「めあかし」

日本で初めてボーナスが支給されたのは1876年(明治9年)の事で、当時の三菱商会はこの時西欧と何等遜色の無い金額、またその基本精神も欧米型のボーナスに近い意味での支給を実行している。

日本では江戸商家の慣習で「仕着」と言う制度が有り、これは「盆」と「暮れ」に商家の当主から奉公人に配られた「心付け」であり、「故郷に帰省するなら着物の一枚も買い、土産の一つも持ちなさい」と言う意味のもので、辞書などではこれをボーナスの起源としているものも有るが、本質的には「仕着」と「ボーナス」は意味が異なる。

「仕着」はあくまでも「経営者の気持ち」だが、ボーナスは「特別給」で有り、実行された仕事がもたらした成果に対し、給与とは別に一時的に支給される報酬である。

この意味で三菱商会の「岩崎弥太郎」が社員に支給したボーナスは、「仕着」の慣習とは一線を画するものと言えるが、三井、住友など同じ三大財閥でも300年以上の歴史が有る財閥も、後年ボーナスを支給するようになった事から、商家の「仕着」の歴史が踏襲された形と、欧米型のボーナスが一体化してしまった経緯が有る。

そして太平洋戦争後の日本は常にインフレーションに喘ぎ、生活はとても大変だった事から、こうした生活を助ける意味で、盆と暮れに一時金を支給する制度としてボーナスは定着する事になった。

輪島塗の世界でボーナスが一般化するのは1965年(昭和40年)前後で、それまでは江戸商家の「仕着」に近い制度で「めあかし」と言う慣習が存在していた。

これは塗師屋(漆器店)の親方(店主)からお盆と暮れに職人や弟子たちに配られるボーナスだったが、その内容はあくまでも気持ち程度のものであり、更には親方の恣意性で金額が決まっていたりするものだった。

この意味でも査定が有るボーナスと「仕着」の差は有るのだが、面白いのは「めあかし」が弟子には二重制度になっていた点である。

塗師屋の弟子には親方からと、そこに勤務している職人達の両方から「めあかし」が出ていたのである。

仕組みとしては親方から職人や弟子たちにボーナスで有る「めあかし」が配れるが、弟子のそれは修行中の身なればとても少なく、為に職人達は貰った自身の「めあかし」の中から僅かずつの金額を集め、それを更に弟子への「めあかし」としていたのである。

みんな通ってきた道なれば、その苦しさや厳しさも解っている職人達ならではの制度が存在していた訳だが、これが欧米型の雇用制度が確立し、やはり欧米型のボーナス概念が一般化する1975年(昭和50年)前後には、消滅に向かって行き、ボーナスは雇用主に一本化されて職人達から弟子への「めあかし」は無くなった。

つまり輪島塗り独自の制度で有り、言葉だった「めあかし」はこの時点で消滅したのである。

「めあかし」の語源は「目明かし」とも「目灯し」と言われるが、その意味するところは「供え物」「燭台に火を灯す」「良い方法で注意を喚起する」である。

少ないが金でまたやる気を起こさせると言う事での「目明かし」、目標が出来たり、少しだけ眼前が明るく感じることが出来ると言うニュアンスの「目灯し」、この両者を包括して自然と「めあかし」の制度や概念ができて行ったのだろう。

だが今はもう失われた言葉である。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 若い頃働いていた会社は、月一で営業会議らしい物が有り、当月の収支報告もありました。一定の金額以上の営業利益が有ると、臨時の「大入り」のような手当が、現金で支給されました。円高が昂進した時期と景気の上昇時期が重なった頃、月給の数分の1ぐらいが、何回か出たことが有って、楽しかったですよ、人生には希望が必要だ(笑い)

    習慣が時代と共に変遷して、伴って言葉も段々忘れられるのは、やむなしと思いますが、
    その智恵も、忘れられて、底浅な単純な理解だけが支配するようになって、今の国会の様に空虚な野党連合の内閣不信任が出て、与党他から、軽く否決されてお終い・・あの人達は馬○なのでしょうか(笑い)

    戦争、飢餓、憎悪、奴隷・・などの言葉は、人類が生存している間は、行為も続くし、言葉も忘れ去られる心配は無い(笑い)、平和、安逸、友愛、自由なども、有るべき未来像として、続きそう。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      必要が有るものが出てきて必要ではなくなったものが消えていく、これはこれで良い事なのだろうと私は思います。
      しかし今の老人文化は「伝統」或いは「文化」と言う観点から形式や箱を残そうと考える。自身が懐かしく思うそのキーワードを伝統や文化と考えると、今の映画のセットのような街並みになるような気がします。大切なのはやはり「人間」であり、これはおそらく形ではないもの、説明できない現実に即した在り様と言うものなのかも知れません。国会も同じで議会と言う形だけを考えるなら議論は大切ですが、その議論が誰の何の為のものかを考えるなら今の国会のような在り様は出てこない。言葉をどんどん軽くする総理などは論外です。遠からずまた目に涙を浮かべて虚ろな顔をしなければならない時がやって来るでしょう。
      戦争、飢餓、憎しみに理不尽はある意味生物の基本であり、仰るようにこうした事が無くなる事は無く、無くなったときは生物としての何か大切なものを失って滅んでいくような気がします。そしてこうしたものの対極にある自由、平等、平和は、これが有るから戦争や憎悪、飢餓や理不尽に繋がるのではないか、そんな事を思います。

      コメント、有り難うございました。

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