「木材乾燥」

良い企画やイベントと言うものは、その当日時の朝には終わっているものだ。

準備が万全であるものは、その準備をした者にとって準備が終わった時点で全てが終わっていて、当日の成功は既に過去のものとなっているはずである。

輪島塗の製作に措いても下からしっかり製作に力を入れたものは、完成した時点でそれが過去になっているもので有り、その時点で次の仕事や作品の事に思いが馳せているものかも知れない。

従ってここで完成されたものに留まっている者の品はどこかで「小さい」。

どんな仕事も一番下が危ういと、それは上に行って挽回ができない。

それゆえ輪島塗の製作に措いては地味では有るが、素地の段階が一番重要になり、ここで時間や自分の都合に追われ適当な事になった物は、最後になって素地強度の不安と言う決定的な事態を迎える事になる。

素地は椀などの「曳きもの」では歪みと「陥ち」(おち)を警戒しなければならないが、これには素地材料の乾燥と、木に腐りが入っていないかを確かめておく必要が出てくる。

木材乾燥で最も効果的な乾燥方法は、意外かも知れないが水分を吸わせて吐かせる動作を繰り返す事であり、例えば一年間泥水の中に浸し、次の一年間を日陰で乾燥させ、また1年泥水に浸す事を繰り返し、これを3回ほど続けると、その木材は完全に乾燥して歪みが無くなる。

この原理は「珪化木」(けいかぼく・化石化した木材)とは別の組成だが、それに近い。

ただ、これだと木材の乾燥だけで5年、6年と言う時間を要する事になり、一般的には煙で半年以上燻して乾燥する「燻蒸乾燥」(くんじょうかんそう)の方式が持ちられ、これでもほぼ90%の乾燥を得る事が出来る。

また素地材料になる木の腐りだが、これは素地選択時に判断するしかない。

しかし注意しなければならないのは台風や強風に曝された木で有り、この場合木が強風で限界を超えてしなった際、木の組成が破壊されたにも拘らず、そのまま成長を続ける事が有り、こうした木は外からは解らないが、木材に加工したとき鱗が剥がれるように細かい組織破壊が起こってくる。

素地材料の選択ではその木材が近年強風に曝されていないかを調べておく、つまりは産出地域を調べておく周到さも必要な事だ。

そして椀以外の素地でもこれは同じ事が言え、シナ合板などを使用する場合でも、基本的にシナ合板は木を大根の桂剥き(かつらむき)状態にして張り合わせ、その上から表面研磨が為されている為、表面は薄い木粉に覆われ、それを静電気と弱い樹脂成分が固めた蝋状態になっている事から、綺麗に見えて実は塗装をはじき易い傾向を持ち、合板は必ず対角線上に歪むと言う事を認識しておく必要が有る。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 和竿を一本だけ持っているのですが、他の竿に比べたら、何倍もします、ある時血迷って買いました。乾燥も含め、それぞれの工程に、それが必要とする時間を掛けているからの様です。それを持って、釣ると、感触も良くちょっぴり名人に近づいた気分になれます(笑い)
    カーボンファイバーその他、新素材はそれに可なり性能が近づいており、手入れが簡単なので重宝はしていますが。
    本当の名人は修行の賜物のようですが、大抵良い道具を持っています。海の底が見えているようで(笑い)誰も釣っていないのに釣るし、他の人より大きいのを選んで釣っているようです(笑い)

    途上国の人は、平均すれば、実は幼児期から少年期に栄養や適した運動が不足していて、勉強時間が多いとか少ないとかの問題以前に、脳や内臓機能や運動機能が十全の発達がし難いようなのですね。簡単に言えば、病気と環境の変化に弱い様なのです。
    幸不幸の問題は置いといても、経済協力は要望の強い物よりも、最初は基礎栄養、将来発達するためのしっかりした身体を優先すべきじゃないかと考えております。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      釣り竿も良い物ですと50万、100万円はするかと思いますが、竹の端に細い糸を綺麗に巻き、そして透き漆で仕上げた物は道具としての完成度も大変高いですね。
      でもこれも基本はしなりの有る良い竹が見つかって初めて、それを上手く乾燥して初めて成り立つ話だろうと思います。夏を避け、土用を避けた晩秋から冬の季節、しかもその道具が長くこの世で人の為になる事を願った吉日などに切り出されていたら、そこから始まって既に良い結果が望まれる仕事かも知れません。
      同様に人もまたその初めが大切で、初めを誤ると土台が弱いから上に立派なものを立てても脆い。今の日本の親とその子供を見ていると、私はある種第三国の子供以上に危うさを思います。また世界は少数の豊かな者がその90%を独占し、貧しい多くの者が残りを分け乍ら暮らしている。その中には生きていくための最低限の基本すら得られない者たちもたくさん存在し、我々はこうした現実が日本にいると眼前に迫らないから容易に逃げている。世界を見ると言って留学するのはアメリカやヨーロッパばかりですが、世界の現実を見る事はまた、この世で一番大切な事を学ぶものかと思います。良い物、楽しい事、上を見るばかりではなく、現実の世界では楽しい事、上で有る事以上に圧倒的な大きさを持つ、苦しい事、悲しい事、厳しい事を見なくて何を学ぶのかと、そんな事を思います。

      コメント、有り難うございました。

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