「災害に措ける等価性」

国債の発行に関する古典理論でも出てくる「等価原理」だが、この原理は元々熱力学での絶対性から考えられたもので、我々が存在する宇宙もこうした基本原理から成り立っていると考えられている。

 

いやそもそも宇宙の基本原理だからこそ、熱力学や経済理論でも同じ傾向を示すのかも知れない。
人間の文明は物質と生物、正確に言うなら無機質と有機質を決定的な区別を持って考えるが、運動の原理が異なるだけで有って、その本質は同じものである。

 

我々人間は生きている事と死んだ状態を区別するが、生きている状態と言うのは物質や有機質が集中している状態で有り、その運動に関しては捕食も含めて一つの運動形態に過ぎず、自発的に動いているように考えるかも知れないが、広義では環境や状況によって運動をしていると言える。

 

この点で人間が死ぬと日本では火葬して熱エネルギーと煤煙、灰などに集中は分散するが、全てのエネルギーと残った物質の合計は生きていた状態の総エネルギーに等しい。

 

つまり地球規模、宇宙規模で考えるなら人間は生きていても死んでいてもエネルギー総量は変わらず、これが変化しているように見えるのは、時間経過によるエネルギーの分散や次の集合変化、変質と移動がそう見えているに過ぎず、全てのエネルギー総量は変化していない。

 

また運動形態も、火葬された遺体の灰が風に漂って動くその原理と、人間が理由を持って移動する原理は「粗等しい」と言える。

 

我々が移動する原理は基本的には生活する為、生きて行くためのものであるとするなら、その生きて行くための環境、時間経過に措ける状況によるもので有り、広義では環境や状況によって動いていると言え、この運動と風に舞う灰の運動原理の間には明確な差異が無い。

 

いやそんな事は無い、人間は自発的に動いていると言うかも知れないが、我々が動く時、細かく言えば心臓が動いている原理はその個体生物の意思で動いているのではなく、本質的には運動原理の存在意義は分かっていない。

 

何故生きているかに理由はなく、我々が意識する自発行動とはその人間がそう思っていると言う事に過ぎない。

 

それゆえ実際の世界、宇宙はこうして人間が普段は分離して考えている事柄が渾然一体になっている事に気が付かない。

 

自然現象、気象に措いてもエネルギーの等価原理の中に有って、地球的規模ではエネルギー総量は変わらないが、それがどこに出てくるかは混沌の中に有り、それは時間経過と共に変化し、全く同じものは二度と再び現れない。

 

昨年末から主に日本海で深海魚が定置網にかかったり、やはり同じく深海生物の大王イカが捕獲された報告が出ているが、山口県萩市では2014年2月17日から20日までに9匹の「サケガシラ」と言う深海魚が捕獲されている。

 

島根県松江市、鳥取県、石川県、福井県、新潟県沖、佐渡島、秋田県沖、そして今回の萩市の事例を考えるなら、これはもはや通常の状態を超えている。

 

地震ではないにしても、明確に何かが海底で起こっている事を考えなければならない時期に来ている。

 

等価原理は自然事象とその兆候現象でも同じ傾向が有り、こうして異常な現象が発生する場合、大きな地震が来なくてもそれに匹敵するエネルギーの変質が起こって来ると言う事である。

 

人間はその被害程度を金銭的換算で表すが、何らかの異常兆候は金銭換算上同じ損失となるものが発生してくる。
つまり大きな地震が発生しなかったとしても、それと同じ被害金額を被る可能性のあるものが近付いている事を示していて、この点ではその被害が地震で有るか否かには関係が無い。

 

だが全ての混沌、カオスはフラクタル性を持っている事から、自然現象の異常と災害の関係式に措いては、全く同じものは無くても、その変化は前の傾向に近似値を持つ。
この事から科学的根拠を類推できなくても、古来からそこに因果関係を見てきた人間の伝承と、実際の災害発生の因果律は全く無関係とは言い切れないものなのである。

 

2007年に発生した能登半島地震、それに追随して発生した中越沖地震、この少し前から日本海側ではいろんな異常が発生していたが、実際に地震が発生した後も日本海側の異常現象は続いていて、そして太平洋側の日本海溝で大きな地震が発生した。

 

日本海側の特定の地域で異常現象が発生している場合は、その地域を震源とする地震発生の確率が高いが、こうして日本海側全体で長期に続く異常現象は太平洋側の大きな地震発生の確率が高く、また東南アジアで大きな地震や火山の噴火が始まって5年以内に、日本で大きな地震が発生する因果関係も薄い確率で存在する。

 

日本は先の日本海溝地震で何かが終わったような、何かが去って行ったような気になっているかも知れないが、自然現象に終わりは無く、それは日々少しずつ変化しながらも必ず次が用意されているものなのである。

 

深海魚が異常に多く捕獲される事案をして「そのようなものは迷信だ」と言う事は容易いが、この宇宙で全く独立した存在と言うものが有り得ない様に、実際に発生してくる異常現象は「何か」を指し示しているのであり、ここで古来より言い伝えられてきた事を最優先に警戒する事は決して合理性を排したものとは言えない。

 

異常現象と災害の質は人間の意識の中でしか存在しない区分であり、本来発生する異常がもたらす未来の変化を人間が利することが出来ないものを災害と呼び、それによって利するものを恩恵と呼ぶが、この両者は同じものである。

 

しかも発生する異常に見合った未来の変化は何が起こっても等価であり、ここで経済を至上と考えるなら、この経済が最も大きな打撃に感じられ、尚、経済が疲弊している時はその災害の代償はとてつもなく大きなものとなる。
関東の地理的、歴史的周期は400年、200年、77年だが、こうした周期はどの瞬間にも当てはまり乍、どの瞬間にも全く一致することは無い。

 

それゆえ周期による未来予想はいつも外れ乍にして、全く外れる事も無い。
因果律は存在していない事と決定的に違い乍、まったく同じものなのである。
「本文は2014年2月23日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]
T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。