「派閥順位入選」

日本芸術のトップの座は2種存在し、その初めは帝国美術展(帝展・文展)帝国美術院が、太平洋戦争敗戦と共に日本美術展覧会(日展)日本芸術院に名称を改め、「日展」とされた経緯を持つが、この中で力を蓄えてきた工芸分野の「山崎覚太郎」(富山県・1899年ー1984年)と「松田権六」(石川県・1896年ー1986年)は互いに対立を深め、ぞれぞれが日本美術界の上層部に上って行くに従って、その亀裂は決定的なものになる。

独創性、創造性を重視した山崎覚太郎に対し、工芸的な技術を重視した松田権六はやがて日展を退会し、かねてより得意としていた政治的な動きによって「日本工芸会」を設立し、ここに「文展」「帝展」「日展」と一つの流れだったものが「日展」と「日本伝統工芸展」の2つに分離されたのである。

そして日展の頂点が「芸術院会員」であり、伝統業芸展の頂点が「人間国宝」だが、この2つの頂点は必ずしも芸術的評価を受けて成立するものではなく、あくまでも互いの会派の政治的頂点である事から、贈収賄は日常茶飯事、その入選規定にはどちらの会派も金銭や権力闘争の結果として妥協された仕組みに支配されていた。

サバが好きだと言った松田権六の家には毎年大量のサバが届き、氏はそのサバの処分に困って庭に穴を掘って埋めていた逸話は口伝として有名であり、輪島市に存在する輪島漆芸研修所の職員人事権までも、事実上石川県出身の人間国宝が権限を持っているとされているが、人間国宝の選定に付いても既存人間国宝の影響力が大きく働いていると言われている。

また同様に日展に措いても、今般問題になっている「割り当て入選」や受賞はその発足当時から存在した事で、例えば昭和60年近辺で派閥順位によって入選の決まった者は300万円、特選は600万円の謝礼を用意しなければならず、この金が捻出できないと順位が来ていても、入選や特選の選定を受けることが出来なかったとされている。

日本には初めから公正な芸術の評価機関は存在しなかったのである。

それゆえ派閥順位で権力を持つ、芸術的才能の無い芸術家が支配する日展や伝統工芸展は才能の有る若者、心有る者ほどこれを排除して来たのであり、この経緯は文化庁の怠慢が原因と言える。

芸術院会員も人間国宝の選定も、基本的には各種団体の推薦によって決定されている。

つまりは日展や伝統業芸展の会派と、その予定者が所属する地域団体の推薦によって成立している事から、ここには芸術性の必要は無く、むしろ芸術が持つマイノリティーは排除されるしか無い現実を看過し、これを全て丸投げしていた文化庁の在り様こそが、今般問題となった「派閥順位入選」問題を生じせしめていたのである。

そしてもう一つ、こうした不正の背景には日本人の芸術性の低さ、個人の自覚の無さが背景として考えられる。

芸術を理解する事が面倒な日本人は、その評価を他者に依存し、他者の評価を自身の評価として来た経緯が有り、この最も歴史の深いシステムが茶道や華道などの家元制度だが、このシステムは準無限連鎖講であり、こうした日本的なグレーシステムよって日本芸術の権威が守られて来た流れが有る。

かつて石川県の北国新聞が特集した「工芸王国石川」と言う記事では、若い作家が先生の所へ菓子折りを持って行ったり、先生の作品を買ったり、或いは先生の作品展に借り出される事を「文化」だ、「潤滑油」だと堂々と書いているように、社会自体がこうした事を容認し、この中で育まれたシステムが継承されてきた流れは、そう容易に変えられるものではない。

新聞と言う公のメディアの記者ですらこれぐらいの意識しかない日本の背景は、既に発生している地方崩壊と共に、既存制度に更にしがみ付く傾向を強めるだろう。

日本の芸術界は既に完全に狭い盥(たらい)の中でしかなく、しかもそこにしがみ付く者達によって狭い社会で競争が発生し、劣化競争となり、一般工業デザインや大量消費財の美的感覚よりも完全に劣っている事に気が付いていない。

また大衆も知識が無いものを恐れ、それを他者に依存して評価する在り様を省みる必要が有る。

どんなに権威が有るとされるものだろうと、例えそれが何か理解できないとしても、「自分はどう思うか・・・」と言う事を大切にしなければならず、こうした意識こそが芸術を育む道であり、これは情報や映像、味覚などの嗜好に付いても同じである。

今般の日展の問題は、実は見える事以上に深い問題と言え、日本人の文化が持つ半分の悪い方向に拘るもの、言わば日本が持つ文化や国民が無意識下に持つ儒教思想の形に拘るものが横たわっていて、その最大の原因は「権威主義」と言うものではないかと思う・・・。

[本文は2013年10月31日Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。