「夏」

少し前まで今年は気温が低いなと思っていたが、気が付けば今日は台風の影響か既に気温は35度、存在する事自体が嫌になるような暑さだ。
父が脳梗塞で倒れ、母が死んでもう3年、いや、今年はもう4年目になるのか・・・。
7月になって、父が肝臓癌で大学病院へ入院してもう1週間、おかしなものだと思う。

 

朝4時13分頃に目が醒め、一番最初に納屋にいるツバメ達の為に窓を開け、それから父親の食事を作っていたのだが、その父が入院して家にいないと、田んぼの水を見に行っても1時間くらいの時間ができ、そこでこうして記事が書ける。

 

でもやはり私が記事を書いている時は、こうしたもので、私自身かそれで無ければ家族の調子が良く無い時なのだろうと思う。
だから必至に自分を救いたいが為に記事を書いているのかも知れない。

 

水田の畦の草刈りもやっと2度目が終わったが、それを追いかけるように最初に刈った田の畦の草が生えてくる。
時々雑草の中にいるカエルを草刈り機で切ってしまい、「すまない」と言いながら刈る草も、これから夏に向けて少しずつ湿度を失い、カエルも雑草にしがみ付いている事は少なくなる。
次に草を刈る時にはもうカエルに謝る事はなくなるだろう・・・。

 

雑草と同じように春に植えたナスやキュウリ、トマトにインゲン豆、ピーマンが毎日遠慮なく実を付ける。
種を蒔いて苗を作ったとき、それを多く植えなければこうした事にもならないのだろうが、種から芽を出した苗を私は棄てられず、結局全部植えて夏に収穫が間に合わない。

 

大量の野菜を何とかしようと思うと、毎日焼きナスとキュウリの酢の物、野菜炒めになってしまい、いつしか肉などが食べたくなくなってしまう。
どこかで年々体力が落ちていくのはこうした事なのだろうと、或いは自身が生物としてのピークを過ぎて来ているのだろうと思う。

 

Tシャツの首周りの部分にクリップで留めた小さな懐中時計が11時33分になった。
今度は妻の昼食を作る為に一端家に帰ればならない。

 

ジリジリと照りつける太陽の下、草刈り機を持って家の近くの橋を渡っていると、川の水面がまるで何かの生き物のように揺らめいて煌きを返し、私はそれに眩しそうに目を細める。

 

そして、その少し先にはつい最近捨てられ、隣の家に居ついているらしい、白とヨモギ模様の猫が土手に寝そべっている。

 

「お前は幸せなのか、私は幸せなのか・・・・」
そう問いかける私に猫は少しだけ優しそうな顔になった・・・。
いや、唯太陽が眩しかっただけかも知れない・・・・。
[本文は2014年7月10日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。