「国防の現実」・Ⅱ

1960年の日米安全保障条約改定時、当時の内閣総理大臣「岸信介」と、「ハーター」アメリカ国務長官との間で交わされた公文書には、陸軍1個師団以上のアメリカ兵の配備変更、中長距離ミサイルの持ち込み、日本から行われる戦闘作戦行動の場合は、日本とアメリカの事前協議が行われる事をアメリカは了解したとなっているが、これまでに同事案でアメリカから事前協議があったことは一度もなく、従ってアメリカ軍の装備、兵員数、作戦展開などは一切日本が把握できない状態となっている。

その上で、アメリカ軍内部には機密漏洩の恐れから、日本への事前通知が制限されていて、この場合は日本が有事の際ほど、日本にアメリカ軍の作戦要綱などは通知されない仕組みになっている。

特に民主党政権になってから、この政府に対する危機管理能力の有無にはアメリカが強い警戒感を示していて、万一作戦が日本側に漏れた場合、早速それが国民にまで報告され、マスコミがミサイル迎撃システムの配備地域まで公開してしまうようでは、作戦に支障が出るからである。

従って今回、2010年11月23日に起こった北朝鮮による韓国領に対する攻撃事件にしても、事前に佐世保ではアメリカ軍が動いていて、実際に警戒をしていたが、自衛隊は何もできなかった。

その原因は2つある。

一つは日本の防衛省にある「情報本部」の規模の小ささであり、1997年から戦略情報本部が防衛省の前身である防衛庁に設置されたが、その人数は1600人、内、実際に情報収集活動をしている者は1300人だが、この情報収集活動が全国6ヶ所で電波を観測しているに過ぎず、また別の80人は情報収集衛星の画像解析に要員として派遣されているが、未だにその活動はアメリカの商業衛星「イノコス」などの画像解析に留まっている。

つまりは情報の部分でもアメリカの統制下にある情報しか、日本は手にすることができない状況なのであり、これに2つ目の原因である伝統的な日本政府の危機管理能力の欠如が重なっている。

菅総理が韓国に対する北朝鮮の攻撃事実を「報道で知りました」と言う言葉は、日本の国防の実情を如実に物語っていると言えるだろう。

これは2006年の内閣府による調査だが、「日本が戦争に巻き込まれる危険性があると思いますか」と言う世論調査をした結果、回答者の45%が「その危険性ありと回答し、「危険がないとは言えない」とする回答も32・6%あった。

実に全回答者の78%が日本には戦争の危機があると答えたのであり、「戦争の心配はない」と答えた人は16・5%、「分からない」とした人は5・9%だった。

ちなみにこの調査は、2006年7月に頻発した北朝鮮のミサイル連続発射事件以前の調査結果であり、同じように2003年1月、つまりはイラク戦争勃発以前の同じ調査でも、戦争の危険があると答えた人は43・2%、その可能性がないとは言えないと答えた人は38・8%で、その合計は80%、戦争の恐れはないとした人は11・1%しかいなかった。

またベトナム戦争時の1969年には、日本が戦争に巻き込まれる危険性ありと回答した人が25・1%、その可能性は否定できないとした人は26・9%で、その恐れはないとした人が23・1%、1981年、強硬なレーガン政権が発足した時期だが、この時の調査でも「戦争の危険がある」とした人が28%、「その可能性は否定できない」とする人が32・2%、「危険はない」とする人が21・3%になっている。

そしてソビエトが崩壊し、東西冷戦が終結する直前の1988年の同じ調査、ここでは戦争の危険がありと答えた人は21・5%、その可能性は否定できないが32・1%、戦争の恐れはないとする人は31・3%だった。

つまり日本人が戦争に巻き込まれるのではないかと言う危機感は、ソビエトとアメリカが一発触発状態だった東西冷戦時代より、現代に近くなるほど増加しているのであり、

その要因の第一は「北朝鮮」の軍事力の膨張と、その不安定化、そして中国に対する相対的なアメリカの影響力の低下が上げられるだろうが、最後に決定的な原因は日本政府の危機管理能力の欠如、いや現在に至っては政権担当責任者の「不在」状態と言うべきか、このことが日本国民の不安を現実以上にかき立てているのではないだろうか。

日本の政府、国会議員は既に日本と言う国家の統治能力を失って久しく、これはまさに幕府崩壊の江戸末期の様相ではないか、どこかで民衆の「ええじゃないか」と言う声が聞こえてくる気がする・・・。

眼前に広がる事実は、既に北朝鮮が日本を攻撃する確率を否定できなくなって来ている事を、示しているように見える・・・。

※ 本文は2010年11月24日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 「国防の現実」I・II

     どこの軍隊でも、初歩的教典に「敵機攻撃に対する最も効果的な防御は、敵の航空基地への先制攻撃」と書いて有る。

    見かけ上の装備~練度~数量とも世界一流の自衛隊であるが・・・

    憲法の9条宗教経典化、消耗品(爆弾)の備蓄量の不足、消耗兵員の補充方法・・移動における道交法(笑い)など、現下ではとてもまともに戦えない。

    文民統制と言う事になっているが、構成員も明ではないようだし。
    国家の安全より、説明責任と手続きの方が重要な野党によって、作戦展開の前に、全部敵側にも併せて開示されそうだし・・敵の初弾が、致命的な所に着弾してからじゃないと、当方は発射出来そうも無いし。

