると更に訳が分からない。

「Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement 」、日本語に直すと「環太平洋戦略的経済連携協定」、これを省略して一般的にTPPと表記するが、日本語の文字列を見ても分かるように、その文脈の中に「戦略的」と「連携」と言う2つの相反する言葉が並ぶことから、この会議の本質は「喧嘩しながら仲良くしましょう」若しくは、「仲良く喧嘩しましょう」と言う、まるで禅問答のような趣旨に基づいていることが分かる。

最も最近こうした日本語は多く、日本政府と中国政府が盛んに口にする「戦略的互恵関係」なども、考えてみれば何の意味か良く分からない言葉であり、こうした言葉から私などが連想するものは「極度に保護主義化したブロック経済バトル」かも知れなず、どこかでこうした言語に対する嫌悪感も感じずにはいられない。

そしてTPPだが、これは「とてもパニックな(約束)・promise・プロミス」と憶えておくと一番分かり易いのではないかと思う。

TPPは最近になって良く耳にする言葉だが、この理念となるものの歴史は意外に深く、そして広く、長年に渡って国際社会が大義名分としながらも、未だに本来持つ相反性の整合性が付かず、実現できない課題を包括している問題の一つとも言える。

言わば大変混乱した約束、目標と言うことができるが、この概念の始まりはMFN(most favored nation clause)「最恵国待遇」と言う制度にあり、元々は17世紀ヨーロッパの通商政策に関わる制度がそのモデルとなっている。

これはつまり通商上の交渉によって当事国間で決まった関税や投資などの条件の内、有利な待遇となるものに関しては、第三国に対しても与えようと言うものだが、MFNにはもともと2つの種類が存在し、「無条件MFN」と「条件付MFN」があり、「条件付MFN」に付いては、例えば2国間交渉で有利な条件を得るために譲歩した部分が存在した場合は、その譲歩した部分と同等の譲歩を条件に、加盟国全体にその有利な条件が付与されるとしたものだ。

だが実際には条件付MFNは各国の事情の違いから、同等の譲歩と言うものの客観性そのものが難しく、従ってこうした広い概念は、事実上は2国間交渉の積み上げとして同盟内部が目標とすべきものでは有っても、規則どおり実現することは困難だった。

1860年に締結されたイギリスとフランスの通商条約に措けるMFNは、その後全ての通商条約のモデルとなったが、こうしたMFN「最恵国待遇」の概念は本質的に現在の国際法や国際連合、また欧州共同体「EU」の概念の中に色濃く残されており、従って現在国際社会が持つ理想と現実の乖離は、このようなところから始まってきているものと言う事ができる。

それゆえ例を上げるなら、EUは現在でも条件付MFNであり、あらゆる数値目標を実現した国家のみが加盟を許されるとした反面、経済など永続的に安定したものではないものを条件とした時から、加盟時に条件がクリアされていても、その後経済危機から基準を下回った国家が存在しても加盟が許され、片方はそうした経済危機状態からすればかなり優秀な国家であっても加盟が認められないなどの矛盾を生み、さらにはEU全体が同じ経済政策を取った場合、その政策は事実上共同体内部でも衝突が起こる。

また大変広範囲な共同体はその意思決定に措いても大変な時間を要し、更には各国間での調整が困難となって物事はなかなか決まらず、結果として経済的な不振国は同じ同盟内部の、優良な経済状態である国家の足を引っ張ることになっていく不公平性を生み出してしまう。

ゆえにこうした「最恵国待遇」などの概念は、本来狭い地域の少数国家間では有益な制度ではあっても、これがグローバル化し広範囲化したときは意味を失うのであり、また何か決まったとしても、それは意味のないものでしかないことは、始めから分かり切っていることなのである。

「仲良くしましょう」と言う目標はあっても、人間が誰とでも良好な関係を築けないことをしても、またもっと分かり易く言うなら、例えば友人同士で「俺とお前の仲だ、これからは2人の間で一切の隠し事はせずにいような」と言う約束をしたとして、その約束を町内会全体に拡大したら、そこで何の意味を成すか、またそれが実現可能なことかどうかを考えれば明白な結果が見えるだろう。

実はTPPはこうした議論をしているのであり、これは「とてもパニックなプロミス」なのである。

そして「WTO」「世界貿易機関」の前身である「GATT」(関税と貿易に関する一般協定)設立の基本理念は「無条件MFN」、つまりは2国間交渉の当事国に与えられた最恵国待遇を、無条件で第三国にも与えることを採択し、こうした基本理念から世界貿易の発展をはかろうとしたが、この最恵国待遇や「GATT」の本質は「関税」に関する通商交渉と言う意味合いが強かった。

またこうした「GATT」の高邁な理想は、その発足直後から2国間で協定した関税の条件が、全く何の苦労もなく「GATT」に加盟する他の第三国にも適応される、つまりは友人同士で決めた約束が、町内会の全てに適応されると言うような矛盾を発生させ、この解決策として「GATT」は言わば「ただ乗り」状態の国が増えないように、各国の協議を細分化し、できるだけ小規模単位での合意を目指し、これにより適応範囲が広がり「ただ乗り」する国が増えることを抑えようした。

しかしこうした方式では各ブロック間の整合性、調整が付かず、グローバル化は逆に遠のく結果となり、第6回のケネディ・ラウンドからは、世界各国が一同に会して協議し、統一した目標を立て、それに向かって協議して行こうとする方向へと方針が変更されたが、そのためには「GATT」の権威を高める必要性が生じてくる。

もともと世界的には第二次世界大戦終結時、「IMF」(世界銀行)と「ITO」(世界貿易機関)の二つの機関を設置する構想があったが、1948年当時設立された「GATT」は、「ITO」の準備段階のものでしかなく、従って「GATT]は協定でしかなかった。

このことから世界貿易機関「ITO」の設立も検討されたが、これはアメリカ議会の反対に遭って実現しなかった経緯があり、そこでこうした協議の世界的な統一感を得るためには、どうしても「ITO」と同等な権威を持つ機関の設置が必要となって行ったのであり、そこで設立されたのが「WTO」( World Trade Organization)新しい「世界貿易機関」である。

「とてもパニックな約束」・Ⅱに続く

※ 本文は2010年10月20日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。