「とてもパニックな約束」・Ⅱ

1994年4月、モロッコのマラケシュで締結された第8回「GATT」の会議では「GATT」を機構として昇格させる、つまり「WTO」はこここで誕生した訳だが、この中では「WTO」の設立と共に、それまで世界各国でなかなか関税の調節が取れなかった、農業分野と繊維分野についても新たに関税の値下げが提案された。

だがこうした農業分野と言う、各国にとっては安全保障上にも重大な影響を持つ案件は、簡単に協定が成立することは不可能であり、ここでは先に目覚しい発展を見せる電気通信、金融、運輸などの各国統一政策を規定した、「サービス貿易に関する一般協定」「GATS」(General Agreement on Trade in Services )の方が先に効力を発揮することになるが、ここで求められたものは「最恵国待遇」の義務とそれに関わる「透明性」である。

なかなか趣き深いことではあるが、その発足の当初は「無条件MFN」を国際社会に求めた思想の成れの果てが、そこに同じ「最恵国待遇」を義務とし、また透明性と言う余りにも漠然とした実現不可能な条件を付帯して、その流れである「WTO」の基礎的な下部組織である「GATS」にこれが受け継がれたのであり、ここで世界貿易は自由を求めるためにより深い不自由を招く、今日の世界的な民主主義の思想傾向と同じ矛盾を抱えていった。

またこうした経緯から「WTO」に昇格しても一向に埒の明かない農業交渉は、基本的に世界的な自由貿易を目指そうとする国際経済の前に立ち塞がり、このような現実を前に各国は、その交渉国数規模を少しずつ落としながら、より狭い範囲での交渉妥結を目指す、「GATT」の初期段階と同じ方向へと向かって行き、日本で言えば世界的規模が「WTO」で有るなら、それよりワンランク下の交渉が「APEC」(アジア太平洋経済協力会議)であり、ここでは世界人口の41・4%、GDP(国内総生産)の合計は57・8%、世界貿易の47%に相当する国々が参加しているが、この会議は「非公式フォーラム」であって何の拘束力も持っていない。

いわゆる自由参加の「お茶会」でしかないが、こうした会議の性格は国際的に経済が停滞すると各国が自国のみを守ろうとする、保護主義的な傾向になることを抑止し、ブロック経済対立とならないようにと言う意図が有るが、その背景には第二次世界大戦では、経済的に追い込まれた国家が世界的な保護主義とブロック経済によって更に追い込まれ、それが引き金になって戦争が勃発したことを潜在的に警戒する欧米の意図があるためである。

それゆえ「APEC」で決議されることは毎回決まっているのであり、それは「自由貿易」の推進と、「世界経済の発展」の2つだ。

そしてこうしたいくつもの事情が違う、しかも経済大国を含んだ集まりでは、そうした大国の目をかすめて、いかにして自国が発展すれば良いかと考える諸国からすれば、全く効力のない集まりでもあることから、シンガポール、チリ、ニュージーランド、ブルネイの4カ国で設立した経済協力機構がTPP、「環太平洋連携協定」である。

従って「TPP」は「WTO」の中の「APEC」、「APEC」の中の「TPP」と言う位置づけになるが、「TPP]の凄さはその内容にある。

「連携国による関税の完全撤廃」を主眼するこの協定は欧州連合「EU」にも匹敵するものだが、こうした場合事実上この4カ国にあっては国家は存在しても、経済的な国境がなくなることを意味していて、勿論これによって工業などの輸出は促進されるが、逆に農産物などは国内の農業が他の協定国の安い農産物によって駆逐される恐れも発生してくる、言わば経済発展を第一に考えた「覚悟」が必要な政策協定でもある。

またその国家規模や、経済規模に措いても突出した国家がないことにより、協定内の公平性を保った発展が望まれるが、この動きにはペルー、マレーシア、オーストラリア、ベトナムなどが新たに参加を希望していて、この辺まではおおよそ妥当な感じがするが、これにアメリカが参加し、日本が参加するとなると少し話は違ってくる。

これは明確な「TPP」協定の有名無実化である。

冒頭でも述べたようにこうした「最恵国待遇」と言うものはその規模が少数の国家同士の方が協定しやすく、またそれによって経済大国に対抗できるメリットが生じるのであり、そこに大国が参加し、また加盟国が増加すると、そもそも始めに目指した目的が達せられないばかりか、そこではまた何も決まらない状態が発生してくる。

戦略とは経済大国に向けられた言葉であり、提携とは経済規模の小さな国家同士のこと以外に有り得ず、そこへ経済大国が加盟した時点でこうした協定は意味を失う。

その上で日本が現状で同国内の農業政策を引っ張りながら「TPP」に参加するなら、間違いなくほかの諸国の足を引っ張るだろうし、日本国内の農業は壊滅するだろう。

更にアメリカの意図は経済がブロック化してくることに対する防衛策として、「TPP」の参加を考えているのであり、この根底にはこうした小さなブロック経済地域が増加すると、そうしたブロックごとの対立が発生し、そこで国際紛争が発生してくることの危機感があるからだ。

中国と言う大国の台頭で国際情勢は予断を許さないものとなって来ている上に、これ以上の紛争の勃発はアメリカと言えども手が出せない状態ともなりかねない、そんな恐れからアメリカは自国の参加により「TPP」を有名無実化しようと言う方向が何となく垣間見えるし、また人気急落のオバマ大統領にとっては、少しばかりの点数稼ぎの側面も有るのかも知れない。

