「アイスクリームの差し入れ」

「供給はそれ自らの需要を創造する」

これは「セイ法則」と言う考え方だが、この考え方で行くと、全ての市場に供給された「物」は、「価格調整」によって全てが需要される、つまりは値段の上下で調節すれば、何らかの形で「物」は消費され、また在庫としての投資がなされ、結果として経済全体を考えるなら総供給と総需要は一致する事になる。

また需要と供給は生産と言う面から見れば、雇用も同じ事が言え、ここではもし大きな不況社会となり、社会が大量の失業者で溢れた時は、これも労働市場の価格を下げる、すなわち労働者の賃金を下げれば、全ての失業者は雇用にありつける事になるが、実際はどうだろう。

これに対して「 J.M.Keynes ,1883-1946 」(ケインズ)は総供給量が総需要を上回るときは、価格ではなく生産量が減少すると言う「数量調整」が働くとして、総供給が総需要を決定するのではなく、総需要が総供給を決定するのであり、公共投資などによって需要を増大させれば供給も増大し、失業も減少すると言う理論を展開し、総需要と総供給が一致する時の需要の状態を「有効需要」と呼び、この有効需要が生産や雇用を決定すると言う「有効需要の原理」を世に知らしめた。

そして1920年代から始まってきた世界的な不況、決定的だったニューヨーク発の世界恐慌の克服策として、それまで「セイ法則」が支配的だったアメリカ経済界の考え方を改め、ケインズの理論を取り入れたのが1933年に合衆国大統領に就任した「フランクリン・ルーズベルト」であり、彼の「ニューディール政策」はまさにこのケインズが言う公共投資による経済、雇用の拡大を狙ったものだった。

しかし現実にはどうだったかと言うと、結局アメリカは1930年代には雇用状況を改善するに至らず、また経済もその生産は落ち込む一方だったが、それを事実上救ったのは第二次世界大戦だった。

世界的な緊張状態によって発生してきた軍事産業が大幅な需要を引き起こし、これによってアメリカの経済はかつて無い繁栄を誇って行った。

またケインズの理論、ルーズベルトの「ニューディール政策」は、もう一方の側面として完全自由市場だったアメリカ市場経済に初めて政府が介入した、すなわち自由主義経済に社会主義経済的干渉を行ったと言う事実が発生し、これ以降どうなるかと言うと経済的な落ち込みが発生すると、民衆や経済界は政府に何らかの対策を求めるようになって行くのである。

つまり、今日世界的な傾向ともなっている経済の社会主義化は実はこのときから始まったものであり、こうした経緯からケインズのマクロ経済学を考えるとき、彼の経済学は計画経済型、社会主義的経済観、もっと言えば運命逆算型経済論だったと言えるのではないだろうか。

だが実際の需要と供給の関係は、現在どう推移しているかと言えば、限界までは「セイ法則」、つまり価格調整が働き、そこから先はケインズの理論、「数量調整」が働くと言う二重底の様相を呈してきている。

それゆえ現在の世界経済は限界の下の限界を迎えているようなものであり、これを救済すべく各政府が全力を上げて公共投資を増やせば、更に経済は社会主義化し、民衆や経済界の動きは益々縛られ、その事がまた経済的な停滞を生むと言う、経済降下スパイラルに陥っている。

ケインズの経済理論は素晴らしいものだった。

だが彼は大切なことを忘れていたようだ。

確かに人間の社会が常に健全なものであれば、また景気の後退が単純なものであれば、彼の理論は成立しただろう。

しかし実際の社会、経済には「人間の不健全性」と言う数値を加味しなければ求められない数値が存在し、それが政府の財政出動と相乗効果的に経済的失速を発生させることを想定していなかったが、彼は責められるべきではないだろう。

経済の失速はこの「人間の不健全性」に加速をつけ、更に政府が行う景気対策としての財政出動がこれに追い討ちをかけて社会を共産主義化していくなど、結果として現れなければ到底想像もできないことだった。

ただ原理としては簡単な事であり、例えばやさしい経営者がいて、少ない従業員を大切にしていたとする。

今年のような暑い気候が続くと、経営者として額に汗して働いている従業員を見るにつけ可愛そうに思い、ある日従業員全員にアイスクリームを差し入れたとしようか。

当然のことながら暑い日に差し入れられたアイスクリームに従業員は大いに喜び、経営者に感謝するが、こうした有り様にきわめて健全な従業員との関係に感激した経営者は、次の日もまたアイスクリームを差し入れ、そのまた次の日も差し入れると言うことになって行き、一定の期間それが継続して行ったとする。

