「お瑕疵祭り」

英語などのグローバル言語が日本語や他の独自言語を侵食する過程で、侵食したローカル言語の影響を受け、また一般化して肥大したグローバルの中で価値が絞り込めなくなり、ローカル言語の非常にローカルな慣習や言葉にグローバル言語が大きな影響を受ける傾向が出てくる。
ちょうど宴席であらゆる事が話題になった後話題が無くなり、会話が非常に劣化した方向に向かうのと同じだが、このような状態を「価値反転性の競合」と言い、これが更に進行すると、例えば誰かが箸を落とした、唯それだけの失敗でも見つけて話題にするようになって行く、これを「切迫コミュニケーション症候群」と言い、今や世界中の情報通信は話題の為に情報を探す、「反転情報社会」となっている。

 

これは一見情報やコミュニケーションが発達しているように見えるが、その実情報が飽和し価値観を失った「情報デフレーション」と言うべきもので、不足しているものは実際に会って会話したり、或いは眼前に生身の人間の存在する基礎コミュニケーションで、本質はコミュニケーションの衰退、形骸化と言うものである。

 

2014年6月18日、東京都議会で発生した女性議員に対するセクハラ事件で、セクハラ発言を浴びた本人も賛成しての事件幕引き議決と言う結果を不思議がる国民も多いが、これはひとえに都議は眼前に人間の存在するコミュニケーションであり、SNSなどのインターネット上の意見は眼前に人間が存在していないコミュニケーションだからである。

 

両方のコミュニケーションは事件を巡って同じ場に立っているものの、同じものでは無いのである。

 

人間の脳は基本的に時間的、空間的な制約が無く、為に有限も無限も正確には理解できず、ここで発生してくるものは「他」が存在すると「収縮」、「他」が存在しないと「拡大」と言う傾向で、多くの者は実際の社会生活の中で「正義」「道義」「人間性」が蔑ろになっている事を我慢しながら暮らさなければならないが、これが個人だけの考えだけなら幾らでも道義や理性、人間性を考える事が出来き、次第に拡大していく。

 

「女の分際で・・・」「フン、能無し男が・・・」と思っってしまった瞬間からセクハラは存在するが、これが実際言葉になっていなければ相手は認識する事が出来ず、セクハラは成立しない。
そしてこうした思いを外に出させないものが、社会であったり対面する人間と言うもので、この意味では議会で女性蔑視発言をした男性都議は、自民党と言う安定集団の中で社会的緊張感を喪失していたと言える。

 

しかしセクハラ発言を実際に浴びた女性都議までもが、この問題の幕引き議決に賛成した事をネット社会の住人は不思議に思うだろうし、納得が行かないのは道理である。
何故ならそれは議会と言う人間関係の中にいないからであり、それぞれの個人感情だからである。

元々東京都議で発生したことゆえ、東京都民以外は全て部外者なのだが、これが今を煌くセクハラや女性蔑視と言うキーワード、つまりはグローバルキーワードに引っかかった事から拡大し、そこへ実際の人間に顔を合わせる責任の無い個人の事情や感情がより劣化した話題を求めて集まった事が原因で、ここで過激な議論を展開する者の本質は現在の自分の環境に対する不満である。

またSNSなどでしかコミュニケーションを持たない者は、そこで置き去りにされる事を恐れ、ブログを書いている者は何某かの記事を書かねばコミュニケーションが保てない事から、ネット社会に圧される様に記事を書き、賛同を得られて自身の居場所を確認する事になる。
飽和した情報の中でよりローカルでセンセーショナルな話題を探し、それに乗って自己アピールをしているが、大上段に構えた言葉の本質は軽い。
セクハラでもそれを被った当事者ならそれも理解できるが、全くの部外者が社会的道義を盾にこれを許せないと言うのは不自然である。
人は法や慣習、モラルを全て遵守して暮らしてはいない。
社会が理不尽な事も政治家が何の役にも立たない事も知っている。
にも拘らず社会的道義に照らして許せないと言う発言の基本は「自分の不満」を建前に乗せているだけである。

 

脳の思考形態は制約が無い為に一度加速すると暴走になるが、現実の人間社会の行動派その社会の一番劣化した部分を最高速度とする。
為に暴走した思考と現実のコミュニケーションには乖離が発生してしまう。

 

今回の東京都議の話題だけではなく、現在世界を駆け巡っている情報の基本は「イベント」である。
乃ち大量の情報が動いてこその広告収入であり、利益である。
そこにインターネット接続会社が情報を煽り、自身の所に情報を集めて行こうとする意図の元であらゆる情報が提供され、それを元に一般大衆が騒ぐ、文字通り「祭り」なのである。

 

それも劣化したローカルな情報こそに真実味を錯誤した、人の失敗や瑕疵をイベント化した「お瑕疵祭り」の状態と言える。
祭りが終わったらさっさと次の情報に走り、前の情報は3日と経たずに消えて行く。
ジェンダーだ、セクハラだ、日本の女性の地位はどうなっていると言った広義、大義はどうなったのだろうか・・・。

 

3日と経たずして過ぎ去っていくようなものに、絶対許せないと言うような大義が存在し得ようか。
皆セクハラなどどうでも良くて、自分の事しか考えていないと言えるのではないだろうか・・・。

 

[本文は2914年6月26日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。