「混沌と言う秩序」

一般的にノイズ「noise」が発生していると、入力された信号は検出されにくくなるが、非線形系、つまり海水面などの非定形周期秩序を持つ形では、ノイズが応答を強化する場合があるが、こうした事実を「確率共鳴」(stochastic resonance)と言い、実は地球上で10万年周期ごとに繰り返される「氷河期」を解説するために、この確率共鳴のモデルが考え出された。

それゆえ周期を持って発生する氷河期は、地球の軌道運動に関係した微弱な周期的変動が、環境のゆらぎによって強化されたものと考える事ができる。

地球の軌道が毎年寸分たがわぬもので有ったとしたなら、もしかしたら氷河期は起こらないかも知れないが、地球の軌道はそこまで正確なものではなく、またそもそも如何なる正確な運動も必ず「ゆらぎ」を生じさせ、そこから「カオス」(chaos)、混沌へと向かうものであり、この混沌と秩序は相互に混沌から秩序へ、そして秩序から混沌へと向かう性質があり、ここにその程度の軽微な状態をして、周期と言うものなのかも知れない。

つまり地球の氷河期は「ゆらぎ」によって発生した一つの混沌と言え、この混沌は周期を持っていると言うことになる。

また確率共鳴は電子回路やレーザーなどでは確認されているが、人間の脳の「ニューロン」(神経細胞)についても、最近になって「確率共鳴」が重要な機能を果たしているのではないかと考えられるようになってきている。

ニューロンは一般的には「しきい値」、即ち特定の変化を発生させるべき最低限の電気信号などを指すが、この値以下しかない入力信号には全く反応しない。

しかしこの時同時にノイズを加えた場合、そのノイズによって「しきい値」を超えた信号は、入力の強弱を反映した出力信号の時系列を得る、簡単に言えばノイズに殆ど影響されずに信号の情報を得ているのであり、片方で地球に氷河期をもたらす原理と、人間の脳神経細胞が信号を受け取るシステムは実は同じものなのである。

また「カオス」(混沌)は、数学や物理学の分野で不規則な決定論的運動のことを表しているが、数学的に表される自然現象は微分方程式や差分方程式などの力学系に記述され、この場合初期状況が与えられれば、状態の変化は決定され、偶然性が入る余地はない。

しかし現実の力学系には時間発展にともなう非周期的、不規則な運動が現れ、未来が不確定となっていくことから、この事実を「カオス」と言う。

1963年、アメリカの気象学者E・N・ローレンツは、気象学に措ける長期予報の不可能性について、その原因を力学系に措ける「カオス」の影響としたが、この「カオス」には2つの側面がある。

一つは人間の持つ統計的なカオスであり、統計は一定の期間は傾向を示す事になるが、それが長期に渡るに従って「ランダム」数値になっていく、つまり統計数値があらゆる数値を包括してしまい、そこに傾向が消失するのが統計数値の極限であり、こうしたことから統計は、いつかはそこから読み取れる傾向を失っていくものなのである。

また第2には、地球の氷河期の解説と同じ原理だが、周期を繰り返す地球の気候はやがて「ゆらぎ」によって混沌へと向かいつつあり、そこではゆらぎに一定の法則が存在していることが分ったとしても、気象がどれだけの速度で、どこへ変化していくかは人間の力では予測ができない。

ローレンツはこうした意味から気象学に措ける長期予報の可能性を否定したが、それと同時に、僅か3個の自由度を持つ力学系に措いてですら「カオス」が可能となると言っている。

簡単に言えば、ヤカンに入った湯と石油ストーブ、そこに電動式の人形が動いていれば、それらが微弱に発生させる「ゆらぎ」によって、既に「カオス」が顔を出してくる、即ちこのそれぞれの物質はどこかで周期を乱し始めると言っているのだ。

そしてここに何度も登場した「ゆらぎ」と「カオス」だがその対峙したところにあるように考えられる傾向を見るなら、そこにはやはり普遍的な法則が存在していて、こうしたことを探るきっかけとなるのが「フラクタル」(自己相似性)と言う概念だ。

その語源は「フラクチュア」、いわゆる「破片」の意味だが、フランスのB・マンデルブローの命名によるこの概念の一つは、曲線と直線の中間概念を発生させた。

理想化されたフラクタル曲線に措いては、その曲線が直線に変換されたなら有限であるのに対して、曲線の細部を見ていくとそこには無限の点集合が発生し、この曲線の長さは有限であるにもかかわらず、点集合では無限が広がっている状態になっている。

それゆえ、こうした曲線の概念は一次元と二次元の中間にあると考えられている。

更にこの自己相似性の概念は、平均的な構造と言う秩序の周囲に、混沌に繋がる「ゆらぎ」があるとする従来の物質現象に対する見方に対して、あらゆる物質は混沌に向かい、そしてそこに秩序構造を作り出すと言う点を指摘していて、そこではミクロな「ゆらぎ」がやがてマクロなスケールへと発展し、そして出来上がってくるものは、特殊性が無く、殆どが同じような傾向、形態を持ってくると言うことになる。

雲の形と海岸線の形が似ているのは偶然ではない、木の枝の出かたと川の流れ方が似ているのは唯そうなっているのではなく、雪の形と蜂の巣の形が似ているのも、たまたまそうなっているのではない、全てミクロからマクロへと発展した、混沌が持つ自己相似性によるものであり、この相似性もそれが相似性へと向かいながら、今この瞬間もまたミクロの混沌が始まっているのであり、そのミクロはやがてまたマクロへと発展し、次の相似性を生もうとしている、その連続の中に人間もまた存在しているのである。

またこうした「ゆらぎ」によって、秩序から混沌「カオス」に向かう傾向には数値的な法則がある。

詳しい説明は難解になるので避けるが、「ファイゲンバウムの普遍定数」と呼ばれる数値、「4・6692016・・・」がその定数だが、あらゆるものが秩序から混沌に向かうときは、この数値を辿る事になる。

人間は秩序こそ、また普通こそが正常な状態と考えるかも知れないが、こうして物理学で自己相似性(フラクタル)を考えるなら、確率分布は「逆べき分布」、つまりは正常な状態や、平均的な状態ではなく、むしろ過激な傾向、特殊な傾向のものが多くなるのであり、いわゆる統計上の平均的な数値は、この地球や宇宙では、それこそが特殊なことなのである。

ちなみにこの「逆べき指数」が1に等しい場合をf/1ゆらぎ、またはf/1ノイズと言うが、英単語の使用頻度や電子デバイス中の雑音など、人間生活のあらゆる場面で、この「逆べき指数」が1に等しい場面が現れてくる。

一方「逆べき指数」が1ではない、一般的な「逆べき法則」の中には、地震の大きさと発生頻度に関係した「クーテンベルク・リヒター則」、またインターネットシステムにも繋がる「スケールフリー・ネットワーク論」が有るが・・・。

残念だ、時間がなくなってしまった。

続きはいつになるか分からないが、次回と言う事にさせて頂こうか・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。