「回答書簡」・11

ドイツの「ロベルト・ミヒェルス」(Robert-Michels・1876-1936)が提唱した「寡頭制の鉄則」(ehernes・Gesetz・der・Oligarchie)、またイタリアの「ヴィルフレド・パレート」(Vilfredo-Frederico-Damaso-Pareto・1848-1923)が提唱した「エリートの周流」、「循環史観」によれば「あらゆる政治は必ず寡頭制に移行する」とされているが、政治の本質が調整機能で有るなら、この原則は3人以上の人間の集合から、世界情勢まで全て同じ道を辿る。

寡頭制(かとうせい)とは、「少ない頭」を意味し、一般的には5名以下の権力者によって集団の意思決定が為される形態を言い、この権力が分散した状態が原則的民主主義となる。

しかし寡頭制と民主主義は同じステージに立つものではなく、寡頭と言う形はある種の宿命や人間の「業」、自然摂理に起因するものであり、従って独裁社会にも民主主義にも、社会主義にも立憲君主制でも寡頭制は存在し得る。

権力の質は概ね5種存在し、「資本力」「暴力」「人間性」「非人間性」「伝統・家系」に分かれるが、この中で一番弱い権力が「人間性」であり、その次が「資本力」、そして一番強い権力は「暴力」と「非人間性」であり、薄く範囲が広い権力が「伝統・家系」と言う事になる。

すなわち、寡頭制での権力とは「暴力」「軍事力」や「冷徹さ加減」を指しているが、暴力の無い場面でも言葉による暴力を扱える者、狡猾で必罰がはっきりした者の発言が主意を占める事を考えれば理解がし易いだろう。

権威の担保としての暴力、軍事力は一番理解しやすく明快になる。
しかし暴力、軍事力が誰のものかと言う命題に付いては、昭和天皇がその態度でこれを示している。

2・2・6事件の際、青年将校達の行動を叛乱としている事は、軍事力に天皇が干渉しないと言う態度を示したのであり、この意味では軍事力は天皇の為に有るのではないことを、日本と言う国家に帰結するものである事を示していて、天皇は事実上日本の国家そのもので有りながら、国家有事の際を想定するなら、国家を超えたところに有る事をして権威たらしめている。

また天皇の権威はその権威を行使しないところに発生していて、それが故に天皇の権威は輔弼事項に付託されたのであり、実際に昭和天皇で言うなら、天皇自ら御前会議で政治に対して発言された機会は2度しかなく、太平洋戦争開戦の時と終結の時のみである。

この意味で当時の日本は大日本帝国憲法下に有って立憲君主制だったが、輔弼事項だった政治家と軍部、経済支配者達によって既に寡頭政治体制になっていたのであり、ここでは貴族階級がそれを糾すことが出来たかと言えば、彼等も一緒になって日本を窮地に追い込んで行った。

つまりは弱体化、堕落して行く政治体制に有っては、それに対立する勢力が道を正すのではなく、それを更に劣化させるもので有る事を学んでおく必要が有る。
こうした事が理解されなかった為に細川護煕政権が成立したのであり、民主党政権が成立した事実を忘れない事が肝要となる。

「三政共存論」の論旨は古典的なアリストテレスでもローマを理想とし、この概念を平面的に捉えるなら君主制と貴族制、民主制が共存する事を理想としたが、現実はそうも行かない事もまた示している。

つまりアリストテレス以降の政治学では君主制、貴族制、民主制は少しずつ形を変えたとしても、どの時代のどの場面でも存在し得るものであると言う概念を持っているのであり、自由の概念が「先に契約の無い事」「負債を負っていない事」に有って、その状態が貴族だった事を考えるなら、今の時代に有っても貴族の要件を叶える者は存在し、日本人がもしこの国が瓦解した時誰を頼るかと言えば、天皇にそれが有るなら、日本人は意識しようとしまいと、薄い立憲君主制に在る。

そして内閣総理大臣が日本で一番大きな権力を持つなら、ここでは擬似君主制も擬似貴族制も民主制も存在し、簡単に言うなら今のこの日本の状態でも「三政共存」に在り、このことが何を意味しているかと言えば、君主制も貴族制も民主制もどの時間帯の何を見ているかに過ぎない、もっと解り易く言うなら、「何も存在していない」事を指しているのではないだろうか。

また天皇の輔弼事項と言う考え方に付いては、「天意」と言うものを考えるなら解り易いかも知れない。
天意とは天皇、人、雨や晴天などの気候、或いは風に揺れるススキに同じものかも知れない。

明日関東に大地震が発生し、更に富士山が爆発し、東海地震が起こって日本海溝がもう一度大きく揺れ、これによって日本の中心が壊滅し、日本政府が政府機能を果たす事が出来ず、政治家も烏合の衆と化して生き残る事が精一杯の状態になったとしたら、日本人は誰を中心にして国家を再建しようと考えるだろうか・・・。

太平洋戦争敗戦のおり、日本の政治家や民衆は誰を頼っただろうか・・・。
皆自身の事を省みず、昭和天皇に泣き付いたのではなかったか、天皇とはこうしたことで有り、それゆえ国家そのもので有りながら、国家の上に在るものと言え、ここでは君主と言う言葉すら既に軽い。

天皇は「政治」ではない。

私は寡頭制の権威で「人間性」と言う権威が一番弱いと書いたが、この一番弱い権威こそが一番強力な「暴力」に対抗できる権威となり得る。
すなわち銃口を向けられても、私が日本国民である事実は変えられない。

民主制で有ろうが立憲君主制で有ろうが、はたまた独裁政権にしても、大日本帝国憲法に戻そうが今後25年間は、日本と日本民族は艱難辛苦に曝されるだろう。
人々は絶望の中で堕落していくかも知れない。

だが、私は日本を信じている。
いつかまた世界に冠たる国となる事を信じている。
この思いは政治によって変える事は出来ない。
これが私の、日本と言う国家に対する思いである。

[本文は2013年11月14日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください