「自分を手本としない」

少し前のことだが、ある女流ピアニストの話を聞く機会があって、多分アルゼンチンの「大家」と呼ばれるピアニストだったと思うが、彼女が面白い話をしていた。

それによると「自分の演奏を手本にしない」と言うことだった。

んー、この言葉はとてもいい・・・・。
人間と言う者は弱いもので、例えば私のように物作りをしている、また作品活動をしている者は、どうしても1度成功するとそこから出られなくなる。

偶然に良い物ができた、それが人から評価を受けた、そうすると人の評価が恐くて、やはり系統的に同じ物を作ってしまうが、人の暮らしや感性、文化とか言うものはある種の「流れ」であり止まってはいないため、人や社会に追いついて行かなくなる。

当然そこから苦悩が始まるのだが、日本の作家、これは美術、文芸、伝統すべてそうだが、「実力」の世界では無く、「人付き合い」の世界なので、所属している団体や派閥の人間関係を壊さなければ、何とか食べて行ける世界でもあり、これに行政の地域起こしなどが加われば、それなりの地位を築くことも可能だ。

20年前、某○展の入選は300万円、特選は600万円などと言う金額で、派閥ごとの順番、持ち回りでその順位が決められていたとされていたが、これは今も変わってはいないだろうし、伝統○○展も恐らく同じだろう。

また自費で本を出版し、それを足がかりに自分を売り込んでいく方式もそうだが、メディア戦略でがんがんマスメディアに露出し、それで有名になってと言う方式の者もいるが、いずれにせよ彼らの「才能」は「創造」ではなく「世渡り」の才能と言うことができる。

ただ、これはこれで特に悪いことではなく、過去の著名な画家たちが、パトロンのお陰で作品活動をできた事から見ても必要な才能と言うべきものだが、いかんせん作品や物が、周囲の小物によって作品になっているようなもので、そこにあるのは「言葉による感動」「その人の人間性に対する感動」・・・つまり演出された幻想に対する「感動」でしかないため、「本物」の前では何も言えなくなる。

そしてこうした経緯から彼らは「本物」を避けることになっていき、実は彼らが言う「人との出会い」もまた「利益をもたらしてくれる人との出会い」であるため、それは謙虚さに見せかけられた「カモ探し」でしかなくなるが、ここまでくると自分が自己顕示欲の塊、人間性を売り物にしていながら、その間逆をやっていることに気がつかなくなる。

その結果、1度成功した過去の栄光を大切にし、その作品は自分でなければできない、今まで誰もやったことが無い、自分のオリジナルだ・・・と言う主張をしていくが、ひどい例では、過去に作られた物のイミテーションを作りながら「この作品は原作者を越えている」と自分で主張する者までいて、その原作者は誰もが知っている大家だったりする。

だが、残念ながら人類は、これまでの歴史の中で全ての表現、技法をすでに出しつくしている。
つまりオリジナルはもう存在していないのだ。
日本で言えば。400年前に全部の技法、表現が完成されていて、それ以後は1部改良か改悪でしかない。

パブロ・ピカソはギリシャ・ミケーネの遺跡にそのヒントがあったのではないかと言われているし、ヨーロッパ印象派の画家は日本の写楽や北斎にそのルーツを見る事ができる。
それにも関わらず、自身オリジナル、自分しかできないなどと言う表現はただの「無知」にしかならないのだが、地方ではこうした言い方が通ってしまうのは「本物」が黙 っているからで、なぜ「本物」が黙っているかと言えば、本物だからだ。

何も説明する必要が無いから黙っているし、煌びやかな偽者と関わりあうことを嫌うからだが、例えば農業でも、本当に米を作っている人は「講演」なんかしている時間はないし、仕事でやっていることを自慢げに人に語ることはないのである。
だから米を作っていない者ほど米つくりを語るのである。

アルゼンチンの女流ピアニストの言葉は言いかえれば「恐れを忘れるな」と言うこと「自分が最高は止まったことだ」と言うことを意味している。
自分が手本じゃ、もうおしまいだよ・・・・・と言っているのである。

少なくとも芸術、美術を志した者は常に自分の力を疑わなければならないし、いつでもチャレンジしていかなければ先は無いのであって、それは自分が作ったものも同じなのだ。
壊して更なる可能性、もっと広い荒野を目指さないとそこに言葉を必要としない「感動」などないのである。
そして、これは何も芸術や物作りだけに限った事ではなく、サービス業、金融、店員、レジのパートに至るまで同じことだ。

「自分を手本としない」この誇り高さと自信、最近どこでもそうだが、何かの個展を見に行くと、製作者はとても雄弁で愛想が良いか、反対に素朴を売りにしているかのどちらかだが、「自分の作品を大したことは無い」と言う製作者が少なくなった。

物選びの極意・・・・それは自分が好きか嫌いかだ。
評論家の意見、ギャラリーの意見、製作者の説明などは、本来聞かなくても事は足りるのだが・・・。

[本文は2009年1月17日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。