「液体が流れる」

「臣」と言う文字の象形式は人間が伏目がちに下を向いた、その目の形を現している。

君主の前でかしこまっている状態を指し、「臣」と「臣下」は同じ形を自己に近いところから見るか、それとも「他」に近い概念から見るかの差、或いは周囲の人間の数による区別で、その形自体は同じものである。

「臥」(ふせる)と言う字は会意文字で「臣」と「人」が組み合わされたものだが、人間が下を向いて目を伏せた状態、この場合はうつ伏せに寝る事を指し、この行為の古くは最も大きな服従を意味するが、同時に敵に襲われた時にも同じ動きをする。

最も深い儀礼の形である「五体投地」(ごたいとうち)は文字的に投げると有るが、形としては臥せるに同じで、最も深い服従と最も大きな脅威に対する形は同じものだと言う事であり、君主に対する臣下の礼は「敵ではない事を示す」のが最も正しい有り様、疑いを持たれないと言う点に有ったと言う事で、この裏を返せば君主の周囲は敵ばかりだったと言う事になる。

そしてこの「臣」に「臥」「目」「見」を加えると「覽」(覧)になるが、これは物を下に置いて見る状態を言い、更に「監」に至っては水鏡を見る事を指していて、皿に水を張ってそれを鏡として自分を見る状態を指すが、後にこうした水鏡は青銅を研磨した鏡に変化していった為、「監」の隣に「金」を付けて鑑(かがみ)となり、従って鑑の本質は自分を見ると言う事、或いは何かを映し出す事を指している。

如何だろうか、一つ人間が下を見る動作でも漢字はここまでのニュアンスの違いを現しているのである。

「臣」と言う字は状態に起源が有る事から、これは自身よりも「他」から見た姿なのであり、これが「覧」になると当事者の事になり、監に至っては見渡す事を指すため、土木工事などで上から下の作業員を見渡している形を指している。

つまり本来は恐れ、或いは畏れから目を上げられない状態だった「臣」は、組み合わされるといつしか人を見下ろす形を現すように変化し、やがては「鑑」に見られるような内的、心的自己の表現となっているのだが、相変わらず目は下を向いた状態なのである。

また話はずれるが「丙」は「火」の意味を表すが、その起源は「尻」を左右に開いた状態を指し、これに「儿」を加えると「免」となる事を考えるなら、本質的にはこれから性交に及ぶか若しくは排泄、それで無ければ赤子の泣き声を意味していた可能性が有る。

「免」の「儿」は液体が流れる様を表していて、「免」は「丙」と人がしゃがんで液体が流れている状態を指している。
人がしゃがんで尻を大きく開き、そこから液体が流れる様は「分娩」である。

古代中国の出産分娩はしゃがんだ状態で為され、この状態が「免」である事から、「免」と言う字の起源はおそらく「娩」であり、これが狭い状態を通る事を意味するようになったと考えられ、「儿」のかわりに左右の人間の手が添えられると「奐」になり、これは大きく股を開いた状態に手が沿えられる、つまりは母親の胎内から赤子が取り出される様を現している。

後年「奐」に更に手が加えられ「換」となるも、この「換」はそれまで母体としては全てで有った胎内の大切なものを取り出す事を意味していて、「換」はそれによって取り出されたものも、元から有るものもそれまでの姿に戻るか、或いは何かが改善される事を意味しているかと言えばそうでもない。

「換」は事態が改善する事までを意味していないのは、当時の出産に危険性が付きまとっていたからであり、場合によっては子供が死に、時には母親が命を失い、或いは両方とも命を失う事もあった。

それゆえ、「換」は必ずしもそれによって事態が好転する事を意味していないのであり、我々が今日「交換」と言う文字を使うとき、それによってそれまでの事態が改善するのが当然と思うのは間違いである。

事態が悪化するのも好転するのも「換」で有り、ここに現代のような希望的観測の無い厳しい現実を現した漢字の起源に私は感動する。

「免」はこのように出産にかかわる言葉だったのだが、狭い産道を通って生まれて来る子供の有り様は、とても狭い場所を通る意味に使われ、勉強の「勉」等は狭い門を通る時、弾みや力を入れて通らねば通れなかった事から、「免」に「力」が加わっている訳である。

最後に「儿」と「川」の違いに付いて、「流」と言う漢字が有るが、この起源は逆さまの「子」と「川」を起源としていて、生まれて来る赤子は頭から生まれて来るのが通常で、この逆は逆子になる。

それゆえ「子」を逆さまに書いた時は正常分娩の子供の姿を現し、そこに「川」が加わると、出産に伴って母親の胎内から液体が流れ出る事を現している。

では「免」の「儿」も同じ母親の胎内から液体が流れている様を現しているが、「流」が「川」なのは何故か、両者は同じものを違う形で表しているが、この差は立体と平面の差で有ろうかと思われる。
即ちしゃがんで出産する場合の液体の姿は「儿」だが、寝た状態で出産する場合の形は「川」である。

つまり時代によって出産の形が違ってきている事を意味しているのではないと推測され、具体的に言うなら、その地域の主導権に変化が有った、それまでの習慣を持つ集団が端に追いやられ、新たな集団が主導権を持った持った可能性が考えられるのである。

「流」の本来の文字には「三水辺」が無かった。
赤子と川は出産の有り様だが、それが大きく概念される水の形を出産の事象になぞらえ、流れると言う文字になったのであり、「儿」や「川」は人の状態である。

液体が何かを示したのが「水」を加えた「流」であり、後年こうした区分が曖昧になり、古い意味を現す「儿」や「川」と同じ状態を現す文字となった。

漢字の起源は象形文字である。
それゆえその初めは状態を現すものだったが、その状態とは人間にとって都合の良いものも悪いものも存在し、それらが区分されない事で、或いは「換」のように先の結果を求めずに表現されていた。

だがこうした漢字の良い部分だけを使い、都合の悪い、或いは悲惨な事を避けて漢字を使うと、それは正確な自然の事象や人心、人の世の現実を現せなくなる。

漢字が持つ正負両方の有り様は、それが事実を形にした象形に端を持つゆえ、常に状態であり特定の意味を限定しない事から、言葉にならない感情、個人個人によって少しずつ異なる現実に対する意味を包括するに至った。

つまり何も無いから全ての意味を現すことが出来たのである・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。