「懐かしき瞳」

その男はかつて私が友と信じた男だった。

彼は私の家が門徒となっている寺へ、関西で修行を終えた後婿入りしてきたのだが、当時年齢も近かった私達は共に絵や陶器が好きだった事も有ってすぐに仲良くなった。

そして一緒に陶器を焼く場所を作ったり、そこで教室なども開くようになって行ったが、彼がこちらへ来て2年目くらいだろうか、少しずつ元気が無くなり、やがていつしかガックリ肩を落としたような姿になって行った。

彼は美しいものが好きだった。

だがこんな田舎の末寺の事、彼が思う仏教の教義には遠く、それは田舎の慣習や門徒との付き合いの中で利用される方便のようなものしか過ぎず、彼はそうした在り様と自身の理想の前に崩れて行き、5年後には幼い2人の娘を残して行方不明になってしまった。

それから半年後、どこからかけて来ているのかは分からなかったが突然電話が有り、「もう絶対に戻らない」と話す彼に、体だけは大切にするようにと伝えた。

当時まだ幼かった2人の子供達は、私が寺へ行く度に洋菓子など持って行った事から「おじちゃん、おじちゃん」と慕ってくれたものだった。

あれからもう10年以上の歳月が流れ、2年ほど前に彼が亡くなった事を知った。

先日、とある葬儀に参列した時の事だった。

向うから高校生くらいの女の子達が近付いてきたかと思うと、彼女達は私を見て「おじちゃんだ、やっぱりおじちゃんだ」と嬉しそうに笑い、その2人の女の子の顔を見た瞬間、私は涙がこぼれそうになった。

何とそこには在りし日の友の瞳が私を見つめていたのであり、まるで「お久しぶりです、お元気でしたか」と彼が話しかけているような、それでいてこれまでの自分の在り様の不甲斐なさを全て見透かされているような、そんな気がして思わず私は下を向いてしまった。

彼の娘達はそれぞれにもう大学生と高校生になっていた。
そして彼女達は間違いなく我が友の瞳を受け継いでいた。
理想に燃え、妥協を許さず、人間としての汚さを嫌った彼の瞳が彼の娘達の中で生きていた。

あの日力なく肩を落とした男が持っていた美しい瞳は今、私より遥かに大きな生命力に満ち溢れ、まるでそれが当然のように振舞われ、目の前に現れたのだった。

「ああ、勝ったんだな、我が友は決して唯惨めに滅んだのではなかったんだな」
「良かったな、ありがとう」
挨拶をして去って行く男の娘達の後姿に、私は心の中で手を合わせた。

生きて行くと言う事は何と辛く悲しく、惨めで、そして美しく、有り難いものなのだろう。
でもおじちゃんは最後まで君達の顔をまともに見ることが出来なかった。

余りにも懐かしい男の瞳が当然のように目の前に現れた事に驚き、「眼前の現実が全て」とあらゆる事に膝を屈し、ヘラヘラと笑って誤魔化しながら生きてきた私は、友に合わせる顔が無かった・・・。

[本文は2013年9月1日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。