    それは可なりのお宅に在る、使い方も分からない。消火器のような物。

    とは言うものの、戦争は突然始まる事もあるが、現代では、そう言う事はアメリカ軍の先制攻撃以外は(笑い)、中共~ロシアあたりが一番危ないが、暫く時間が有るだろうから、決定~戦争指導~補給体制などを整えるまでに、或る程度時間があるかも知れない。

    軍隊が独立した意志をもってそれを実行すれば、いかなる制度もそれを制することは出来ないだろうから、統帥権とか制度とか幾ら決めても、或る思想に染まれば、何人もこれを止めることが出来ないだろうから、平時から、戦争は起こりうるものだと現実を認識して国家~国防~国民の理解承認などして慣れておくべきだろう。

    一度も恋愛をしたことが無いおバカの青年が、初めて女性と話をして、色良い返事が無いからと言って、いきなり待ち伏せして、ずっと前から買ってポケットに忍ばせて居たナイフで、何回も刺して、捕まったら、衝動的に遣ってしまいました、と言って、一生涯刑務所見たいな事が起きない様に~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます

      自衛隊の現実は「戦争」を根底にしてはいない事から、極めて事務的、優雅な事になっていますが、その割には国会議員や一部ナショナリズム信奉者が持つ異様な自信はどこから来るものなのか・・・。
      現在圧倒的軍事規模を誇る中国の台頭に対処する方法は3つ、外交、武力、合従(共闘)ですが、この他に対抗しない、つまり服従の選択も有る。
      丁度三国志で曹操軍が台頭してきて、劉備軍も呉国も危なくなった状態なのですが、日本が採れる方策は合従策と外交の併用が最も妥当と言う事になり、ここでは集団的自衛の覚悟が無いと対抗はできない。
      そして戦争の目的は勝利で有り、これに拠って自国を有利に持ち込むことが大切になってきます。
      この辺の流れを理解しないと、日本国内ですったもんだ手続きを巡って議論しているのでは意味が無いし、現実に措いて行かれる。
      そしてこれは政府の責任でも有るが、無関心な国民と、そこにある自分さへ良ければと言う浅ましい国民感情が招いている事でも有る、そこも理解しておかねばならないと思います。

      コメント、有り難うございました。

  2. 「民衆と無言の天皇」

    旧憲法でも、日本国憲法でも、天皇は、常に、憲法内に留まっていたように見える。

    一方、民主主義は、古い言葉であるが、当時も今も、世界のどこでも、実施されているとは思えない(笑い)、国の数の何倍もの民主主義の定義が有る。

    少なくとも、アメリカが民主主義国であるとは思えない。一つだけ例上げれば、ブッシュ倅大統領の時、イラクに大量破壊兵器が有るとの疑惑だけで、一方的に攻撃して、国を崩壊させ、大統領を殺害し、最後に「大量破壊兵器の存在は確認できなかった」と述べた(笑い)

    そういう意味では、神のような天皇が物言わず、日本にいると言う、「恩恵」に感謝すべきだろう。

    戦国の雄の武田信玄は、評定で発言することは殆ど無く、家臣団に自由に意見を言わせて、最も妥当な結論を導き出して、それを又諮り、国の決定行動としたらしい。

    その暫く前の平安時代は、或る時代から「陣定(じんのさだめ)」のと呼んでいたようだが、公卿会議で外交・財政・叙位・受領任命・改元など、重要な政務を審議していた。通常その最上位の者が、決定した、多数決にもよらないし、又参考にする必要も無かったが、朝議として頻繁に開かれた。大臣以上が居ないときは、大納言は決済が出来たが、中納言以下は出来なかった。
    今よりよっぽど、或る意味合議制の決定機構として機能していたし、民主主義的でもあった様にも見える~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます

      「民衆の声と無言の天皇」はとても難しい概念でして、おそらく言葉や文書では全てを現すことはできないと思います。
      むしろ「感じる」事の方が多くを理解できるだろうと思います。
      文書と言うものは悲しいもので、本をどれだけ読んで多くを知っても、その現実の前には文書はこれを再現できない。
      ましてやネットニュースや報道、或いは掘り下げた特集でも、現実から来るあらゆる事象や感情の一部も表現する事は出来ない。
      その知識はとても軽く、考える事も軽くなる。
      現実に行動をしていないと、理解はできないものと言え、その意味ではこうしたネット社会はとても危険な社会を発生させる側面を持ちます。
      天皇は黙っている事で国民の意思を代表し、政府の意思を代表する。
      天皇は沈黙に拠って意思を表し、また行動を抑制する効果を持っています。
      この事は戦前も戦後も変わりませんが、一方で民主主義は原始的基礎思想でも有りますから、この概念に特別の決まりはない。
      つまり民衆に拠って動いていくなら独裁も、自己統制、暗黒政治も民主主義になります。
      民主主義はとても危うい思想で有ると、チャーチルも言っていますが、同時に今の世界でこれ以上の仕組みもまた見当たらないとも言っていましたね・・・。

      コメント、有り難うございました。

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