2「集団的自衛権」

集団的自衛権と言う概念は独立国家軍の概念である。

独立国家軍として同盟国の危機に際し、これを救済、援助する概念のない集団的自衛は力の不均衡から発生する、状況的に押された準強制であり、こうして派兵した軍が実戦で役に立たないことは世界史が証明している。

ドイツ軍も一応のNATO対等同盟軍だが、ベルリンの壁崩壊時、イギリスのマーガレット・サッチャー首相は、東西ドイツの再統合によってヨーロッパの軍事的バランスが崩れるとして、ベルリンの壁崩壊を望まない会見を出しているが、これを壁崩壊に向けて進めたのがアメリカ大統領ロナルド・レーガンである。

サッチャーが危惧したヨーロッパの軍事的バランスの不均衡とは、西ドイツだけなら第二次世界大戦敗戦国として常に頭を抑えることができるが、これに東ドイツが加わると、ソビエトと言う独立した戦勝国の同盟国家が半分編入され、ドイツ軍の独立性が担保されてしまう側面が有ったからである。

つまりサッチャーの概念するドイツ軍の存在とは、イギリスやフランスのコントロール上での独立軍、NATO軍の下部組織としてのドイツ軍だった訳で、これは日本とアメリカの安全保障条約と本質が同じである。

そして東西ドイツ再統合が進行する中発生したのが、同じく1990年の湾岸戦争で、この時東西統一に向けた機運の高まりから、湾岸戦争への関心が低くなったドイツのヘルムート・コール首相に対し、イギリス、フランスは「あのブタはいつか裏切る」と陰口を叩き、予てより東西ドイツ統一を望んでいないイギリスの機嫌を損ねない為にも、ドイツは湾岸戦争派兵、奮戦を避けて通れないことになってしまった。

そしてこの時点でドイツ軍は東ドイツ併合により、第二次世界大戦敗戦国の立場を、軍事上半分だけ希釈した事になったのであり、この時点を契機にドイツ軍と日本の自衛隊の立場は全く同じでは無くなったのである。

もうお気づきの方もおられると思うが、現在世界が概念する国防軍は、どの国も国家そのもである国民の為の軍ではなく、同盟国や経済的運命共同体を主眼とした軍なのであり、そうでなければ中国のように共産党と言う既存政府の侵食を受けた軍隊なのであり、中国人民解放軍などは歴代、国家から独立した機構だったが、近年は共産党国家主席がその最高司令官を兼務するなど、もはや正規軍の概念を失っているのである。

そして日本の集団的自衛権の容認問題だが、これは日本の独立性と言う観点からすると、明確に国民の生命財産を守るためのものではなく、同盟国のための「武力」である事を示すもので、これを軍事的独立国家ではない国家が唱えた場合、国を売るにも等しい行為と言える。

国家の防衛とは、我が父や母、兄弟姉妹、幼き子供や女たちが他国から侵攻されて目の前で殺されそうになったとき、それを身を呈して守ろうとする、そこに権威が存在する。
集団的自衛権容認は第二次世界大戦敗戦後、日本が抱えてきた国防と同盟の矛盾を更に深めるものだ。

更に本当に日本と言う国が独立するには、日本国憲法第9条2項の改正は絶対に必要になる。
しかし、それはこうした武力の正当性に対する二面性の内、何が本当に大切なことなのかが理解されていなければ、逆に国家を危うくするだけである。

安倍政権や議会が勝手に決めて良い話ではなく、現在の国会議員や政府がこれを議論するには、彼らはあまりにも稚拙である。
その稚拙な者が悪戯に憲法改正、集団的自衛権に関して法的解釈を加えるなど畏れ多い事だ。

脳天気な近衛文麿が大政翼賛会を作って、その後これがどのように使われたか我々は知っているはずである。
「日本は絶対戦争に巻き込まれる事はありません」
「武力は必要最低限のものです」

安倍総理は力説するが、それを決めるのはアメリカ太平洋艦隊司令長官、アメリカ国防総省、アメリカ議会、アメリカ大統領である。

また必要最低限の武力とはどう言う武力だ。

命懸けで向かってくる敵に必要最低限の武力とは、まるで自身が全てをコントロールできるかの如くもの言いだが、神以外にそうした言葉を使える人間が存在しようか。
更には命懸けの敵すらも貶めるものである。

日本と言う国や民族はそんな下賤なものだったか、それが国を守ると言う事か・・・。
渋谷で集団的自衛権の容認決定に抗議し、焼身自殺をはかった男性の事件は、日本国内ではあまり大きく取り上げられる事はなかったが、海外では大きく取り上げられた。

日本のこうした背景にはあまり大きく報道すると、追従する者が増加する傾向にあると言う国際的データに基づき、自殺報道は控えると言うマスコミの判断があるのだろうが、この図式は国防に対する政府の概念の稚拙さと同じである。

賛成反対のいずれにせよ一人の人間が命がけで抗議した、その事を伝えずにして一体何を伝えるのか・・・。
三島由紀夫と森田必勝が自決した時も、彼らの思いは多くの日本国民には届かなかった。
彼らはそうした事を知っていたゆえ自決したとも言えるが、私も憲法改正は必要と考えている。

だがそれは今の日本人や日本政府がやって良い事ではない。
安倍総理の膨れ上がった顔や、マスコミの命懸けの抗議に対する扱いを見る限り、今の日本には憲法改正や解釈を変更する資格はない。

その意味では私も集団的自衛権の容認には反対すると言う事である。

また不安定化するイラク情勢を抱え、これ以上面倒に巻き込まれたくないアメリカとしては、この時期に悪戯に韓国や中国を刺激したくないにも拘らず、希望していたTPP交渉の妥協案ではなく、トンチンカンな集団的自衛権の話をする日本政府、安倍総理の愚かさこそが世界的な脅威と思ったのではないだろうか・・・。

Sk***さん、同じ反対でもこうした者もいると言う事を知っておいて欲しい。
そして、例え思想は違っても命懸けで訴えを起こした者を貶めてはならない。
それこそ日本と日本人を貶める行為だと思う。

今、私の田畑を焼き払い、目の前で女子供が襲われ殺されるなら、私は銃弾の雨の中に露と消えようとも必ず立ち向かう、これが私の国を守ると言う事だ。
日本政府が概念する集団的自衛権の容認は、こうした私のような者に錯誤や迷いを与えるものだ。

もしかしたら集団的自衛権の容認に一番戸惑っているのは自衛隊、その最も最前線に立つで有ろう若い兵士達かも知れない。

[本文は2014年7月4日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。