「WTO」ドーハ・ラウンド以降アメリカとヨーロッパ、それに日本は農業問題で対立、更には後進国と先進国間では鉱工業生産品に関する対立と、何れも関税に関しての対立が続いている現状、そして戦後一貫して続けられた農業政策によって、世界で最も脆弱となった農業を抱え、輸出産業で国内経済の生計を立てている日本は、ここに来て自国の輸出では自由貿易が不可欠な反面、米に関しては保護主義しか道のない状態、つまりはその発足から「WTO」が抱えている問題を、そっくりそのまま抱え込んだ状態に陥っているのである。

アジアの仲間外れになりたくない、農業問題の解決が付かず、その初期段階から「TPP」への参加が危ぶまれていた日本は、ぐずぐずした奴は置いて行くぞと言うアメリカの態度に恐れをなし、手の平を返したように「菅直人内閣」に措いて「TPP」参加を表明したが、この内閣には何のビジョンもなく、遠からぬ将来、日本の「TPP」参加は事実上の見送りを余儀なくされるだろう。

残念だが国際社会も、アジア諸国もこうした面では同じ見かたをしているように私は思う。

友人同士の約束を町内会の全員に適応することは無理だ・・・。

しかし世界は何故か政治でも経済でも、そして法でも軍事力でも、やはり同じ考え方を持ってきた。

それゆえ現代国際社会は理想と現実の狭間で喘ぐこととなっている。

何故このことに気が付かないのか、私はそのことが不思議でならない・・・。

 

※ 本文は2010年10月20日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 「とてもパニックな約束」I・II

    本邦の近年の外交官は、主目的を善隣友好に置いているとしか見えないが、大誤解で、それは単に国益の確保~伸長の手段である。

    動物が、自己に有利に、決して損をしない様に、利己主義に徹しているから、無駄な闘争を避け、結果としては、比較的平穏な、同種~異種間での関係が保たれている。

    見知らぬ土地で、笑顔で近づいてくる人は、本邦では、そのまんまで善人であることが多いかも知れないが、諸外国では、財物をその者に有利に~力尽くで奪うためであることが多いので注意。

    「嘘だらけの日中近現代史」で倉山満が言っているが、歴史学者や外交官が国際社会で振る舞うべき二つの鉄則が有ります:-
    1.疑わしきは自国の有利に
    2.本当に悪いことをしたのなら自己正当化せよ

    本邦の四周の国々、露~支~朝鮮~アメリカを見れば、実感できると思う(笑い)~~♪

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      TPP、EU、本質的には国連憲章も同じですが、友達同士の関係で、初めは不文律で決まっているような事を、文書化して町内会全ての人に適応させてしまおうと言うのは、やはりどう考えても無理だと思うのですが、これをイデオロギーや、原則で乗り切ってしまおうと言うのが、恐ろしいところでも有ります。

      ただ今年に入ってからのウィルス騒動で、TPPも吹っ飛んでしまいましたね。
      その意味ではウィルスはあらゆる懸案を吹っ飛ばす効果が有ったようですが、なぜかウィルス感染源だった中国が先に回復し、覇を見せているのは納得いかない所かも知れません。
      これから国際社会は中国を巡って昔の東西冷戦構造に近くなって行きそうですが、やはり適度な緊張関係と言うのは、国際政治、国際関係に取って必要な事だったのかも知れないですね。

      コメント、有り難うございました。

  2. 「水が流れる」

    詐欺師は、「ワタシの目を見て下さい」・・これが嘘を吐く目ですか、とか言うが、前提に結果が組み込まれた論理を振りかざす現代の流行の思想家~評論家と詐欺師は洞穴。

    危ないクマやイヌと目が合った時は、そらさないで、少しずつ距離を離して、或る意味双方が逃げ切れる距離を作るようにして逃れる。

    真猿類は、目が合うと言う事は、威嚇であるから、少なくとも、先方が恐怖に堪えずに攻撃行動に移らない様に、ゆっくり目をそらし、且つ攻撃の引き金に成るので、歯を見せることなく、距離を取った方が良い。

    類人縁の場合は、目が合う、と言う事は、双方の心理を探る状態であるし、どちらかと言うと、攻撃的準備行動とは逆で、親愛の情の交換であることが多いので、見つめ合うのは問題が無い。

    ヒトの場合は、文化によって、その親密度も関係するし、時代と共に変化しているようだが、見つめ合うのは、それぞれの環境で意味が違ってくるので、恋人なら通常問題ないが、街中で、ヤンキーは真猿類に近いと思われるので、危ないので、近寄らないことが第一だが、不用意に目を合わせることが無い様に、注意したい~~♪

    蛇足ながら、トラは、概ね背後から獲物の頸部を噛んで致命傷を与えることが多いので、そう言う場面に成らない様に、ヒトの場合は、後頭部に面を被って、背中から見ても顔がある様に偽装すれば、攻撃される可能性は明らかに減るらしい。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      漢字の大系、それをどう解釈すれば良いかと言う話でしたが、古い時代では本当に妥協のない厳しい側面が感じられ、今とは全く違った厳しい生活環境が感じられます。
      何とも言葉では言い表せないものが、漢字から感じられる場合もある訳です。
      実に奥が深いと思います。

      コメント、有り難うございました。

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