「災害の意味」

氷河期と間氷期、それに伴う微弱な温暖化と寒冷化の関係は、ここ10万年の傾向と40万年前では異なる傾向を持ち、これが70万年と言うスパンではまた違った結果が出る。

同じように我々日本人が周期として知っている巨大地震の回転も、1000年と言う期間の傾向と1万年の期間、1千万年と言う期間では同じ傾向が出て来ない。
トータルでそこに有るのは非関連性、非連続性である「乱数」に限りなく近いものになる。

完全な「乱数」はその存在自体が疑われるところだが、膨大な乱数中に存在する等差、等列数は全体の数列の長さによって、他の部分に存在する乱数列の長さによって、最終的には乱数に収束される、或いは無限に連続する場合、乱数が意思を持った列数に収束されるか、そのどちらに転がるかの確率は等しく、この宇宙が消滅した時にそれは確定する。

ここに我々は古い日本の記録から、或いは近世200年ほどの伝承によって関東地震や東海、東南海、南海地震などの周期を計っているが、この周期は例えば数万年と言う中期間では必ずしも周期とはならず、50億年の単位では現在の周期が他の乱数周期を収束させる可能性が有るのかも知れない。

この事から関東地震や東海地震、東南海、南海地震の周期は、数万年の単位では確実に混沌に向かい、数億年の単位では現在の周期の近似値に収束される可能性も存在する。
しかしいずれにしても現在の我々ができる事は、過去の記録と現在の傾向から未来を予測する以外に方法が無く、周期はあらゆる物質や生命に存在する事から、それに科学的説明が出来なくても、一見乱数に見える自然の中から列数を拾い上げる作業を続けて行く努力を怠ってはならない。

また災害と言うものは物質的自然現象であり、ここに意思や意味など存在せず、この意味が無い事が人間にとって大きな意味を持つ事になる。
眼前に広がる現実は本来動かし難いものだが、人間は現実の前に感情を持ち、この感情が現実を認識しながらも人の動きを止める。

人口高齢化の本質は「良い社会」になったと言う事である。
高齢者が暮らせない社会などその本質は暗い。

日本の社会はある種の理想を実現させている社会でも有るのだが、こうしたことが問題となったり対策が必要と考えなければならない事は、既にその理想を維持できなくなってきている事を示している。
広義では高齢化社会問題だが、自分に取っては親である。

「力なき者、自分で獲物を得る事が出来無くなった者は滅びるが良い」と言っている私でも親や近所の世話になっている年寄り達に対し、到底そんなことは思えない。

そしてこんな人の思いが社会と言うものを作っているのである。
当然いつかは意思を持たない災害と社会はぶつかる事になるが、そこに見えるものは人間の「死」の概念と同じものである。

人の生まれる意義は解っていない。
同じように人が何故死ぬのかも解っていないのだが、いつかは必ず「死」が訪れ、死には本来何の意味も存在していない。

にも拘らずそこに人間は生きている自分の範囲で想像できるあらゆる事を駆使して、意味を見出そうとする。
自身の価値を見出そうと、それが間違いなく存在した事を証かそうと努める。

どれだけ生きたくても死が訪れ、避ける事は出来ず、いつ来るかも分からない。
この意味では社会に措ける災害とは「死」の概念と同じなのであり、人の情に任せていてはいつまで経っても区切りの付かないものを、一瞬にして現実に返す力を持っている。

人の世は1割の満足と9割の不満であり、これは個人の環境、感情に始まって社会的分布、政治も経済も同じであり、いつの時代でも変わらない。

だから人の世、個人の事情とは悪いか、少し悪い時期が圧倒的に多いので有り、ここにランダムな確率や周期で発生する災害は、人間の持つ印象として悪い事が重なって来たように感じる側面を持つが、始めから1対9の確率差が存在している事を忘れてはならない。

一方その悪さの中でも政治的な部分では、確かに混乱の極み、或いは極度の閉鎖感に覆われた時期に巨大災害は発生し易い。
ここに科学的関連性はなくても、現実にそれが重なるものを科学的と言う感情で避けてはならない。

何故なら災害とは人間社会が持つ思想の、どうしても引く事の出来ない一線を引くものであり、人間がそれによって死と同じように、如何なる理不尽や悲しみも肯定せざるを得ない相手だからであり、命がけで避けねばならない相手だからである。

そして復興と言う言葉は心地良いが、人は生きる事が基本であり、災害の復興はまず人から始まらなければならない。
その地域が頑張っている事をアピールする事が本旨に非ず、皆が衣食住を自身の力で得る道を作り、他より更に強靭な精神を培うその弾みとなるが復興と言うものである。

悪戯に綺麗な道や街並みを作り、人の情けを集め観光化した被災地は、災害復興資金に群がる亡者達によって被災者までも亡者に貶め、5年もすれば被災地域は完全に乞食社会になる。
1923年に発生した関東大震災では、被災翌日には廃材を使ってバラック小屋が建てられ、そこで雑炊を売る者がいた。

人目を気にせず、水溜りで裸になって体を洗う若い娘がいて、彼等はみな被災直後から自律した自己責任の中で動きを始めていた。
実に災害の復興とはこうした精神で有り、災害と言う厳しい現実に晒され、そこで生き残った者たちは眼前に広がる絶望の中から希望のかけらを拾い集め、少しずつ形を作って行った。

優しい社会とは実に有り難いものである。
だがその優しさはいつしか厳しい現実を生きる力を失わせ、人の生きる希望を奪う結果をもたらすかも知れない。
災害の恐ろしさはその災害に有るのではなく、そこに生きる人間の感情、その最も素晴らしい部分である優しさを、いつしか弱さに変えてしまう、その事に有るのかも知れない・・・・。

災害は法案や規制でどうにかなる問題とはその本質が異なる。
何か人間が決めた通りになるような災害など、これまでも、これから先も有り得ようはずもないが、日本国は9月1日を防災の日とした事、また非科学的では有るが「210日は台風被害の特異日」でも有るゆえ、ここに乱数の中に数列を見た人々の思いを尊重し、本文を書かせて頂いた・・・・。

[本文は2014年9月1日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。