「SEO」

全く未知のものの中を一度でも通ると、そこの環境はその分だけ変化し緩くなり、それが繰り返されると更に環境は「緩み」と言う変化を起こし予測不能の未来をもたらすが、行き着く先は一番最初に存在した全くの未知、混沌、無、途中で派生した法則の消失である。

ネット社会に突入した21世紀に措いては、本来企業が生産する製品の質やサービスと共に、溢れて埋もれる情報の中で、一般大衆にいかにして自社の製品を知らせるかと言う事が重要なポイントになってくる。

つまり情報の海の中で自分の位置を知らせる必要が出てくるのだが、これは本来善意の者が全て有れば道が出来ていく過程に同じである。

即ち多くの者が通る所は大きな道になり、誰も通らなくなると道は草木に圧されて消失する事になるが、ここに位置だけ知らせれば要が足りるとするなら、道を歩かずに道を歩いたように見せかける事でも成立し、仮想の道を創り、更にその中で出来てくる法則性を使って道を創る作業を「SEO」(検索エンジン最適化)と言う。

ネット社会の道は実際に物理的に存在する道の上を走りながら、その実正確に実存する道とは重なっていない。

皆が過大申告する結果、申告の内容が本来善性のものでも信頼を失った状態で漂い、この中で善性の有る者は節操を持つことから逆に埋もれ、不正な者、非善性に有る者ほど自己宣伝に務める事から、情報の質は低下し、最後は実際に生産しているか否かの確認、工場や会社存在の確認作業と言う、最も初期の企業信頼に原因が帰結するのである。

この点では株式相場やテレビなどのマスコミ関係も同じ法則の中に有り、こうした大原則の中で目先の傾向を法則と考えるのが株式相場の「デリバティブ」であり、企業で言えば工場に相当する実際の取材と検証を怠ったマスコミの在り様は、「浮き草」状態になる事は必然だった。

どんなものでも何度もやっていれば、そこに有る程度の傾向が見えてくるようになるが、これが「環境の緩み」であり、この緩みはそれ自身によって先に混沌を開いていく。

従ってこうした傾向を法則と考えても、その法則は長くは続かず瞬間の未来で変化が必定のものである。

では何故デリバティブが一定の安定や定着を示し、「検索エンジン最適化」が不安定なのかと言うと、時間経過が一番大きな要因である。

即ちデリバティブはその当初、知る者が少なく知らない者が多い状態で、この中での利益と損益は極端だったが、現在のそれは一定の混沌をくぐり抜け、初期の何も無い状態に近付いている為である。

だから利益、損益の幅も小さく、これは結果として本来の株取り引きの大きな流れのすぐ近くを走っているからだが、「検索エンジン最適化」はこうしたデリバティブよりも更に道を外れたところを走っていて、しかもSEO(検索エンジン最適化)対策と、これを設定する側は常に追いかける側と逃げる側に分かれて、言い換えれば検索サイトはどうしたら正確な企業の情報をトップに持って来れるか迷い、そこをどうしたら楽をして検索トップになれるかを考える者が追いかけている状態に有る。

こうした状況の中では、例えば企業が良い製品を製造したとしても検索サイトの下位に有ったとしたら、それは深海に沈んだ状態になり、誰も知らない事になってしまう。

それゆえ企業は自身の製品を何とかして海の上に持って行き、人の目に曝されるところまで浮かんで行かなければならないが、これには膨大な時間と経費がかかる事から、沈んでいる状態から引き上げてくれる者の力を借りようと考える。

ここから沈んだ者を引き上げてくれる専門家が生じ始め、企業は効率性を考えると専門家に依頼せざるを得ないが、この努力は本来それぞれの企業が信頼と実績で築かねばならないものを、仮想世界で築いたように見せているだけである。

インターネットの構造は「スケールフリー」である事から、瞬時に一箇所に集中し、それが短時間で全く別の空間に移動し、その引っかかった一箇所に集中していく性質を持つが、この構造の中では常に一箇所が集中を独占する事は出来ず、非常に短い時間で独占状態は次に移行していく。

従って常に検索サイトの上位を占める条件は特殊性と、それを支えるアクセス数、リンク数になってくる。
この事からSEO事業会社は何等販売実績や製品を知らなくても検索サイトの上位掲載の傾向が分かれば良い事になる。

そこに製品の質やサービスの質は関係ない事から、ただリンクやアクセスを増やすだけを目的とし、これを利用してSEO対策事業を企業に販売するが、この根拠は全く不透明であり、例えばグーグルなどは以前はアクセス・リンク数を基準としていたが、最近は「最新」を重要視しているとも言われ、この意味ではSEO対策事業が一つの傾向を見出す頃には、検索サイトはそこから逃げようとして行く傾向に有る。

SEO事業会社が傾向を見出したと言う事は、その時点で検索サイト上位の価値が失われてきた事を意味し、言い換えれば現実に検索サイト上位に位置しなければならない企業と、そうではない企業が対等になってしまい、検索サイト上位の信頼が失われるからである。

そしてスケールフリーの持つ瞬時にして移動する構造と、こうした検索サイトの矛盾を考えるなら、SEOと言う概念が非常に短期的に変化していくネット社会の現実と相反する関係に有る事を意味する。
つまりはSEOは全く意味が無いと言う事である。

余談だがむかし、新しく赴任した銀行の支店長がたまたま私の知り合いだった事が有り、彼と話していたら行内に全くみすぼらしい身なりで、畑からすぐにやってきたような野良着姿の高齢婦人が入ってきて、彼女の姿を見た女性行員達は皆親しげに挨拶をして、私の知り合いの支店長までもが私との話を中断し、挨拶に行くと言う光景を目にした事が有った。

後に聞いた話だが、くだんの高齢婦人は毎月3万円ずつだが既に40年にも渡って一度も遅れることなく貯金を続けている人だと言う事だった。
そして知り合いの支店長の言う話では一度に数億円を預金する者と、例え一万円でも何十年にも渡ってそれが継続される者では、銀行に措ける信頼は後者の方が勝るとの事だった。

検索サイトトップになったからと言って物が売れるのではない。

確かな製品と顧客の信頼を裏切らないサービス、これこそがいつの時代も変わらない企業に措ける命題、地味ながら検索サイトすらも切り裂く究極の検索エンジンと言うものかも知れない。

[本文は2014年2月12日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。