「輪を広げる」

地蔵尊の広義的意味は結界に有って、事に村の外れに有るお地蔵様や道祖神は、その村や地域の内と外を隔てる最も内側の結界を意味している。

従ってこうしたお地蔵様や道祖神に供えられた供物は基本的「施」、救済されていない者へ捧げられた物と言う事であり、この意味に措いては貧しい者や飢えた者がこれを頂く事は道に反してはいない。
「天」はまた「人」であり、この中で窮した者がそれを摂取するは「天」の理とも言えるが、古来よりこれを戒めるのは「輪を広げない」為で有る。

飢える事の恐ろしさは「飢え」自体に有るのではなくて、気が付かない間に地蔵に供えられた供物に手が伸びている、その在り様にこそ潜んでいる。
つまり飢える事自体は決して悪いことでは無いが、その結果自身が持っていたそれまでの「他人の物を取ってはいけない」と言う世界観が、いとも簡単に無意識の間に壊れて、更に劣化したそれまでの制約の外側にまで広がった世界観がでて来る事に有り、これは基本的には知識も同じである。

「施」とは天、或いは万民のもので有るが故に自己もそれに関り乍決して自己に集約され得ないものであり、これを自己に集約、摂取するは本来の道を外れるが、飢えていれば広義的意味で「施」を受けるに資する事になる。

しかし飢えとは生き物皆が持つ共通した命題であり、ここにどこからがそれに資するか否かを個人の理性が判断してはならない事を示している。
それゆえ無意識の内にそれを摂取するほど飢えている者の摂取は天意、または仏の慈悲の下と言う事が出来る。

これは一つの堕落であり、それが堕落で有る事を知る者は「施」の光明を知る事になるが、一般的には一度甘えるとそこから立ち直る事は難しく、その倫理観や道徳観念は制約と言う輪を壊し外側に広がって行き、最後は事の本質を消失せしめる。

同様に人の言う知識とはまた一度これを得るとそこに甘え、同義の事に付き考えなくなるばかりか、やがてはその知識によって更なる大きな疑問が生じてくる。
ここに知識もまたそれまでを壊し、更に自身が無意識に持っている制約を壊し続けながら外に向かっていくものと言え、この在り様は本質的に飢えの持つ外に対する壊れと同義であり、事は森羅万象の一つの理と言える。

腹が減ると言う事は、生きていれば程度の差は有れ皆に共通した事だが、丁度盗みを重ねるとやがてはそれに対する罪悪感が薄れていくのと同じように、一度崩壊すると飢えに対する甘えも大きくなって行き、それはまるで幾重にもなった城の塀が内側から次々壊れて行くに似て、しかもその事が無意識に進んで行く。

飢えの最も恐ろしきはこの無意識の輪の広がりに有り、飢えは単に食物にだけに留まらない。
その人の生きるあらゆる所に存在し、善意や愛情、信や義、「施」の中にすら存在し、飢えた者はひたすらこうしたものを求めて彷徨い続ける事になる。

一方知識もまた基本的には「他」からの「施」で有り、この他と施が持つ公共性はいつしか公のものを自己のものと思わせ、結果として自分の持つ知識の源を考えないようになる。
インターネットの情報とこの情報に群がり、我こその意見が正しいと口にする者は、今一度その知識がどこから来ているか考えるが良い。

おそらく自分のものなど一つも無く、しかもひたすら餓鬼のように追われて情報を求め彷徨う姿が見えてくるはずだが、これを自覚する事は難しい。
従って無意識の内に堕ちて行っている、倫理や道徳と言った制約の輪を広げている事に気が付く事は無い。

そして「輪が広がっていく」と言う事は、それまでが壊れて新しいものがでてくる事を意味しているが、この新しいものとはそれまで人間が持っていた制約を壊して外側に広げたものにしかならず、この意味では崩壊なのだが、生物としてはより本能的な部分へと回帰して行く事になり、ここに人はコントロールを失った状態を迎え、仏法の言う末法の世界とはまさにこの状態を指している。

日本は1993年、経済的飢えからついに地蔵に供えられた饅頭に手を延ばしてしまい、それから以降「仕方が無い」と言い乍どんどん自己抑制の輪を広げて来てしまっている。
今では伸びきったパンツのゴムのように、既にそれが下着としての用途すら果たせない状態となっている。

世界遺産登録、その経済的効果は・・・・。
オリンピック日本誘致、その経済的効果は、日本に力を・・・。

の、ような馬鹿々々しい事が、ここ数年でどうなったかを考えるなら、こうしたものは本来の経済的効果とは無縁の思想から始まるべき事を誰も思わず、他者の情報や考えをあたかも自身の考えのように思い、その事を省みる事すら出来ない在り様だったと言え、まさに飢えから救われない者、「餓鬼」と言うものだった。

道徳や倫理と言った輪が壊れて広がって行き、その一番外側の輪の外に在るものは「虚無」と呼ばれるものにして・・・・。

[本文は2014年1月7日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。