「あー苦しかった」Ⅲ

私は須加利村に住む坂上百合子と申します。

10年ほど前から脊髄の病気を患い、ギブスをつけたまま、寝た姿勢でいなければならないので動く事はできませんが、先日夢と言いましょうか、奇妙な経験をしました。

寝ていると自分が青い光になったような気分がして、それから青い光になった私は自分の部屋の窓からスーッと空中に出て行きました。

それから森を抜けて尾鷲の方に飛んで行ったのですが、始めは暗くて何も見えませんでした。

しかしやがてその暗闇の中に、若い男女が何事か話しているのが見えました。

やがて若い男の方が女に首をくくらせ、それを力いっぱい引っ張って殺してしまいました。

何か助けることはできないかとも思ったのですが、青い光の自分ではどうしようもなく、仕方ないのでその女を殺した男の後をつけて、住所とかかっていた表札の名前を覚えてきました。

何も無ければ幸いなのですが、もし何か関係することが起こりましたときは、その犯人の名前は「河瀬三千夫」(仮名・28歳)と言う男が関係しているかも知れません。ちなみにこの男の住所は・・・・ 草々。

手紙を読み終えた倉田刑事は「そんな馬鹿な・・・」と思ったが、それでも状況として余りにも近いものがあることから、早速手紙に記されていた「河瀬三千夫」を訪ねた。

河瀬は木材会社の事務員をしている男で、倉田刑事は彼が会社の独身者寮に帰ってくるのを待っていたが、やがて仕事を終えて帰ってきた河瀬は、倉田刑事の姿を見るなり突然逃げ出してしまう。

馬鹿な男だ、逃げ出さなければそれとすぐに分かることもなかろうに、河瀬は必死になって逃げようとし、それを倉田刑事が追いかける。

「奇妙なことだが、逃げ出したところを見ると、河瀬が春美さん殺しの犯人なのか・・・」

倉田刑事は何とも言えぬ思いで河瀬を追いかけ、やがて河瀬を捕らえて手錠をかけた。

「あの女が悪いんです」

「あの女は俺から金を無心しては、他の男につぎ込んでいた」

「悪いのはあの女だ!」

倉田刑事に捕えられた河瀬は、絶叫した。

そして県警へ連行された河瀬三千夫、彼は意外にあっさりと春美さん殺しを認めたが、そのいきさつはこうだ・・・。

河瀬は元々春美さんのことが好きで、それで足しげく小料理屋へも通っていたが、どう見ても「佐伯義夫」と比べれば見劣りがする貧相さがあり、それで春美さんは店の客としてしか河瀬を扱っていなかったが、そんな河瀬に春美さんは時々金を無心していた。

河瀬にとっては金を貸してくれと頼まれるほどの関係、それほど頼りにされているのかと思って、始めは快く金を貸していたが、やがてどうやらその金は春美さんが本当に好きだった、佐伯義夫との密会に使われていることが分かってきた。

事件の夜も、9時近くなって小料理屋へ顔を出した河瀬は、そこでまた体よく春美さんから金を貸してくれと頼まれる。

その少し前まで店にいた佐伯義夫は、明日から名古屋に出張することを春美さんに告げていたが、こうした出張の度に春美さんは佐伯の出張先へと出かけ、そこで2人は関係を続けていたのだが、こんなことをしていれば金がなくなるのは当然のことで、そこで春美さんは同僚の「朝井美津子」さんや、河瀬から借金をしていたのだった。

その夜も、明日から名古屋に出かける佐伯に同行しようと、春美さんはまず「朝井美津子」さんから借金をし、それでも足りなかったことから、今度は夜9時過ぎに店に来た河瀬からも借金をしようとしたが、既に佐伯義夫との関係を知っている河瀬は、自分の事が好きかどうかと春美さんに尋ね、金欲しさに「好きだ」と答える春美さんに、「そんなに好きなら一緒に心中する覚悟があるのかどうか見せてくれ、今日は給料日だからもしそうしてくれたら、給料全部貸しても良い」と言い始める。

河瀬は春美さんが憎かった、他の男の為に好きでもない自分の事を好きだと言い、そして金を騙し取ろうとしている春美さんを殺そうとこの時思い始めていた、いやもしかしたら河瀬は途中まで本当に心中するつもりだったかも知れないが、こうして2人は尾鷲海岸沿いの草むらの中に立つ雑木の下を訪れ、そこで真似だけだからと言う河瀬の言葉に従って、春美さんは腰紐で首をくくる真似をするが、急にとてつもなく悲しくなってしまった河瀬は、その腰紐を力の限り引っ張ってしまっていた。

始めはどたばたと暴れる春美さん。

だがしかし、やがて静かになった春美さんの素足の先から、失禁によって流れ出た尿のしずくがぽたぽたと地面に落ちて行った。

河瀬は腰紐の先を近くの枝に結びつけると、走るようにその草むらから海岸通りへと出て、そこから少し離れたところでタクシー会社を見つけると、タクシーを頼んで寮まで帰って行ったのだった。

これが事件の全貌である。

1960年代末に起きた悲しい男と女の事件はこうして解決したが、後に手紙をくれた「坂上百合子」さんを訪ねた倉田刑事は、彼女のおかげで事件が解決したことに対して礼を言う傍ら、更に詳しい話を聞いたが、坂上百合子さんはその日、昼間から有った高熱が夕方にはすっかり引いてきて逆に気持ち良くなり、やがては自分が薄っぺらくなるような感じがして、それから自分が青い光になって、事件の一部始終を見ることになったと証言した。

そして倉田刑事は、くだんの尾鷲海岸近くのタクシー会社へも出向いて、河瀬を乗せた運転手にも面会したが、そのタクシーの運転手は河瀬を乗せて走っている間中、後ろから青白い人魂がついてくるのを確認していて、それでタクシーの運転手も「これは何か訳有りだな」と思っていたと証言したのだった・・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。