「袋詰め商品」

デパートに取って年末商戦は結構重要なものだが、それ以上に大変なのは「年明け商戦」であり、そこで売り出す「福袋」は安定した稼ぎが見込める優良企画だが、この「福袋」の始まりは、元々「在庫処分」の意味合いがあって、そのために本来は年末に売れ残った商品を詰め合わせて、正月にご祝儀方々安く販売する仕組みだった。

だがバブル経済崩壊以降販売不振に悩む日本のデパートでは、こうした「福袋」の売り上げが馬鹿にできない状態となり、そこで本来の意味とはかけ離れるが、商品販売企画としての「福袋」が発生してくるのであり、ここでは消費者の動向としても、景気が悪くなるとどうしても流行してくる「賭け」の部分の出現から、相乗効果的に「福袋」が発展していく。

実は経済と言うものは、安定して動いているときには、より現実的な方向へと向かうが、景気が悪くなると先が見えなくなり、そこでは「神頼み的売り上げ」、「運」に頼る傾向、若しくは「根性」などと言った抽象的、射幸心的計画が多くなっていくのであり、その傾向は一般庶民が最も影響を受け易い。

そのために景気が悪くなると、神社のお賽銭は増加し、宝くじは売り上げを伸ばすが、そうしたものの延長線上に「福袋」がある。

従ってこうした「福袋」などの商品は、どこかでリスクを含めて楽しめる程度のものが望ましいが、デフレーションが加速してくる日本経済の中で、存亡の危機に立たされているデパート各社は、国民のこうした「射幸心」をくすぐる形での、「福袋」商戦に力を入れざるを得ない状況に追い込まれている。

すなわち本来であれば損をしても良いだろうと言う余裕で始まった「福袋」は、現代に至って言うなら、目を血走らせて力を入れなければならない重要販売企画となったのであり、ここに商業的な貧乏臭さ、その精神の卑しさが、既にデパートと言うものの存在が長くないことを示しているように私には見える。

また経常利益が減少し続けるデパートでは、仕入れを安く抑えるためにメーカーに圧力をかけ、更に近年では「福袋」の予約を夏から受け付けると言う、限定「福袋」が登場し、「限定」と言う何か特別のイメージをかもし出すことで、商品を販売しようとする傾向まで現れ、その上「福袋」の中身が先に宣伝されているものまで発生している現実は、ここに「福袋」が本来持つ射幸心的な概念は吹っ飛んでしまっているのであり、現代社会の「福袋」は「福袋」に非ず。
ただの「袋詰め商品」に過ぎない。

そしてお客さまへのサービスを隠れ蓑に、製造メーカーには大幅な値引きを要求し、その結果が本来は盟友でもあるべきメーカーを経営的に追い詰め、尚こうした値引きがもたらすものは更なるデフレーションであり、正月と言う時期が持つ国民の射幸心を「福袋」と言う形で煽った、ただの商品販売でしかない現実を鑑みるに、その精神性の低さと、特定の限度を超えた緩やかなモラルハザード(道徳崩壊)を感じざるを得ず、こうした福袋が各地で好評を持って迎えられる現実には、国民のどうしようもない思いと、経済的、精神的「渇き」の渦巻く様を見る思いがする。

商品には2つの種類がある。
一つは例えば保険やコンサートチケット、ホテルの宿泊料金、映画鑑賞や乗り物などに乗った時支払う代金や、食料品、外食代金、賭け事などの代金だが、これは代金の支払いと消費が同時か、代金支払い後の消費にそれほど時間のかからないものだが、こうした商品はその後の価格と言うものが無い。

だが一方で自動車や洋服、美術品や住宅などは、基本的に劣化していってもその後の価格と言うものが発生する。
従ってこうした商品の中で、代金が支払われても長く残るものと言うのは、いずれはゴミに向かって進んで価格が下がっていくリスクを持っていて、この分だけ代金決算後すぐ消費される物よりは、常に弱い商品と言える。

それゆえ我々の社会は一見、物が形を為して残っている状態に価値の重きを置く傾向にあるが、その実質で言うなら「形の無い商品」の方が遥かに高い売り上げをしている。

保険、金融、音楽、神社のお賽銭、葬儀費用、芸能、報道、情報、映像など、これらは形が無い商品だが、その形の無さ、代金決済と消費が同時に近い点で、最もリスクの少ない商品となっていて、つまりここには在庫が発生しないのである。

物が存在すると言うことは、その物が存在できる「空間」が必要になる。
しかし社会の景気が落ち込み、実質の消費が落ちてくると、そこでも企業は同じ売り上げ、同じ雇用を維持しようとして、落ち込んだ消費に連動した生産体制が急には取りにくい。
そこで価格を下げて消費を促進させ販売するが、これは結果として本来必要としないものが消費されているに等しい。

ゆえにこうした商品は企業や販売会社がその経営を維持するため、つまりは企業経営維持のために民衆が商品を引き取ったと言う意味合いを持っていて、このことからその商品はいずれ民衆各自の「空間」を占有することが難しくなってきて、持ち主を転々とさせることになり、最後はゴミになってしまうのである。

昨年買い求めた「福袋」を考えればこの原理が良く分かるのではないだろうか。
実際その「福袋」に入っていた物で、今も使っている物は何点あるだろう。
一度も使わずに、また一度も袖を通すことも無く、そのままになっていて、誰か欲しい人がいたら上げようかと思っている、若しくは箪笥の中にしっかりしまわれ、企業にお金を払って商品を引き取らせて頂き、更に保管までさせて頂いてはいないだろうか。

商品もお金も使ってこそ初めてその効力を発揮するが、こうした企業によるその経営維持のための販売促進活動と言うものはとても反社会的で、国民に不利益なものなのである。

また社会や人間の考えが変わって行くのと同時に、企業も変化していくのが正しい姿であり、ここでは早く潰れなければいけない旧来のシステムが長く残るほど、国民は不利益を被るのであり、そうしたシステムのあがきを助けない競争社会こそが、もしかしたらこれからの日本、日本国民に求められているのかも知れない。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

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