「日本は結構凄い事をやってるんだぞ!」

例えば経済が下落している最中、あるいは急激に人口が減少し、高齢化している社会に措いて、災害が発生した場合の復興目標は、一般的にはその災害が発生する直前の状況をして、復興目標と考え易いが、これだと現実には完成した復興は過剰になる。

時間経過と共に経済の縮小が進んでいき、人口減少が進んでいく時の目標は、下落に向かって動いていく位相性を持っている為、目標点はこの動いている自然減滅線と、時間経過線が交差する所が復興妥当点となる。

一般的に考えられる復興イメージより、ワンランク、ツーランク下に設定しないと、大きな地震災害などの復興が終わった時、そのインフラやサービスを享受する「需要」が減衰していて、インフラやサービスが余剰する。

震災復興で街並みは綺麗なったが、そこに住む人はいない状況が発生してくる訳である。

同様の事は不測事態に措けるイベントにも該当するが、前述の現実復興点が移動していることが見えにくいのと同様、不測事態が発生した時に措けるイベントの目標達成率、これの客観性概念は極めて困難な為、不測事態下で開催されたイベントの成功率は、必ず低い方向へ歪んで考えられて行く。

2020年東京オリンピック・パラリンピックはコロナウィルスの台頭に拠って1年延期され、首都だけではなく、全国的に第4期感染増大期に向かう最中、実に国民の60%以上が開催を中止、若しくは再延期すべきと考えているところを強行した。

結果2021年8月1日には東京の1日の感染者が4000人を突破し、全国的にもこれまでの3期感染ピーク時を軽く超える、1日の感染者が10000人越えとなった。

また大会関係者内での感染者も、すでに200人以上と言う現実は、必ずしも好ましい現状とは言えない。

更に市井の飲食店関係者には、大変な統制が要請され、首都高速なども時間帯によっては通行料金が1000円上乗せされ、オリンピックと言う大きなイベント開催期間にも関わらず、国民には不要不急外出を控えるよう要請も行われている。

大きなイベントが開催され、しかも国民には外に出るな、酒は飲むな、その割にはオリンピック大会関係者はどこかで好き放題のイメージは、オリンピック開催と言う、物理的な側面でのウィルス感染増大の要因とはならずとも、その政府施策と現実の国民生活が抱える矛盾感が、国家、行政の要請と言うものを軽くしてしまったと言う意味では、オリンピックの開催が、日本国に措けるコロナウィルス感染増大の要因になった実情を免れない。

と、まあ日本だけを見るなら、このオリンピックは最低と言う事になるかも知れない。

だが、地球規模で、オリンピックの基礎的な理念で見るとどうなるか・・・。

逆に考えるなら、今の世界情勢で、今のパンデミック状態の国際社会で、オリンピックを開催できた国が日本以外に存在できただろうか・・・。

確かに日本国民の感染者数は増大しているが、オリンピック関係者内部の感染者数は低く抑制され、オリンピック開催現場は日本国内の他の地域とは、パラレルワールドの状態となっている。

また選手の感染重篤者も出さずに、どの国家選手も平等に扱われ、難民となった人たちが集まったチームで在っても、その身の安全が保障され、ジェンダー、SDGsにも配慮され、宗教思想によって差別される事もない、大会運営が為されている。

言論が統制される事もなく、どこかの国家のみが特別な扱いを受けてもいない。

このコロナウィルスパンデミックの世界の中で、これほど国連憲章が順守された健全な大会が、他のどの国家で成し得ただろうか、そこを日本国民は客観性を持ってみなければならない。

もし仮に1年延期されたオリンピックが、ウィルス感染者数の増大に拠って、再延期、若しくは中止になった場合、オリンピックはウィルスの顔色を窺って、以後は開催出来ない、出来なくても仕方ないと言う前例になる。

この事はその大会に向かって努力する選手の意欲を失わせ、開催国に決定している次期開催国家のメンタルを低下させるだろう。

このウィルスパンデミックの世界で、競技を通して国家の親善、友好を促進し、スポーツを通して平和を実現せんとする、その高邁な意志を、日本国は何とか守った運営を実践している。

オリンピックは一定規模の経済がないと開催できない。

その意味ではアメリカやヨーロッパ、中国やロシアでも何とかなるかも知れない。

しかし、ロシアや中国では間違いなく言論統制は発生し、盗聴やSNS操作は出てくるだろう。

特に中国は台湾、香港問題、少数民族問題を武力統制で解決しようとしているし、覇権主義からも国連憲章の精神は守られない。

アメリカやヨーロッパでは確かに、こうした国連憲章の精神は表面上守られるだろう。

しかし、今の日本のように国内感染者数が増大した中では、ナショナリズムが台頭してくることが避けられない。

オリンピック排斥運動、暴動、更なる感染者数の増加、選手の安全に対する担保能力の低下が起こってくるだろう。

こうしてパンデミックの中でオリンピックを開催する、理想的なマニュアルを日本は世界に提示したのであり、その意味では日本はこのウィルスパンデミック下に措いて、人類ができ得る限りの上限を為していると言える。

つまりこのオリンピックは、見せかけだけで、何事もなく凡庸に終わったオリンピックとは、比べられない程価値の有るオリンピックなのであり、政府の凡庸さが招いた混乱を、下部行政組織や国民1人々がカバーして成功させている、人類史上最も人が健闘して開催されているオリンピックなので有る。

日本国民に更に願わくば、自国選手のみを称賛するのではなく、こうした困難な状況にも関わらず、選手を参加させてくれた国家と、努力してこの場に立っている選手たちに自国選手と同じように、拍手を送ってやって欲しいと言う事である。

2020年の春、末期癌に侵された弟を励ますために、私は東京2020オリンピックの赤いTシャツを2枚買って、1枚を弟に着せた。

1年間の延長が決まった時、「良し、取り敢えずオリンピックを見るまで頑張るぞ」、そう言っていたのだが、今、私は一人で赤いTシャツを時々着ている。

日本は、見えないかも知れないが、本当は結構凄い事をやってるんだぞ!

 

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。