「未来に措ける形」

丸盆などの裏を見ると、その裏面の端に緩やかな傾斜が付けられたものが存在するが、こうした形式を「畳ずれ」、或いは「畳ずらし」と言う。

畳の上で盆をずらした時、その角が畳目に引っかからないようにと加工されるものだが、最初に正確に作って置き乍、後にその一部を消失させて成形する形の在り様は、絵画の抽象技法と同じ概念かも知れない。

抽象絵画の巨匠「Pablo Picasso」(パブロ・ピカソ・1881年~1973年)の絵は、初めから人物などの形が歪んでいる訳ではなく、その初期段階には正確なデッサンが存在し、それが彼の感性によって歪められたり、通常の色彩感覚とは異なるものとなって行った。

ここに正確な形とは何かを考えるなら、時間経過による動きが発生するので有り、物の形や色彩のどの時点を表現するかによって同じ形でも相異が出てくる。

ナチスドイツの独裁者「Adolf Hitler」(アドルフ・ヒトラー・1889年~1945年)は「廃墟になった時の美しさを思って街を作る」と言うような事を言っているが、この概念はある種の「究極」である。

どんなものも形有るものは必ず崩壊し、命有るものは必ず死ぬ。

だとしたらその物の本当の形とは何か、生きているとは何かを考えるなら、それは廃墟と滅亡に究極を求めざるを得ないところに辿り着くが、ではその形が廃墟に化す前の形は偽りか、生きている事が偽りかと言えば違う。これも「究極」と言うものだ。

つまり形有るものも、形なき姿も、生きている事も死んでいる事も同じ一つの事なのであり、これを分けて考えてしまったところに人間の苦悩が有り、形に対する固定観念が存在してしまっている。

丸盆の裏の周囲にひと鉋(かんな)の浅い傾斜を付ける「畳ずれ」の概念の原初は「自然減滅」であり、簡略に言えば、使っている間に自然に減滅して行く部分を最初に持ってきていると言う事である。

どんな平板なものも、それを長く使っていると周辺部分から擦り減って来て、最後は自然減少した傾斜が付いてくる。

そして物の形に永遠を求めるなら、この擦り減って傾斜が付いた形こそ最も安定した形と言え、物理的に頭で考えた平面の概念より自然がやがてもたらすだろう、その形の未来の形を今に現したと言う事になる。

人間は何かに付け合理的な説明を必要としたがるゆえ、「畳ずれ」でも持つとき指が入り易いように、或いは畳の上をずらすとき引っかからないように、と言うような解釈をして安心するが、これもまた一面の理で有り乍、それは自然減滅が持つ原理の中の一つ、集合で言うなら自然減滅と言う大きな輪の中に、人間が考える合理的解釈の小さな輪が入っていると言う状態かも知れない。

基本的に畳の上で盆をずらして人に茶や菓子を勧める事が現実に存在するかと言えば、これは微妙である。

もし自分がそうやって人から物を勧められた時良い気分がするだろうか・・・。

ずらしの動作の本質は簡略形であり、本来は持たねばならぬところを、その距離の短さゆえに大袈裟にならないようにとの考えから出るもの、或いは「余韻」である。

従って「畳ずらし」とは簡略形の為の究極形と言う一種の矛盾を生じせしめる。

本当の所は形の完成度が先に存在し、そこに後から説明を設けたと考えるのが妥当、若しくは「行き過ぎた考え」と言うものかも知れない。

また自然の摂理として平面の真ん中より周辺部分が外圧を受け易い事は物理的にも、領土的にも同じ原理だが、こうした事は物に付いても言える事で、周辺部分が減滅した状態は「進んだ状態」、「より安定した状態」となる為、本来人間の思考経路が正常な場合、正確な直角は「禍々しい」と言う感覚が付きまとう。

しかし昨今の世界的な造形を鑑みるに、こうした配慮の無い、余裕の無い造形が多過ぎる。

周辺部分が減滅したように自然な傾斜を持つ形が未来に措ける形を今に再現したものであるなら、正確な直角は「未熟」、今しか見えていない浅さと、その精神の余裕の無さや「注目を浴びたい」「何とかして金に繋がって欲しい」と物に訴えさせているようなものである。

丸盆など1000年の昔から存在しているものの形が未来を見ていて、現代の形が今だけしか見えていない。

なるほど丸盆が1000年経っても残っていて、今作られている物の形が数年も持たずに消えていくのは当然の成り行きと言うものかも知れない・・・。

ちなみに角の定義で、どれだけ突き詰めても角の数値が0になる事は有り得ない。

従って角もまた面の一種なのであり、この面に無数の角度を付け、見た目になだらかな丸い角を作る方法は円周率の計算式と同じものになり、キャンバスに一本だけ線を引くとしたら、その線がどこに引かれたら完全になるかと言う命題も、未だ人類はみつけられずにいる・・・。

[本文は2014年5月1日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。