そしてある日、風邪でこの経営者が寝込み、その日はアイスクリームの差し入れができなかったとき、従業員はどう思うだろうか。

「どうして今日はアイスクリームが届かないんだ」

「何だ、今日はアイスクリームはどうした?」

と、このような声になってくるが、これが「人間の不健全性」と言うものであり、当初まったくの善意で始まった差し入れは、何回か繰り返される間にどこかで当然の事になり、それがあたかも権利のように錯誤されるようになる。

皮肉な結果だが、可愛そうだ、良かれと思って始めた差し入れは、最後には従業員の人間的不健全性を招く結果となるのである。

そしてこれはまだ経営者の善意だから、そこまで大事ではないが、これが国家と国民、国家と経営者の関係であり、なおかつ暑さが大不況だったらどうなるかを考えると、現在の世界経済の有り方が良く理解できるのではないだろうか。

「大恐慌」と言う暑さに、初めて公共投資と言うアイスクリームを差し入れたルーズベルト、その後世界各国政府は不況と言う暑さが訪れるたび、民衆に公共投資や財政出動と言ったアイスクリームを与え続け、このことはやがては本来自分で頑張って経営していかなければならない会社経営者や、自分が働いて何とか生活を維持しなければならない一般大衆に、緩やかな擬似権利を錯誤させた。

すなわち不況は政府のせいだ、政府が何とかしなければならない、国民を食べさせるのは政府の義務だ・・・、と言うような形が現れ、これは既に考え方として社会主義なのだが、形式上民主主義を標榜している国際社会では、殆どの経済的先進国が主権在民を建前としているため、こうした擬似権利を、権利と錯誤した民衆の代表、つまり代議士などが選挙で選出されやすい社会となっていき、国民に媚びへつらう政府は益々財政出動を増加させ、そのことが更に国民が持っている擬似権利感をより権利に近づけたような錯誤を加速させる。

そしてここまで来ると、もはや自助努力ではどうにもならない経済界や民衆は、更なる経済対策を求めるが、もはや財政的に破綻寸前になった政府は、前出の小さな会社の経営者の話に戻すと、従業員から金を借りて、それでアイスクリームを差し入れるしか方法が無くなる。

これが日本経済と、政治の現状である。

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 「人間の不健全性」と言うのは言い得て妙ですね。マジョリティの気がします。

    誰だったか、今はちょっと思い出せませんが蔵人の時に参議に推薦されて、同じく参議になりましたが、その後一時的にその推薦者より早く中納言に出世しても、宮中の会議の時に終生、その推薦者より下座に座って、且つ終生硬い友情に結ばれていた、と言う公家もいたようです。

    女子と小人なんとか、と言ったら怒れそうですが、直ぐ狎れて(笑い)しまうし、僥倖を日常的な事に捕らえやすく、守株になりがちだし、毎日「振り込め詐欺」防止の事例や各種啓蒙があるのに、一向に被害額が減らないのも、我ら衆生を救済するのは(笑い)、如何に困難であるかの証左かと思います。

    先進国から途上国への援助でも、本当に被援助国が、自費で高額のお雇い外国人を招聘して苦労しない限りは、大抵は砂漠に散水するだけで、暫く時間が経てば、元の砂漠に戻るだけなら良いですが、自分たちの伝統文化を失い、より酷くなる事が多いと感じます。

    消費税の軽減税率同時導入もヨーロッパで、殆どすべて失敗したにも関わらず、共産主義と同じで、理屈は間違っていない、遣り方が拙いと言って始める国がある、というのと似ています(笑い)

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      太平洋戦争終結後、日本の税制を調査したアメリカの税制調査委員会は、戦時下日本の税制が異様に多い間接税を設けていた事に驚愕します。殆ど言いがかりのような名目の間接税が設定されていて、合衆国税制調査委員会は、戦後これらの税をすべて廃止し、直接税、所得税を主体とした健全税制を構築します。しかし戦後70年、気が付けば日本は戦時下の間接税だらけの税制に逆戻りしています。国債の償還は基本的に利益団体ではない政府に在っては、国民がそれを税で負担するしか償還できない、いわば国が国民に金を借りて国民にサービスしているのと同じです。同じように先に利用目的が決まっている財源の為の間接税は国民が借金を返済しているも同じです。我々が経済的に苦しい時は金を使わないようにしなければならない。この原則は国家も同じで、アベノミクスで一時的に拡大しても原則からは逃れられない。政府、国会や行政機構、地方議会制度、公務員制度改革なくして財政の改善は有り得ず、国民の信頼も得る事は出来ない。
      消費税増税はまた先送りされたようですね・・・(笑)

      コメント、有り難うございました。

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