「私、行政サービスの者です」・Ⅰ

「あれっ、もう無くなってしまったのか」

ガサガサと袋をまさぐる亭主の手は、ついに奥の奥まで指を伸ばしても、そこにポテトチップスの破片すら掴み取ることはできず、仕方なく缶ビールを傾けるが、その缶ビールも幾ら傾きを強くしても僅かに雫が1、2滴・・・。

「おい、何だどうしてこうも最近のポテトチップスやビールは量が少ないんだ」

「あんた、仕方ないわよ、こんなに景気が悪くて、それに外国から来る小麦や油はどんどん値上がりですもの、色んなものが減量に次ぐ減量なのよ」

ぶつぶつぼやく亭主から缶ビールの空き缶と、ポテトチップスの空き袋を取り上げた妻は、そう言って亭主をなだめると台所へ入って行った。

「ちぇっ、増量なのは女房の体重だけかい」

「なんか言った~・・・」

「いえ、何も申しておりませんです、はい」

そして翌日、そろそろ亭主や子供達が会社や学校へ出かけようと言う頃、この家に一人の青年が訪ねてくる。

「何か御用でしょうか・・・」

見慣れぬ青年におずおずと尋ねる妻、それに対していかにも爽やかな青年はこう答える。

「私、市民サービス課の松下と申します」

「先月国会で決まりました、一家に一人行政サービス法案によって、倉井様のご家庭のサービスを担当させて頂く事になりました」

「えっ、一家に一人行政サービス、ですか・・・」

「はい、さようです。9時から5時までですが、何でも申しつけください」

「ほー、本当に始まったんだな」

戸惑う妻の後ろから亭主が話しに割り込む。

「確か、行政サービスの充実をはかる為に、この際だから一家に一人公務員を派遣することに決まったと聞いていたが、本当だったんだな」

「流石はご亭主、良くご存知ですね。そのために消費税は今月から20%に引き上げられますが、これで国民の皆様へのサービスは格段に充実します」

「ふーん、そうか、で何をしてくれるんだ」

「何でもでございますが、一応私共も人権と言うものがございまして、これを超えてのサービスはご遠慮頂くことになっておりますが、これが詳しいパンフレットでございます」

青年はうやうやしく、亭主にパンフレットを差し出した。

「分かった、帰ったら読んどくよ」

「お仕事ご苦労様です、行ってらっしゃいませ」

青年は早速妻に代わって亭主を見送り、子供達も送り出したが、最初は戸惑っていた妻も税金を払っていることを考えるなら、ここは使わないと損だと言う感じがしてきて、台所の後片付けや洗濯、そして買い物やトイレ掃除にまで行政サービスを使うようになり、数日後には肩を揉ませたり、自分が所属しているボランティアサークルが行っている、海岸のゴミ拾いにまで山下青年を代理として送り込むようになって行った。

またこうした傾向は亭主や子供達にまでも蔓延し、色んなことを行政サービスに押し付けて行った事から、行政サービスの山下青年は9時から5時までに全ての依頼をこなすことができず、どんどん仕事が溜まって行ったが、それに対してこの倉井家の家族全員がやがて不満を言い出す。

「ちょっと、洗濯物が取り込んでないじゃない、サボってるんじゃない」

「いえ、奥様、今日は雨でして、それで洗濯物は乾かなかっただけでして・・・」

「ちょっと、私は税金払ってるのよ、それを何とかするのが、行政サービスってもんでしょ」

「山下君、昼間頼んでおいた顧客用の案内資料の作成、終わってないじゃないか」

「山下さん、卒論の資料集め、まだなの」

「あっ、済みません5時ですので、私はこれで帰ります。苦情の方は明日お伺いすると言うことで、ではこれで・・・」

さっさと引き上げる山下青年、これに対して倉井家の家族は「行政の怠慢だ」と言う事で不満が爆発していたが、この傾向はやがて全国的な動きとなり、そこで政府は行政サービスを一家に二人まで増員する法案を可決し、その代わりに消費税は40%に引き上げることにした。

そして翌月からは倉井家には男女それぞれ1名ずつ、都合2名の行政サービスがやってきたが、消費税だけでも40%と言う状況から家計がひっ迫してきた倉井家、仕方なく大学に通っていた2人の子供まで大学を辞めさせ、それで2人の子供たちは働くことになったが、その就職先は○○市の行政サービス課であり、職場は上の兄が4軒隣の「末田家」、下の妹がその2軒隣の「田和家」と決まり、親子して通勤地が近くて良かったねと大喜びだった・・・。

「私、行政サービスの者です」・Ⅱに続く

[本文は2011年1月22日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。