「国定信用貨幣論」

かねてより金銀の産出量低迷が常態化し、市中に小判や銀貨の流通量が低下、その上に制限のない将軍家の散財、人口が増加し、経済規模が拡大しようとしていた江戸は経済危機を迎えていた。

ここにその抜群の経済センスで頭角を現してきた「荻原重秀」は、1695年、小判の金の純度を減らし、小判2枚から小判3枚を鋳造、また「寛永通寳」も薄く小さくし、市中通貨量を増加させた。

大幅な金融緩和、元禄バブルの始まりである。

国定信用貨幣論、MMTは最新の経済理論のように思うかも知れないが、同様のものはこうして300年前の日本、19世紀のヨーロッパでも見られた、しかも経済が困窮したら発生してくる考え方と言える。

そしてこれには条件が在り、経済が国家内に閉じている事、自給自足が可能な国家である事、他国経済の流入がない事などが必要だが、これはどう言う事かと言えば、「鎖国」状態と言う事であり、逆に言えばこうした経済を導入すると封鎖経済に向かっていくと言う事である。

原理は簡単だ。

我が家で子供たちに出している「肩たたき券」は、我が家内では1枚50円での換金もできるが、隣家ではその50円を保障してはくれないと言う事だ。

その為こうした経済観念は、どうしても経済をブロック化させ、対立の危機を招き易い。

1923年に関東大震災に見舞われた日本は、1930年には世界恐慌の煽りを受け経済危機が発生、高橋是清は通貨供給量を増やし、これに拠って日本は世界で最も早くデフレを切り抜ける。

これを見ていた日本の軍部は、「何だ通貨など国家で有れば何でも出来るんだな」と錯誤し、政府に軍事費用増加も紙幣の増刷で何とかして貰おうと言う方向に動いていく。

元々デフレ脱却の非常手段、例外的に政府と中央銀行の一体化、紙幣増刷に拠る金融緩和を想定し、これが長く続けば破綻する事を理解していた高橋是清は軍部の要求に難色を示し、これに拠って高橋是清は暗殺され、日本は金融緩和、財政ファイナンス状態から抜け出せなくなり、太平洋戦争へと突入して行く。

リスクとは、想定した期間内に何も他のアクシデントが発生しなければ、大きくはないものなのだが、人間社会とこの自然相手にアクシデントのない状態は存在できない。

また人の世は怠惰、卑怯、劣化、甘えの世界であり、元禄時代も荻原重秀の手法に味を占めた幕府は、将軍交代時のセレモニー費用までも、通貨の劣化鋳造で何とかしてして行き、1930年代の日本でも通貨発行で銀行を助けたのなら、増大する軍事費用も通貨発行で何とかしてくれと言う話になり、調整機能である政治はこれに優劣をつけられなくなる。

その上に国家と中央銀行が一体化している財政ファイナンス状態は、外部、自国以外の事情にとても脆く、一度足を踏み入れると容易に抜け出せない。

荻原重秀の財政ファイナンスは、後に「新井白石」の登場で方針転換されて行くが、急激な正常化と粛清は経済の急激な萎縮を招き、経済は一挙に低迷し民衆の暮らしは苦しくなる。

そこでまた揺り戻しを起こすのだが、こうした上下を来り返すと、国定信用貨幣の国の信用が失われて行き、長く暗くて苦しい生活が続いた挙句「破綻」して、それまでの秩序や経済システムが崩壊する。

元禄バブルの付けは100年の長期低迷、最後は黒船の到来で江戸幕府の崩壊で在り、1930年代の軍国財政ファイナンスは国家存亡の危機に繋がり、太平洋戦争敗戦で日本が何もかも失って終わった。

こうした傾向は少しずつ事情は違っても、世界各国同じ経験を繰り返して今日に至ている。

それゆえ第二世界大戦終結後の世界は、国家と中央銀行が一体化して、政府が無制限に好きなだけ、通貨発行可能な財政ファイナンス状態に陥らない事を誓い、これを国際経済ルールの基本と規定した。

現代社会ではバブル経済以降長期低迷が続く日本に対し、世界が一時的に財政ファイナンス状態を容認した。

これが「アベノミクス」であり、日本は国家会計上やってはいけない政府と中央銀行の一体化を進め、デフレに対して通貨発行量の増加をして対処し始めた。

そしてこれは戦争と同じでも在るから、目的と期限が設けられたが、それが2年と2%の物価上昇率だったにも拘わらず、目標は容易に達成できず、継続されていった。

財政ファイナンスの弱点は人の心の弱さと、甘え、怠惰で在り、またその国家外の事情と、災害などのアクシデントに拠って進退が極まる。

どの時代もどの民族でも同じだった。

アベノミクスで始まった異次元金融緩和は、今や抜け出せない状態になった。

コロナウィルスと言うアクシデント、ロシアのウクライナ侵攻に、NATO境界線の変化、中国の台頭、気象、災害に拠って常に緊急事態が連続し、金融緩和は継続すると国定信用が低下し、日本の財が海外から買い叩かれてしまうし、辞めれば惨めな暮らしが待っている。

戻る事も進む事もできずに、国民の暮らしは放物線的加速で困窮して行くだろう。

2022713日、日本の鈴木財務大臣が元FRBのイエレン議長と会談したおり、現状を憂慮していると、まるで人事のような話をし、暗に協調介入で円相場を支えて欲しいような発言をしていたが、イエレン議長は薄い笑いをしていた。

日本銀行の黒田総裁が金融緩和を継続すると発言した直後から、円相場はドルに対して下落したのであり、アメリがこれを助ける義務はない。

むしろ先に「金融緩和状態を何とかしてから来てね!」と言うのが人としての全うな在り様だろう。

自分に都合の良い事情を相手に期待して物事を考えるような在り様は、太平洋戦争に突入する前の日本政府と全く同じに見える。

日本のこの先はもう決定している。

円相場の下落に拠る物資調達コストの上昇、国際的な資源産出量低下に拠って、需要はあっても生産ができない状態、そこへ通貨の円だけがどんどん入ってきても、通貨は出口がないから飽和状態になる。

便秘で苦しんでいる上からケーキ食べ放題の店に行って、泣きながらケーキを食べている、そんな状態と言え、その先に待っているものは誰もが想像できるだろう。

国定貨幣信用論は、外の事情に弱い、国家間の対立を生みやすい、人間の意志の弱さに拠ってコントロールが不可能になる、アクシデント、災害に脆い、そして一度始めると辞める事が出来なくなり、結果は必ずの破綻である。

150年前は江戸幕府の崩壊、75年前は太平洋戦争敗戦によって日本の財政ファイナンスを終える事が出来たが、令和の現代ではやはり戦争か、巨大地震か、気象災害でリセットなのかな・・・・。

それまで日本国民はずっとインフレに晒され、賃金はデフレのまま、毎年苦しくなりながら、崩壊を待つ事になるのだろうな・・・・。

「200年も前に最先端の経済論を理解していた事は驚きである」

ウキペディアでは荻原重秀をそう評しているが、これは些か現代を大きく見積もり過ぎているような気がする。

結局のところ、困窮すると節操を失い、既存秩序を壊してしまうのが人間の業であり、それが単純に繰り返えされ循環し、たまさか今世紀前後に同じ状況が現れ、同じような考え方がまた現れて来ただけだと思う。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。