「弟子検定」

1945年、昭和20年まで輪島漆器商工業協同組合(以下漆器組合と表記する)では、その年の春までに年季修業を終えた弟子たちの習熟度を量る「検定」を行っていた。

一般的には「品評会」と称されたこの制度は、輪島塗の下地付けの速さと仕事の美しさを競うもので、輪島塗の基本である「丸盆」「椀」「お重」をおおよそ1時間の間にどれだけ仕上げられ、かつその精度は如何かと言う基準で組合員入札に拠る審査が行われた。

こうした制度がもたらした効果は、例えば弟子を育成する親方にしても、少なくとも丸盆と椀、それにお重くらいの仕事ができなければ、「品評会」で親方のメンツにも拘る問題となり、丸盆と椀とお重が仕上げられれば、他の仕事は大方こなせる事から、親方の指導怠慢を防ぐ効果が有った。

また弟子にしても、こうした目標に向けて努力する事が出来たが、一方では厳しい技術選別をもたらし、ここでの成績はその後の職人の一生を支配する、重要な職人としての地位決定制度でもあった。

すなわちこの検定で優秀な成績だった職人は、その後輪島の中では大きな評判となり、やがて独立しても仕事が集まり易く、工賃が上がる傾向に有り、この検定で成績の悪かった職人は大きな評価が得られない為、仕事が少なかったり工賃が易いなどの傾向が有った。

それゆえこの検定は親方、弟子共々その力量が問われる性質を持ち、かつどちらにとってもその後の評価に影響する為、親方も弟子も必死の形相で検定に挑んだのであり、この制度の事実上の目的は狭い輪島と言う塗りの世界で、その各々がどこに位置するかを決定する、ある種の棲み分け制度だったとも言えるのである。

全体が公平には生きられない。

しかしその不平等の中で生きられない者を作らない制度だったとも言え、技術の高い者だけが生き残れるのではなく、工賃を下げれば技術水準が低い者もしっかり仕事ができ、その上で努力すれば経済的に成功したり、或いは長い年月の間に高い評価を得る事も可能だった。

我々は一般的に高い技術が有れば、それで目標が達成できたかのように思ってしまうが、高い技術は一つの道のりであり、全体の中では一部にしか過ぎない。

輪島塗の検定でも、これで高い評価を得て慢心し、その後没落した職人は何人も存在し、反対に検定での評価は低くても努力して経済的に成功し、その技術レベルも神の領域に達した者も存在する。

高い技術レベルで良い仕事をし、評価を得ても、そこで得られる報酬は一件が高くても数が少なくなる。

一方で安い仕事でも数が大量に存在すれば安定した報酬が得られる事になり、このどちらが良いかの価値基準は個人に拠って異なるだろう。

昭和58年、私は花器の下に引く「水板」、長方形の小さな板だが、これを専門に塗っている職人に知己を得た時が有り、彼は年季明けした塗師屋の家柄から私を高級な仕事をする者と持ち上げ、そして自身を安い仕事しかできない職人で、自分のようにはなるなと言ったが、彼は2日で水板500枚を仕上げ、その仕事も大変綺麗な仕事だった。

一枚100円でも500枚有れば50000円である。

彼は材料費を引いても1日2万円を稼いでいた訳であり、その仕事の精度も私などが及ぶものではなかった。

若かった私は確かにその当初、この職人の事を下に見ていた。

だがその仕事を見たとき、「高い技術とは何だろう」と言う疑問が自身に生じた事を記憶している。

高価な材料を使い高価な道具で、整えられた環境で良い物が作れるのは当然だ。

しかし安い材料、それを如何に多く使わないかを考え、高級な道具も使えずに、より多くの数をこなし、その上で高級な仕上がりと遜色のない仕上げにするのは、あらゆる意味で高級なものを使える良い仕事より遥かに難しい・・・。

自分は二流職人だから、自分のようにはなるなと笑ったこの職人・・・。

私は生涯彼を心の師匠とし、そして彼が生きている間ご夫婦共々お付き合いをさせて頂いた。

「にいさん・・・」、彼も彼の奥さんも私をそう呼んで色んな事を教えてくれた。

20年ほども前、私は号泣しながら彼の遺体の上に塗師小刀を置いた・・・。

ちなみに漆器組合の弟子検定は1945年、昭和20年の太平洋戦争終結後の混乱で途絶え、今に至ってもこの制度は復活されてはいない。

おそらくこれから先も復活されない、消滅した制度となるだろう。

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 知己が心の師匠となりご夫婦でお付き合いして、最後はご遺体の上に塗師小刀を置いて最期の別れとなる、心に残る物語ですね。
    派手で表面的な付き合いは、お金があれば、若しくは世間的な肩書きがあれば、入手も出来るでしょうが、儚い物で、片方がそうじゃなくなれば、脆く崩れ去るだけでしょう。

    今教育も、産業も1人勝ちを奨励目指しているようで、累卵の危うきと言う感じですが、
    人はそれぞれ、生きる所があるでしょうから、社長ばかりじゃ社会は成立さえしない。
    籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人、捨てられた草鞋を片付ける人が居て、良いんですよね。
    今亡き、今西錦司、動物の生態学の草分けの1人でしょうが、棲み分け理論を何十年か前に読んで凄いと思いました、コンラート・ロレンツはノーベル賞を貰いましたが、90まで生きましたが、もう少し長生きすれば貰えたかも(笑い)

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      今西錦司とコンラート・ロレンツを比較すると、やはりロレンツの方が直線的で、若干薄く感じますが、これは多分多くの人が今西錦司の考え方のすべてを理解し得ないからかも知れないですね。何と言いますか、人の理解には漠然と、何となく感じる理解と言うものも必要な気がします。数学の法定式のように綺麗に結果が出るもの、結果は出ないけども何となく全体としては「そうかな・・・」と思えるもの、そう言うものが有るように思えます。今の資本主義社会は原則として公平、自由を謳っていますが、こうした事が実現した時代は一度もなく、理不尽、不平等、不自由がこの世の原則だろうと思います。そして人間はこうしたものの痛みを何とか少しでも緩和しようとしてきた。これが自由や平等を求める精神だったように思います。また実際幸福や自由などと言うものは比較論ですから、「どう見るか」と言う事であり、現実は一致していないかも知れません。生が有り死が有って生きていると言う現実を見るなら、人間は平等かも知れない。ただ捕食されるためだけに生きている生物に価値が無く、生きている意味がないかと言えば、それは違い、同情や悲しみを彼らが必要とするかは解らない・・・。人間は生物の頂点に在るから、その他の生物をこの人間の価値観で量るなら全てが哀れで悲しく見える。しかし現実は多分違うだろうと、そう私は思っています。

      コメント、有り難うございました。

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