「収束限界曲線」

ウィルスの本質はプログラムで有り、一軒の家を細胞に例えるなら、それが建てられる為の建築資材が整理されて縛られ、積み上げられた状態がウィルスである。
そして生物には3%と7%と言うキーワードが存在し、3%は「変異」、7%は「可能性」である。

生物が起こす突然変異の確率は3%から3・2%で、これは現在の段階では欠落か過剰なのだが、突然に発生する自然環境の変化に対して1方向の残存確率を持っている可能性が高い。

つまり3%の突然変異はそれぞれに方向を持ちながら、それが合わさって同種他者の全てが死滅しても未来にそれを環境に適合させた形で残存、再生する機能を持っていると考えられ、同じような事だが例えば巨大地震が発生する時、鳥類はその殆どが事前に反応して逃げるが、全てが逃げる訳ではない。

その選択がどう言う形で為されているかは不明だが、巨大地震が発生する場合でもツバメなどは平年飛来数の7%前後は後に震災被災地となる地域で巣をかける。

これは「確率分散システム」に似ているが、安全な場所と言ってもその場が100%安全な訳ではなく、必ず何某かのリスクを持ち、通常自然界の生物の安全限界確率は93%と言う事なのかも知れない。

だから93%安全でも、残りの7%のリスクがその93%の安全確率の場に発生した場合、全部がそこにいれば群れは絶滅するが、敢えてたった7%しか安全確率がない場所にも、その確率に見合う数の個体を残存させる事で、壊滅を防いでいるのかも知れない。

いずれにせよ1つの生物種族を壊滅させるのはそう容易なことではないのであり、これは強力な感染力を持つウィルスでも同じである。
必ず3%と7%のどちらかの確率に引っかかり、その種族全体に感染したとしても、全ての個体を発症させることは出来ない。

尚且つウィルスが個体に感染していく過程で、そこから変化が発生し、やがてその変化は加速度を持つようになり、感染がピークに達した時その初期の強力な感染力を失うか、或いは発症ダメージの希釈が始まってくる。

これを「収束限界曲線」と言い、強力なウィルスは急速に縮小して行く。

つまり自動車にセンサー式自動ブレーキを付けました、車線認識センサーによる自動ハンドル装置も有ります、ナビゲーションシステムを使って目的地を入力するだけで、後は寝ていても目的地に着きますとなれば、車を買って維持する経費を考えるならバスやタクシーで全て移動するも同じで、何かがどこかで一周してしまうのである。

もっと言うなら自動運転システムで事故を起こした場合、その責任はメーカーに有るか自分に有るかと言う事になった時、メーカーは既にそうした法的問題を避ける文言を販売時に付帯していて、結局それを頼った個人に責任が帰結するなら、自動運転システムはどこかの時点で社会システム上の限界点を持つに至るのと同じであり、これはインターネットシステムでも同じである。

そしてインターネットのそれは、どうも近未来に「収束限界曲線」に達する可能性が有る。
もうそろそろデータ管理にアナログ形式やマニュアル操作形式を加えて行かなければならない時期に来ているような気がする。

今回発生したベネッセの情報流出事件と同じような事件は1993年ぐらいから既に発生していた。
代表的な例では日本生命での保険加入者は、その後全く関係のない会社からダイレクトメールが送られてきていたはずである。

被害者が気付かない間に情報は売られていたか、関係供与されていたものと考えられ、こうした事は現在もあらゆる場所で表に出ないだけで発生している事は間違いない。

基本的に法整備が遅れているのが原因だが、ベネッセの情報が流出するのはある意味避けられないし、これは他の企業も同じである。
事業がインターネット専門の事業ならそれも可能だが、通信学習システムを販売している会社がデータベースのセキュリティを手がけるのは不可能で、外部の専門会社に委託しなければならない。

そして委託された会社は更にその下請けに委託し、下請けは人材派遣会社を使っている可能性もある。

極端なところでは、サポートセンターへ電話したら、中国語か日本語か良く分からないオペレーターが電話に出て更に混乱する事だって有る訳で、その時点で我々の情報はその中国の下請け会社に漏れている可能性も有る。

情報を全て管理するのは不可能である。
世界的には、アメリカ国防総省のコンピューターシステムにまで入り込む人間が毎年発生し、セキュリティシステムは長くても5年を待たずして新陳代謝され、その度に数百億円と言う投資を行って新しいセキュリティシステム構築しなければならない。

情報通信が発達し過ぎてその情報通信による弊害の方が増加してきているのであり、本質的には我々の情報はこれまでも、今も、これから先も丸裸なのだ。
それゆえここに以前使っていた「非利便性」を加える事で、全く別次元のセキュリティを考える時期に来ているのである。

情報の分散管理と、文書管理に戻すセキュリティ概念が出てきても良い時期だと思うが、セキュリティや管理に毎年何十億と言う金をかけるなら、1都道府県に1人の会社直結社員を置き、その者に全て文書記録でデータを保管させればデータ管理が区分管理され万一情報が流出しても、その区域だけに留まる。

一都道府県に一人、大都市には5人の人材を置いても、一人当たりの年俸を500万円とすれば、100人いても5億円である。

数十億、数百億の投資を行うよりは遥かに安く、文書管理なら100年ほどの管理期間が出来、更には危ういネットシステムと隔絶した情報管理が可能になる。

インターネット上の概念でP2P,或いはP4Pの概念は双方向による最短距離、最短時間の物流にも適応できるが、分散した情報管理形態に取り入れることも出来るように思う。
インターネットの通信概念をアナログ利用する訳で有る。

更に現行の法体制では違法性はないものの、ベネッセから流出した情報を名簿会社から購入してDMを送った「ジャストシステム」の非倫理性は、ベネッセのそれを上回る印象が有る。
仮にも教育システムの販売を手がけている会社が、適法か違法かすら明白ではない名簿会社から情報を買うなど、その時点で教育システム販売会社としての姿勢は疑われる。

情報が利益を生む社会では、情報に関する法も金銭システムと同じ形態にする必要性が有る。

即ち我々は毎年所得税を支払う時、その金銭の出所を記載しなければならないが、適法性の有る情報にはその出所の記載、或いはタグを必要とすれば、少なくとも国内での企業情報流出は激減するだろう。

情報を通貨と同じように扱う概念が発生し、社会的に責任ある企業は情報の倫理性を考慮しないと、社会的には認められなくなって行くに違いない。

インターネット社会は後暫くで「収束限界曲線」に差し掛かかろうとしている・・・・。
やがて情報管理コストが人件費を追い越し、ネット社会の利便性、速度が人の信頼に及ばなくなる日が必ずやってくる。

[本文は2014年7月11日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。