「パンドラの箱」・Ⅰ

創造と言うものは常に破壊を伴う、いやそもそも破壊と創造は同じものだ。

そして人々は破壊を恐れるが、それは破壊される側にあるからであり、破壊する側にとっては破壊こそが創造となり、この破壊を起こすエネルギーは「狂気」の中にある。
従って大きな「狂気」こそが大きな破壊を産み、そして世界を一変する力を持っているが、ここに正義や平和、秩序などの存在は必要がなく、意味を持たない。

破壊に必要なものは「狂気」とそれを維持する「情念」、この2つが破壊にとっての正義であり、平和であり、秩序だ。

あらゆる人間の概念と言うものは常に創造されそれが安定し、そして破壊させることを繰り返してきたが、人間の理想とする社会が「安定」に有るなら、その安定と言う名の下に、あらゆる小さな個人的な正義が犠牲にされる社会は、やがてそこから最も先鋭的な批判を生む、これをして破壊と言うのであり、また創造と言うのである。

創造は多くの人に理解されない。
なぜなら人々は「安定」を求めているからであり、その安定の為に少しずつ自分の魂を誰かに売り渡していることを覆い隠そうとしているからだ。

それゆえ破壊が起こった時、それは人々が自分を否定されるように考えるのであり、ここで現存する社会を守ろうとする人間の方が、それを壊そうとする人間より遥かに数が多く、また少なくとも多少の不都合は有っても、安定しているものを破壊しようする者は理解されない。

「ジュリアン・ポール・アサンジ」(Julian Paul assange)、歴史はどうやらマスメディア、「情報」と言うものに付いて、一人の男と言う石を湖に投げたようだ。
第二次世界大戦以降、少しずつ変質を続けてきた世界の情報は本格的なインターネット社会を向かえ、情報の画一化を起こし、全ての情報はあらゆる操作、統制を受けて大衆の知るところとなる風潮を生んだ。

多くの報道機関はインターネット社会に押され、そこで広告収入が減少し、またテレビは視聴率が低下し、新聞は発行部数が減少していく中で、経費節減から人員整理を始めた結果、取材するより発表するものを取材する方が効率的だという形を生み、ここに本来ジャーナリズムが持つ国民の知る権利を放棄した有り様、すなわち発表する機関のスポークスマンにその身を落とした報道が頭をもたげ、「真実」を追究すると言う本来の職務は完全に省みられなくなった。

その結果、あらゆる報道機関の取材記事は全部同じとなり、ここで漠然とその情報の質が低下したことを感じた大衆は、更に既存報道機関から離反し、それがまた報道機関の経営を圧迫すると言う悪循環を生み、こうした悪循環の中で報道の質は益々劣化して行ったが、この極みがアメリカ合衆国のブッシュ政権時の報道だった。

ブッシュ大統領は脅しや不正操作をしてまでもイラク戦争を遂行したが、ここで一度世界中を裏切った報道機関は、それ以後毒を食らわば皿までになってしまい、完全に大衆に背中を向けた状態で政府や公機関にしがみついてきたのであり、それしか経営を存続させる道のない状態に追い込まれていた。

そして世界を駆け巡る情報は軽薄な言葉に彩られ、表面的な正義や美しさ、また感動を伝えるだけになり、そこに真実など無くても関係ない、ただそれらしいだけの報道となって行ったのである。

「パンドラの箱」・Ⅱに続く

※ 本文は2010年12月11日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。