「腐って落ちる」

遅れてしまった道路沿いに有る田の畦(あぜ)の草刈を急いでいた私の近くで、どうした事か「乗り合いバス」が停車し、中から少し山手に入った所に住んでいる知り合いの婆ちゃんが降りてきた。
そしてこの近所に住む94歳の男性の具合が悪そうだから何とかして欲しいと言うと、バスの運転手と2人でくだんの男性、いや近所の爺ちゃんをバスから降ろすと、さっさと走り去ってしまった。

この村に正規のバス会社が運行するバスが来なくなってもう20年近くにはなろうか、以後は行政が運行する大型ワゴン車がフリーバスとして運行されているが、一日の運行回数は3往復、その乗客は殆どと言うか全て高齢者である。

私の近所に住んでいるその爺ちゃんは94歳でもとても元気な人で、今だに草刈機を持って自転車で出かけるような人だったが、どうした事かその日はバスから降ろされると、アスファルトの上で横になり始め、そして起き上がろうとしても起き上がれない様子だった。

「爺ちゃん、大丈夫か、俺の声が聞こえるか、目は見えるか」
「ああ、聞こえる、見える」
上体を起こして尋ねる私に爺ちゃんはそう答えたが、やがてその体は痙攣が始まり、何かを必至に掴もうとするように手は虚ろな空間をかき集めていた。

「これはまずい」、そう思った私は小柄な爺ちゃんを背負い、20m程離れた爺ちゃんの家まで運ぶとそこに寝かせ、騒ぎを聞きつけてやって来た隣家の当主に救急車を呼んで欲しいと頼んだ。
程なく救急車は到着、そして病院へ搬送される事になったが、「この爺ちゃんの家族は?」と救急隊員から聞かれた私は一瞬言葉に詰まった。

爺ちゃんは一人暮らしで子供は無く、養子縁組の夫婦はいるが、その養子夫婦は事業に失敗した後この爺ちゃんとは喧嘩して出奔し、今は遠く離れた所に住んでいる。

かろうじて親族と言えるとすれば、この養子夫婦の孫の当たる40歳くらいの女性が存在したはずだが、彼女もまた離婚してシングルマザーとなって以降、この爺ちゃんの年金を当てにする事から、爺ちゃんは余り快く思っていないと聞いていた私は、何と言って良いか分からない状態になったが、それでも電話の近くにこの孫の連絡先が置いてあった事から、そこへ連絡した方が良いだろうと答えた。

更に身元引受人が必要と言う事だったので自分が仮の引受人になり、為に農作業姿のまま、今は静かに眠っている爺ちゃんをぼんやり眺めながら救急車に揺られ、病院で書類にサインした私は、父親は車を運転できないし家内も入院いている状態だったので、帰りは3里(12km)程の道を歩いて帰る事にしたが、県道をこの浮浪者並の姿で歩いていて職務質問まで受けるのは流石に辛い、そこで山道を通る事にしたが、帰途に2時間以上も要してしまった。

後日、爺ちゃんは胆石で療養する事になったと見舞いに行った村人から聞かされ、それにバスでの経緯も、初めは町で一軒だけ残っている商店で食料品を買っていて具合が悪くなり、その商店の女性経営者がバスに乗せ、今度はバスの乗客が村人Aの私を見つけ、そこに置いていったと言う事らしかった。

結局みんな面倒な事をたらい回しにした感じだった。

また不思議な事に爺ちゃんが入院して3日と経たない間に長い事疎遠になっていたはずの養子夫婦が私の所に挨拶に来て、菓子箱まで置いて行ったが、翌日気遣いに礼を言いに行った私は、その道すがらやはり同じ町内に住む「木商人」(きあきんど・木材商)の男性とすれ違い、あれっと言う感じがしたのだが、程なくこの木商人と養子夫婦、それに派手な感じの孫娘等4人の村の谷に響き渡るような声が聞こえて来て、どうやら爺ちゃんが長年子供のように可愛がっていた木を売る交渉をしているようだった。

そして爺ちゃんが入院して4日目には既に木の伐採が始まったのか、谷にチェーンソーの音が鳴り響き始めた・・・。

「爺ちゃんはこの事を知っているのだろうか」、礼を言いに行った私には知らん顔で、山林の境界確認の為訪れた隣家の庭で、当主に満面の笑顔を見せていた孫娘の茶髪に、私は若干の不安、それも爺ちゃんの境遇もさることながら、むしろこの村が、この国が腐って落ちていくような、そんな漠然とした、しかし確実な不安を覚えたものだった・・・。

少し話はずれるが、今の日本人は病院で死ぬのが普通だと思っているかも知れない。
でも老衰、寿命による死は病気では無い。
それゆえ基本的には家族がある者は、家で死ぬのが正しい姿だと私は思う。

病院で死ぬのは病気の者、或いは事情によって家族のいない者であるはずで、この点で日本の福祉や法は根本的に家族を引き離し、それを社会が引き受けてしまったのかも知れない。

が、しかし調子の良い時はそれも何とかできたが、どの国家も民族もいつの時代も良い時ばかりとは限らず、こうして日本のように疲弊してしまった国家は、過去に施行した約束を果たせなくなっているにも拘らず、それを未だに民衆が意識できず、相変わらず「してくれる事」が当たり前の意識のままのような気がするが、現実は既にこの国家の衰退、私がイメージするなら腐って落ちていく景色の真っ只中に在る感がする。

私の住んでいる農村の姿は明日の日本の姿そのもの、集約された現在の日本そのもののような気がする。
親が死んで行く時、それを介護するのは看護士さんや介護士さんで本当に正しいのだろうか・・・。

親である事、長く生きた者で有る事の責任を放棄し、自身の生活を重視した高齢者と、やはり生活や金、或いは欲望の解放を錯誤した社会スタイルに追われた子供が子供としての責任を看過し、しかし人の死には情緒的な日本の姿が、私には大きな矛盾、どこかで決定的な人間性の喪失に見える。

[本文は2013年6月5日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。