「回答書簡・4」

おかしなものだが、この世界は全て現実に対し、それを処理打開して行かなければならないにも拘らず、人間はどうも感情をしてこれを考えてしまう。
現実には意思はなく、それはひとえに環境と言うものであり、この意味では全ての場面で答えはそこに揃っている。

どんなに困難に見える事でも、まるで水が僅かな隙間を伝って行くが如くでも、必ず道は用意されているが、これを曇らせるものは「心」と言うものだ。
人の心など有って無いようなもので、その本心など自身ですら理解できていない、いやそもそも存在すらしていない。

自分の「心」が解るか・・・。
今、喜び、悲しみ、苦しみの中に有って、それが何かを本当に理解しているだろうか。
同じように人もまた自分の「心」を全て理解する事は困難なものだ。

だから答えは簡単だ。
与えられた仕事を忠実にやっていくだけであり、人が何を考えているかは関係が無い。
人から良く思われたいか、仲良くして貰って笑顔で付き合いたいか・・・。
で、それでどうなる、自分の何が変わるのかな、仕事の能率が上がったり自分の能力がそれで向上するくらいなら、随分と覚悟の浅い仕事ぶりだったとは思わないか。

自分が天職とまで思った仕事なら、それは会社との契約も然ることながら、天との契約でも有る。
天と結んだ契約に他人の言葉など如何程の事が有るだろうか、嫌がらせや中傷がどれほどの意味が有ろうか。
よしんば明日解雇されるとしても、その言葉を実際に自分の耳で聞くまでは利益の為に働くのが正しい有り様と言うものだ。

人間は褒められると気分が良くて、怒られたり悪く言われたりすると気分が落ち込むものだが、これは気分で有り現実では無い。
眼前に広がる現実は気分には一切の関係が無い。

同僚や部下から如何なる言われ方をしようと、会社が辞めて下さいと言わない限り、給与が支払われている限り、他人の言葉は関係なく黙って自身がその職務を忠実に果たすべきではないかな。

社員の会社に対する忠誠心に会社が果たすべき責任は「給与」が全てだ。
上司や同僚からの信任、或いは仲間意識はその会社が有ってのものであり、そんなものを基準にして自分を測っていては自分を見失う。

家に帰れば妻子がいるなら、今はそれが全てだ。
他に誰が自分など頼ってくれようか、信じてくれようか、いや信じて貰えていないとしても、かつてはこの女さへいてくれれば自分も生きていけると思ったのなら、その証を今果たせ。

男としての誇り、人間としての誇りなど如何程の事や有ろう、そんなものでは腹の足しにはならない。
考えてみると良い、我々は何の為に働いているのかな・・・。
社会の為か、会社に良く思われたり同僚と仲良くなる為か、そうではないだろう、食うために働いているので有って、浮気の一つや二つは構わんが、かつて自身の青春を賭けてくれた女とその子供に服を着せ、腹一杯飯を食わせる事を忘れた誇りなど、ただの意気地なしと言うものだ。

自身にやましい事が無いのなら胸を張って、笑いも泣きもせずに会社に行くことだ。
今でこそこうした豊かな社会だが、かつてほんの100年ほど前の日本でも飢えで女房や子供の死体まで食べてしまう時代が存在していた。
それを思えば「食うことができる有り難さ」を思った方が良い。

この世の中は善人の上にも悪人の上にも等しく陽が差し、その行いが正しいから報われるとは限らず、行いの悪い者の上にも恩恵の雨は降り注ぐ。
それゆえ自身の行いの良い事をして、善で有る事をして何かを求める事は虚しい。

行いの良さ、善で有る事をして災いを免れる事はできず、そこに広がるものは現実だけだ。

会社で惨めな思いをするのと、家に帰って妻子が惨めな姿を晒しているのではどちらが辛いか、実際妻子が惨めな思いをしている事は、それが自分自身では無い分理解しにくく、直接自身が被る会社での惨めさばかりを思うかも知れないが、それに耐え切れず妻子の惨めさを忘れる事こそが、男として人間として誇りを失う事ではないだろうか。

そして会社からもう来なくて良いと言われたら、「有難うございました」と言って去って行けば良いので有って、今自分の推測だけで動く事を私は勧められない・・・。
人間の歴史は常に愛する家族と共に、生まれた土地で穏やかに暮らす事を求め続けて来た歴史でも有り、しかもこれが全ての人に叶えられた時代などただの一瞬も存在しない。

こんなささやかな望みすら人類は手に入れる事が難しい・・・。
そんなことも少し考えて貰えたらと思います。

ただ、人の事情や考え方は千差万別で有り、これが正解だと言う事はできない。
自分の生き方は自分でしか決められない・・・・。

有難うございました。

[本文は2013年2月17日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。