「真実と現実」

「時間」と言うものには大まかに2つの概念が有り、1つは地球の自転速度を均等分割した「時間」と、もう1つは環境に措ける相対的時間と言うものだ。

 

凡そ200年ほど前の日本の時、「一刻」(いっとき)の概念は昼と夜をそれぞれに6つに分割したものであり、従って季節によって「一刻」の長さは同じにはならず、これは環境相対時間概念で有る。

 

夏至の頃、昼の「一刻」の長さは約2時間18分、これに対して冬至の頃の「一刻」の長さは1時間30分前後であり、この根拠は現実に目に見える日の出と日没に由来しているが、これが欧米ではどうなるかと言えば、昼と夜を足して均等分割した、我々が今日用いている時間概念だったのである。

 

もっと簡単に言うなら、日本の伝統的な時間の概念は「現実」に則したものであり、欧米の時間の概念は「真実」を拠り所にしたものだったと言う事になろうか・・・。

 

そして真実と現実のどちらが正しいのかと言えば、これはどちらも正しく、どちらも間違っている。

 

だが、今までの人類の歴史を見る限りでは、真実は常に先に行って不安定になっていて、しかも多くの現実を失わせ、結果として地球物理学的にも生物学的にも相反していく非効率傾向に有るのではないだろうか。

 

1日を単純に分割した現在の「時間」は昼夜の区別を失なわせ、為に本来であればエネルギー消費をしなくても明るさが得られる昼に眠り、膨大なエネルギーを消費して光を得なければならない夜に活動する傾向が現れて来るなどは、まさに真実を追い詰めた先の「混沌」そのものと言え、真実と現実は互いに入り組んでいて、現実の先に真実が存在しているように見え乍、真実を担保するものが現実で有る事を失わせ易く、この事が真実をしていつか「混沌」へと向かわせる傾向は人も科学も同じである。

 

二年ぶりに東京に住んでいる弟が帰省して来たが、母の四十九日すら忙しくて来れないと言っていた割には三回忌が気にかかったのか、四月二十三日にひょっこり帰って来くるとの電話が有った。

 

半身不随の父親曰く、「百姓がこの季節は忙しい事は解っていように・・・」とこぼしていたが、既に故郷を離れて三〇年、東京暮らしの方が遥かに長くなった弟にそれを言っても詮無き事と思った私は、早速農作業を切り上げて寿司や刺身にする魚、それに酒やビール、つまみなどを買い出しに行き、帰りには一度に運べない程の食品を車に積んで、色々料理しながら弟が来るのを待っていた。

 

派手な黄色のスポーツカーで夕方到着した弟を迎え、こうした車の有り様にもどこかで一族を感じざるを得ない自分に苦笑しながら、その夜は遅くまで近況を語り合いながら酒を飲んだが、事件はその翌日に起こった。

 

実はこの日の数日前、妻が夜中に救急車で運ばれ、それから体調も思わしくなく寝込んでいたのだが、弟が帰って来ると言う事で特別に入院していた父も家に帰っていて、ついでにたまたま長女も家にいた事から、その食事や料理は全て私が作っていたのだが、如何せん稲の苗の水管理が朝早い事も有って、前日の夜にジャーのご飯が少なくなっていた事をすっかり忘れてしまっていた。

 

そして苗に水をかけて家に戻ったのが午前6時30分だった。
いつもなら6時に朝食を食べていた父親に、遅くなってしまったがご飯を出そうとしてジャーを見たら、もう殆ど残りが少なくなっていた。

 

「しまった、忘れていた」と思った私は慌ててご飯を炊こうとして炊飯器を探したが、何とその炊飯器はしっかりガス台の上に乗っていて、しかも炊き上がっていたのである。

 

「あれ、これはおかしい・・・」

 

私はついでに今朝は忘れていた納屋のツバメたちの為の開窓の事も思い出し、急いで納屋に向かったが、そこでも今朝開けた覚えのない窓がしっかり開いていて、元気よくツバメたちが出入りしているではないか。

 

流石にここまで来るとちょっと不思議くらいでは済まされない。
私は娘や寝ている妻にご飯を炊いたか聞いたが、誰もご飯を炊いた者がいない。
弟は勿論父親に至っては台所の段差すら降りる事ができない。

 

「もしかしたら、死んだ母か・・・」
自分が困っているのを見て助けてくれたのか、私は炊き上がったご飯を見てそう思っていた。

 

だがその一方でなぜか私は自分が米をといでいた記憶もどこかに有ったが、それは昨日の事だった。

 

おかしいと思い、よく考えてみると、実は昨日の昼、こうした事が起こるかも知れないと自分がご飯を炊いたのだった。

 

そして夜に宴会をして、その翌日にはすっかりその事すら忘れていたのであり、納屋の窓も父が早朝トイレに行った時、ツバメたちがあんまり騒ぐので、杖をつきながらやっとの思いで開けたものだった。
真実と現実はこうした事だ・・・。
ご飯を炊いたのは私だが、こうした状況に対処するような考え方は、もしかしたら母の有り様がそうさせたかも知れない。

 

私の置かれている環境がそれをさせていたかも知れない。
人の行動の根拠など誰も説明がつくものではなく、ご飯を炊いたのは私と言う真実が有ったとしても、現実は分からない。

 

いや現実と真実など例えそれを入れ替えても同じだろう。
今この瞬間取っている行動の本質は何かを問う事はできない。

 

それはもしかしたらあらゆる歴史と、この瞬間の環境かも知れず、では自分とは何か、ひとえに何を選択し何を信じるか、それこそが自分なのかも知れない・・・。

 

ちなみに今年も沢山のツバメが、半ばホラー映画の「バード」状態で家にやってきているが、その中で1羽だけ、いつも階段の上の方に座っているヤツがいて、これがほんの近く、30cmほどまで階段を上がって行っても逃げない。

 

そしてこちらを首を少し傾けて見ているのだが、この様子には記憶が有る。

 

去年「ただ一羽のヒナ」と言う記事を書いたが、この時のヒナの「角度」によく似ていて、私は当時彼を「チュン」と名付けていた事から、このツバメは「チュン」に違いないと信じているのである。
[本文は2913年4月28日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。