「衰退に拠る人工適正化」

少子高齢化社会、この中でも少子化の原因はあまた論ぜられるところだが、その根本は「経済」と「自由」である。

「Gary S Becker」(ゲーリー・ベッカー)が主催するグループが提唱した「時間の経済学」の中では、女性が子供を持つ事で失う時間、所得、生きがいなどの精神的な逸失を、子供を持たない場合と比較したモデルが出てくるが、このモデルを用いれば経済が発展して所得が増える事は考えられても、子供から得られる精神的な喜びの価値は普遍である事から、経済が発展すればするほど子供を持つことの意義は低下していく事になる。

また子供を持つ事で得られる精神的安定の一番大きなものは、自身の老後を鑑みた時のケースが多くなるが、これも社会が豊かになり社会福祉が充実すると、自身の老後を想定した子供の価値観が低下する。

この事から子供を持つ事で得られる充足感と、自身の幸福感や充実感のバランスは経済によって左右される側面を持ち、豊かになれば子供に対する食事や教育などの質が高まるのであり、子供の数は減少する事になる。

そして近年発展してきたジェンダーの考え方だが、社会的には既に男女の格差は無くなり、どちらかと言えば思想的、一般論としての社会ではむしろ女性の地位が男性を越えている部分も存在するが、一度家庭に入り子供を持つと、相変わらずの不平等が蔓延する。

女性は仕事をして帰ってきた上に、家事や育児をしなければならない環境が依然多く残っているのであり、夫婦間で育児を放棄する確率は男性の方が女性よりも圧倒的に多く、その違いは男性が出産を経験し得ない事に由来する。

更に将来のリスク管理の観点から、男女が結婚して子供が生まれる場合、その両親は子供を持つ事で得られる恩恵とリスクに対し、予め予定や計算が完成されているかのように錯誤されるが、子供を持って育てる事を経験してはいない訳であり、子供と言う家族が増える事はそれだけ将来が不確実化していく事になる。

先の分からない状態が増えるのであり、この状態で経済的な不透明感が発生していると、結婚、出産、育児はリスクになって行く事から控えられる、或いは消極的になるのが普通である。

経済の基本は産業で有り、現在では産業形態が第6次、第7次まで区分されているが、基本的に第4次産業以降は、第3次産業の枝葉産業であるものの、産業形態が高次化する都度、少子化は進行していく事になる。

第1次産業、農業などが主力産業だった国際社会では多産多死の過程が発生していて、この場合は子供の死亡率が高い為多くの子供を産むのであり、これが工業に主力が移って行くと子供の出生率はそれまでの3分の2になり、更に決定的になったのは20世紀後半の工業からの離脱である。

第1次産業や第2次産業から国民の多くが第3次産業以上の高次産業に従事する事になり、多産多死から小産小死の時代に移行したのであり、ここで子供に対する価値観は激変して行った。

第1次産業下の社会では子供は重要な後継者だったが、第2時産業や第3次産業では子供の教育や食事などの質を高める傾向が発生し、子供は王様のように過保護な状態で育てられる事になった。

結果としてこうして育てられた子供が成人した時、社会性よりも自己実現に価値観が移行し、結婚は出来るだけ後回し、でも恋愛は自由と言う具合で、晩婚、離婚、同棲、非婚に対する抵抗が無くなって行った。

これはヨーロッパのモデルだが、日本も同じ道を辿って今日に至っている。

つまり少子化社会とは経済の発展に伴って発生して来る、ある種人類の宿命のような部分が有り、一度発展してしまうと経済的に豊かになっても、貧しくなっても、どちらでも結婚願望が低下し子供を持つ夫婦が減少してくるのである。

そしてジェンダーと言う意識の発展から結婚の選択権は、子供を産むと言う点で女性に移行した社会が発生し、ここで貧富の差が激しい経済状況が出てくると、男女共に結婚の希望は存在してもその実行が先送りになる傾向が発生し、外資系会社や公務員、一流企業に勤務する男性の数は少なく、その他一般の男性は所得が低く一家を構えられない為、結婚相手の市場として男性が沢山いても、実際に結婚できる相手がいない状態になっている。

こうした状態が危機的なところまで進んでいるのが「地方」なのだが、危機感から行政主導のお見合いパーティーなどを開き、首都圏から女性を誘致しようと言う試みを繰り返し、政府に対して少子高齢化対策としてこうした取り組みを認めて欲しい、補助金が欲しいと訴えているものの、政府はそ知らぬ顔である。

もっともな事であり、政府のこうした有り様は賢明と言える。
地方主催のお見合いパーティーに参加する女性の意識は「ねえ、ねえ、格安の国内旅行みたいなもんだヨ」
「ちょっとの間、むさ苦しい男の相手するだけで、食べるだけ食べて、温泉入ってこれるんだよ」
「行ってみようよ、お徳だよ・・・」なのである。

首都圏に住む女性の意識は高次産業に伴って進んでいる価値観なのだが、これを誘致しようとする地方の意識は、表面上首都圏を模していても第3次産業の「おもてなし」「人情」「義理」のとても遅れた世界だったりする。

現代の消費者は安いからと言って、高級品の代用品を買う事は無くなっているのである。

高次産業化に伴って変化していった結婚に対する希薄な意識、価値観を元に戻すのは難しく、一度発展した経済の高次元化による少子化は、以後経済が発展しても後退しても改善されない。
日本はひたすら痛みを少なくして我慢し、やがて来る人口減少、衰退による人口動態の適正化時期を待つしかない。

多分、2052年前後には日本が底を打って、次なる発展に向かう事になるだろう・・・。

[本文は2014年8月11日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。