「濃度の逆べき分布」

「ローレンツ・アトラクタ理論」でも示されているように、コンピューター解析による気象予測は事実上不可能である。

これはその初期に入力される僅かな誤差や端末微細データの入力省略によっても結果に大きな違いが出るからであり、地球が誕生して今日まで全く同じ数値条件が存在し得ない事を鑑みるなら、コンピュター解析による予測は常に異常気象判断か、確率50%の自然対数に近似していく。

それゆえ現在考えられている地球温暖化による効果もまた、一定の決まった法則に従った変化に帰結する事はなく、その先は常に「混沌」、通常の概念を持つなら「異常」と言う事になるが、こうした「異常」の落ち着く先が確率50%の自然対数と言うのもまた趣が深い。

「混沌」と「普通」、「異常」と「正常」が等価に有る、或いは同じだと言う事で有る。

一般的に地球温暖化による効果は地上気温の上昇を起想させるが、その実体は効果の激化であり、ここでは気象が従来より激しさを増す傾向が現れてくるが、この激化にも2種類有って長期変化と短期変化が存在し、本来で有れば短い期間で終わるものが長く継続してくる、しかもその変化の激しい状態が長く続く傾向と、本来比較的長期に安定していたものが目まぐるしく変化してしまう2つの傾向が競合してやってくる状態が発生する。

地球が持つ全体のエネルギーや運動による力、太陽から得られるエネルギーに大きな変化はなくその総量は決定している。

従って全体の確率50%は変わらないが、問題はそれが「逆べき分布」してくる事に有り、そもそも安定と混沌の始まりはこの小さな「逆べき分布」から始まって繰り返される事を考えるなら、ある種の偏りはどこにでも存在し、それが小さい内は安定や特定の傾向を見ることになるが、この偏りは必ず発展し「今」を変化させる事を忘れてはならない。

つまり現在世界的に発生している気象の大きな変化、激化は既に小さく分布した逆べき指数ではなく、もはや「混沌」に差し掛かっていると言う意味で有る。

今日雨が降るか晴れるかは何もデータがなければ確率はそれぞれ50%で有り、雨の総量も決定されているが、永遠に安定した回転が存在しないように、その確率はやがて運動によって時間と場によって拡散を起こし、ここに安定は失われる。

所謂気象に措ける激化とは「期間」と「場」によって失われる平均性なのであり、今後世界の気象変化は全く予測が出来ない状態になったかも知れない。

日本は年間の降水量が少し減少してくる傾向に有り、しかも雨が降った場合は一時的に大変な豪雨になる傾向が発生してきているが、このことのもたらす効果が災害であり、自然災害とは人間がそれに対処できない自然の変化を言うので有り、この点ではその時のその世界情勢や国家の国力、突き詰めれば個人の状況によっても「災害」と「通常」の分岐点は違ってくる。

現在の国際情勢を見るなら、やはり気象と同じように変化、激化しデリケートなっていて、日本の惨状は言うに及ばす個人の力も限界に近いところまで低下してきている。
少なくとも現在の世界的な自然災害の20%程が、こうした総合的な人類の力の衰退によってもたらされているものと考えられる。

だがこうして気象が激化し混沌に向かっている中で、同じように人類の力が衰退し国際情勢の悪化や経済、国家関係が不透明化する事には整合性が有るのかも知れない。

自然界、宇宙の逆べき分布は一度大きくなり始めると、あらゆるものを吸い込んで既存していたものは消滅し、そこから逆べき分布で大きくなったものが次の秩序を形成する。

この事から気象の混沌はまた人間を始めとする生物の混沌であり、人類が構成する社会システムの混沌に同じである。
おそらく「これまで」が全ての意味に措いて消滅いてして行くに違いない。

ヨーロッパは1983年頃から水害が頻発するようになり、アメリカ大陸でもハリケーンの規模が格段に大きくなり、一方水の豊富だった日本は渇水が慢性化してきている。

同じ降水量でも、それが長期間で少しずつ降る場合と、乾燥期間が続き一挙に雨が降る場合とでは全く違ってくる。
雨が天の恵みとはならず、渇水と洪水と言う2つの災害になるばかりか、大地や森林が急激に大量に降った雨を有効に保有できず、海に流出させてしまうのであり、この事が結果として日本に渇水期間の長期化を発生せしめるのである。

また気象の激化がもたらすものを鑑みるなら、人間社会の激化も同じような効果が有り、例えばバブル経済が有って停滞期間が有り、インフレーションが有ってデフレーションが有り、これらは逆べき分布で常に存在し続けるが、どこかで偏って激化すると社会システムは壊れる。

つまり自然界や人間社会でもそれが安定した状態は何か一つが全体を支配する状態では無く、あらゆる物が存在し乍ら濃度が偏らない状態を安定や秩序と呼ぶのであり、これがどこかに偏って濃度が濃い状態に分離して行く状態を混沌や異常と考えるのが正しいのかも知れない。
日本はこれからこうした国際社会の中でも最も大きな変化に晒されるだろう。
気象的にも、政治や経済、災害でもかつて人類が経験した事の無い激化に遭遇するに違いない。

だが決してこれに絶望してはならない。
逆べき分布は時間の中にも存在し、それは全体では変化しない。
今の時代が良かろうと悪かろうと、全体では結果が同じはずで有る。
たまたま現在が厳しい状況だったとしても、その事が悪いとは限らないのである。

[本文は2013年6月9日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。