「エンゲルの眠り」

1857年、ドイツの統計学者「エルンスト・エンゲル」(Ernst・Engel)が発表した、「収入に措ける食費の割合による貧富の差の分類」は後に「エンゲル係数」と言う概念に発展し、国家の豊かさの指標ともなったが、日本に措けるこの統計数値の指標が、他の係数値に拡散を始めたのは1992年からである。

人間が一日に食べられる食品の量は何十倍と言う誤差にはならず、生命維持の観点から必要最小限がほぼ決定していて、これに関わる出費が全収入に占める割合が高い場合、その原因が食物生産量の減少に有っても、または国家的貧困に有っても、どちらにしても経済指標が悪化している事を示す。

その反対に該当国家が豊かな場合はどうなるかと言うと、高額な食品を消費しても元々の収入が多くなっている事から、逆に一日の摂取食品量が大きな差を示さず、全収入に占める食費の係数は小さくなる。
つまりこの場合は「エンゲル係数」が小さいと表現される。

従って「エンゲル係数」は一つの経済指標なのだが、食の豊かさは確かに豊かさの概念の多くを占めるが、インフレーションの場合は一般経済指標に比例するものの、デフレーションの場合は反比例する場合が出てくる。

給料も下がるが食品の価格も下がるのでエンゲル係数は上昇しないばかりか、「貧しさの中の豊かさ」が発生してくるので有り、住宅購入や結婚を諦めるなど高額消費が諦められた結果、せめて食べるものぐらいは豊かにしよう、或いは自分へのご褒美と言う考え方もそうだが、「過剰摂取」が出てくるので有る。

エンゲル係数の概念は、どちらかと言えば必要最低限に近い係数を平均としている事から、過剰摂取され体重が増加し、その為にダイエット食品を購入した時、この消費はエンゲル係数の概念からはダイエットの為の食品消費、消費の為の消費と言う本来のエンゲル概念から拡散を起こすので有り、この概念で言えば「貧しさの中の豊かさの貧しさ」と言う事になる。

また結婚を諦める事を高額消費の断念と表現するのは、子供一人を大学まで出した場合、その子供にかかる最低経費が2300万円で有ることから、結婚式の費用と言う消費を含めると、ここから行政が税金から支出して行うサービスを差し引いても、結婚を諦めた時点で2人の男女は子供一人に付き合計で1570万円の消費を断念した事になり、これを男女1人ずつに換算するなら、785万円の消費が消失する事になるからである。

現在の日本の国内景気の悪さは単に高齢化社会の負担ばかりではなく、結婚や子供を産む機会を逸している事にも原因が有り、また一方食料の問題はその国家の国際的な力関係を示してもいて、これからはますますエンゲル係数が混沌に突入してくる。

日本経済は自動車などの輸出産業で外貨を稼ぎ、これを元に経済が構築されているが、その反面米などの農産物には高額な関税が設けられ、それによって日本の食糧自給率は2013年の時点でかろうじて39%を維持しているが、国際社会からすれば「自国へ車を輸出するときは日本を優遇しているのに、こちらから米が売れないと言うのはどう言う了見だ」と言う問題が起こってくるのであり、これがTPP交渉の基本的な問題部分となる。

だが米の消費市場はその大部分がアジアに有って、しかもそのアジアでも年々消費が縮小している所謂ローカル市場であり、ここに例えば自動車などの国際市場と同じ原理を持ち込めば、少ない消費市場にグローバル化された大市場原理が流入する事になり、結果として小さな市場は大きな市場に呑みこまれてしまう。

米の生産者価格では日本で60kgの米を生産する経費は政府支出を差し引くと10180円だが、これがアメリカだと1900円、ベトナムに至っては60kgの米を1100円台で生産出来る。
同じように牛乳1リットルが日本では80円、これがオーストラリアなら18円で、この40年間に豚肉の自給率は52%から16・3%にまで下がっている。

一方こうしたグローバル化に対応して高級な農産物の生産も始まったが、グローバル化は遠く、それらの高級食材生産量の輸出に占める割合は0・08%に留まり、中国市場人気が高い日本産和牛でも輸出量は総生産の0・2%くらいで、農林水産省はこうした輸出を倍増する計画を出しているが、倍増しても0・2%が0・4%になるだけの事でしかない。

加えて日本の現在の農産物の安全基準は世界最高水準だが、イギリス、フランス、アメリカでは遺伝子組み換え作物が既に表示義務すらなくなってきている。
ジャガイモやトウモロコシの種に殺虫成分が組み込まれたものが流通している現実は、TPPによってこれらのものが日本に入ってくる事を意味している。

その上でこれから先の日本の少子高齢化社会がもたらす経済的沈降は貧富の差を拡大させ、2013年の世界人口は72億人、これが2025年には82億人になると予想され、これらの中でエンゲル係数値が低い人口が10%、40%がギリギリ生活できる範囲、エンゲル係数的に破綻した状態が50%を占め、相対的に衰退した日本では、国内生産された安全な食物を輸出し、海外からの安くて少し危険な食料品を消費せざるを得ない状況が訪れる可能性が高い。

また少し前のアメリカ国防総省、国家戦略会議の話ではないが、地球温暖化によって発生する旱魃地帯と寒冷化地帯、気象災害の頻発などは食料生産の不安定要因であり、この中で日本の国内自給率はTPP加盟によって22%までに下落するが、1994年、2008年には実際に世界的な食料不足が発生し、それらの頻度は高くなってきている。

中東で発生した暴動の本質的な原因は民主主義の風ではなく、食料価格高騰によるものだ。

単純に中国と日本を比較しても14対1で有り、上位10位までが豊かに暮らせるとしたら、ここに入れる日本人は中国の14分の1になり、従って将来日本で生産される安全な食料を消費できる日本人は、500人に1人と言う事になるかも知れない。

TPP交渉で日本に残されている選択肢は貿易自由化の期限を出来るだけ長く、アメリカが提示している20年段階制限撤廃を利用し、その間に世界的な食料不足が必ずやってくる事から、そうした期を利用して再度規制を構築する事が唯一残された道となるかも知れない。

デフレーションにエンゲルは眠る。
そしてこれは他でも同じことが言え、
今の日本経済は貧しさの中の豊かさで有る事を覚えておくと良い。

[本文は2013年11月25日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。