「Never give up」

相対性理論が発表された時、この理論を理解できる者は世界で8人くらいしかいないと言われ、その8人の中に理論の発表者であるアインシュタインは入っていなかった。
彼は理論の構築者であり、計算などは知り合いの数学者に頼んでいた為である。
「小母方晴子」理研ユニットリーダーの論文は生物科学上の相対性理論に匹敵する。

 

現段階に措ける世界の生物科学、細胞学の方向を逆流させる程の発見であり、この発見によってこれまで他の研究者や企業、大学が研究していた成果は全て水泡に帰する事になると、そう考えるのも無理はない。

 

従って論文の手続きを突いて、あらゆる反証を起こす動きも出てくるが、新しい理論、それが従来の常識を覆すもので有れば有るほど周囲の理解は得られず、ここで大切な事は「包装」を綺麗にしなければならないと言う事である。

 

由緒ある珍しい骨董品の価値などは一般人には中々理解しにくく、為に箱書きや残された書、或いは作者名や印璽などで計らねばその価値が立証できない。

 

STAP細胞を正確に理解できる人間は今の世界に何人存在するだろうか、恐らく一人もおらず、小母方リーダーですらその現象が何故発生するのか解明できていないはずである。

 

それゆえ論文手続きの正確さによって、学会や社会が持つフレームに自身の研究を押し込める事で、或る程度出てくる反証を防御する事が大切だったが、この手続きを総合的にプロデュースする能力は研究とはまた別のものだと言う事である。

 

また世の中に一般的に知られている理論、或るいは数式などを文書解説する場合、その表現は個人による文書的特性が出にくく、ましてや英語力が高くない時、同一理論を英語表記した文章をコピー&ペーストしたとしても、これが著作権や論文を盗用した事になるか否かは難しい。

 

即ち研究論文の価値は研究の成果に有って、表現に価値が存在しない事から、余りにも一般的な理論、研究者内で知られている理論を解説表記した文章には元々著作権が存在しにくい部分が有る。

 

簡単に言えば微積分の解説を私が書いても、他の人が書いてもそう大きな変化が無く、微積分に関して私が著作権を主張しにくいと言う事である。

 

研究論文だからと言って全て自分の言葉で表現する事は不可能であり、ここでは研究本体に影響が無ければ他者の解説や研究事例を織り交ぜ、それが一般的なもので有れば特に引用した文章に引用先を表記する手間を省略しても良いように私は思う。

 

そうしないと唯でさへ膨大な情報表記が煩雑化し、写真などの掲載も本論に偽りが無ければより鮮明に写った過去の写真を掲載する事も考えなければ、そもそも論文化する意欲を失ってしまう。

 

素晴らしい抹茶碗は焼けたが、字が上手くなくて箱書きが出来ず、その箱書きが無ければ世の中が理解してくれないと言うのは大変非合理的な話になる。

 

新聞やテレビが動画サイトから情報を引用し、それで飯を食っている今日、政治家が平然と公約を破って世の中を欺いていながら笑っている今日、最先端の研究者の手続きの甘さを突いて、社会全体がこれを攻撃する事の正統性を私は見い出す事が出来ない。

 

むしろSTAP細胞と言う非常識に挑戦した小母方リーダーは、論文の在り様でも最先端を突いたかも知れないと言う思いすら有る。

 

事象に措ける因果と結果、因果律に100%はない。
刻々と変化する宇宙の中で同じ条件だから全く同じ結果が現れることは厳密には有り得ない。
我々が見る因果律の絶対性は一定の時期、一定の範囲で現れているものに過ぎない。

 

ゆえ事象の因果律は常に可能性であり、この可能性を一定の確率で出現させる事が出来るものをコントロールと言い、一定の確率で現れるその確率を発見する事を「発見」と言うのであり、この段階でそれをおぼろげながらにでも見ている者は発見者だけである。

 

冒頭のアインシュタインの相対性理論でも、その理論の一部が立証されたのは発表から100年近く経過してからのものが有り、地動説を支持し異端審問にかけられたガリレオの名誉がローマ法王庁によって復活されたのは、彼が没してから500年の後の事である。

 

STAP細胞は小さな発見ではない。
これまでの秩序を壊し、そこに新しい秩序を開く可能性の有る発見であり、この技術が確立されたなら、全人類に大きな恩恵をもたらす発見である。
だからそう簡単には人々に理解されないし、また実験の再現も困難が伴うかも知れない。

 

小母方リーダーはSTAP細胞と言う未来への希望の扉を少しだけ押し開けたのである。
未来に対して希望の扉を押し開けた日本の若者を、みんなして追い詰めてどうするつもりか・・・。

 

確かに脇が甘かった事は事実だが、同じ研究者なら大きな発見で有れば有る程、その発表を急ぎたい気持ちは充分理解できるはずであり、また今日まで自分達が行ってきた研究がSTAP細胞の発見によってすべて水泡に帰するわけではない。

 

どんな事象も単独で存在する事は叶わず、これまでの研究の中にも等しく可能性が潜んでいる。
日本の若者が信じた可能性であるなら、我々も信じてやろうではないか。
一度見つけたSTAP細胞が見えなくなったら、我々も一緒になって探してやろうではないか。

 

それが日本人と言うものであり、若い者に対する年長者の在り様では無いか・・・。

 

おそらく今頃小母方リーダーは意気消沈しているだろう。
日本全体が世界全体が自分を攻撃しているように思えているだろう。
だが、私はたった一人になってもこの若者が見た希望を信じよう。

 

どれだけ時間がかかっても、もう一度語学の堪能な通訳を頼み、そして自分の言葉で文章を書き直し、誰にも文句を言わさない資料を揃えて論文を完成させて欲しい。
その天の才を持つ者には苦難を乗り切る義務が有る。

 

私は金が無いから大した事は出来ないが、それでもいつか完璧な論文を完成させた時、良かったらラーメンの一杯もおごらせて貰おう・・・・。

 

だから今は耐えて、自分が見たもの、希望を決して諦めるな。

 

[本文は2014年3月15日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

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