「諸君らを歓迎しよう」

おかしなものだ・・・。
如何にして農薬を減らし、米の収量を減らさずに美味しい米を作ろうかと科学的に考えていたら、田植えの時期が、私が子供の頃に両親や祖父母がやっていた6月田植えに近付いてきた。

 

近年こうした田舎でも田植えの時期が早くなる傾向に有り、5月上旬には水稲の田植えが終わっているのが一般的で、しかもこれは高齢者農家ほど早く、田舎の農業従事者は殆どが高齢者である。

 

長く狭い社会に生きてきた彼らの中に有るものは、決して大きなものではないが点のように小さく、しかし深い競争心理かも知れない。

 

5月10頃に田植えを終えると何となく片付いた気はするが、この場合田んぼに散布する除草剤は初期剤を用いて最初の雑草を抑制し、更に5月後半にもう一度除草剤を散布しないと遅い時期に出てくる雑草を抑える事が出来ない。

 

早く田植えをすると2回除草剤を散布しなければならなくなるが、これが6月10日過ぎの田植えだと米の収量が減少する。
そこで私は今年、田植えの時期が5月25日から始められるように種を蒔いて育苗したが、これで初期に使う除草剤を1回使わずに済み、更に暑さの厳しい時期を僅かにかわして穂が出るように考えた。

 

でも気が付いてみれば何の事は無い、今では非汎用になったが、その昔から続いていた農業の形に戻っただけだった。

 

つまり現代の米作りは「無理をした形」だったと言う事なのかも知れない。

 

雑草と言う自然と天候と言う理不尽の中で美味しい米を沢山収穫するのは、自然や天候に逆らわないと言う事だったのかも知れない。

 

天候は逆らえば強大な理不尽だが、それに合わせて物事を行えば、まるでゆりかごに揺られているようなものである。
早く終わらせたい、楽をして、暑さを避けてなどと思うと天候や雑草は大きな理不尽になって返ってくるが、それを化学肥料や農薬と言う傘で防いでいたのが今の農業なのだろう。

 

いや農業に限らず万事が万事人の都合、経済至上の考え方で自分達が人間で有る事、地球や宇宙の中に在る事を忘れた不遜な有り様は、今は理不尽を合理性や科学で克服しているように見えても、やがて破綻を迎えるだろう。

 

田んぼに水を張って田植え前の仕上げの耕しをやっていると、私の田んぼにはカモメやサギ、トンビにカラス、ツバメにスズメやヒワなどが、おそらく100羽と言う単位を超えてドジョウやミミズをついばもうと集まってくる。

 

そして次々耕し終えた田を移動する私を追いかけて彼らも移動してくる。
その光景が余りにも珍しいのか、自転車でツーリングをしていた外国人達が、編み笠を被ってトラクターに乗り、その周囲を沢山の鳥達に囲まれた私を写真に収めたいと言う時が有った。

 

日本語が通じる者もいたので、私が彼らに最初に言った事は、「この道路は自転車専用道路ではない、私たちが税金を払っている生活道路ゆえ、自転車で移動する時は道一杯になって平行で移動するのではなく縦に一列で走行するのが日本のルールだ、日本の法を守らない者は歓迎されない」と告げると、彼らは皆納得したように頷き、写真を撮って行った。

 

20代の頃、スウェーデンを旅したおり、一般のスウェーデン人と一緒に施設に入ろうとした私に、彼らは「この施設は我々が税金を払って維持している施設だから外国人は入ってはいけない」と言われた事が有った。

 

またカイロではオランダ人は入れても日本人が入れない遺構が有った。
これらは一見差別に見えるかも知れないがそうではない。
その国家を維持している事に付き相応の負担をしている者、つまりその国家の国民は少なくとも外交人観光客よりは優先的に施設や国土利用の益を受ける事が出来る。

 

またその国家に措ける法の遵守は当然の事だ。
私は若い頃、世界の人たちにこうした事を教えて貰ったような気がする。

 

ユネスコの世界遺産の考え方はその当初、失われていく遺産を何とかして残そうと思う崇高なものだった。
しかし今日農業遺産と言うものまでも現れてくると、少し懐疑的にならざるを得ない。

農業は遺産ではない。

農業をしている私は遺産では無く、生きる為にやっている事だ

そして世界遺産を最も理解していないのが、その農業遺産を受けている地域なのかも知れない。

これで沢山人が来る、観光産業が発展すると言った事しか考えず、電飾を田んぼの畦に巡らしたり、観光の為なら何でも有りの状態になり、それが何故世界遺産なのかの本質、農業遺産なら農家まで駆り出しての観光アピールで、結局残さなければならない農業の主体を崩壊させる事にしかなっていない。

観光の為に地域が乞食になってはいけないし、小さな国内法くらいは目を瞑って我慢するのであっては、金の為に国を売っているようなものだ。
世界遺産の問題点はその運営団体もそうだが、それを受ける、受けようとしている地域が一番大きな問題点、破壊者になっていると言う事だろう。

 

そこには何千年も前から地域の人達が慈しみ、外国人をしてすらも、それらがテロや紛争で失われる事を畏れせしめた歴史的崇高さが失われている。

 

数時間後、やはり田を耕している私に手を振りながら、くだんの外国人ツーリング一行が帰って行った。
おそらく更に奥の村まで行ってきたのだろう。
今度はしっかり左側を皆一列で颯爽と走っていた。

 

「諸君等を私は歓迎しよう・・・」
彼らに手を振り返しながら、私は心の中でそう呟いていたかも知れない・・・。
[本文は2014年6月1日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。