「畏れ」

平安時代、貴族達の別邸が建てられた京都府西部「嵐山」、現在の区割りとは少し異なるものの、彼等が建てた別荘のすぐ後ろの山は既に「魔界」だった。
往路にすら死骸が転がる時代、夜ともなれば平安京そのものが闇の支配を受け、昼間とは別の様相を呈していたのである。

古来日本では山と海は同じ概念が持たれていたが、その概念の根底は「常世の国」、つまりは死者の国、黄泉の国で有る。
それゆえ山は恐れられると共に崇拝の対象となり山岳信仰の発端となったが、こうした流れの中に現在も続く「神事」の時間と言うものが存在する。

多くの神事はそれが真夜中に行われ、祭りなど昼間に行われる行事を拝殿とするなら、神事は本殿の意味合いが有り、これは基本的に祭りの本質が「祓い」だからである。

「恐れ」と「畏れ」はとても近いもので、圧倒的な力は正邪どちらにも働き、闇が持つ特別な力を信じるが故に、山岳信仰の修行は夜に為される事が多く、これは闇を征するのではなく、闇と一体になる事を意味していた。

このように日本に措ける登山の歴史は死生観や自然に対する畏怖に源を持つが、一方ヨーロッパで登山が盛んになるのは中世、ルネッサンスの初頭からである。
文芸復古は古代ギリシャ時代の自然崇拝主義思想の復活をもたらし、考え方はあらゆる現実の容認方向へと向かう。

この中で自然を楽しもうと言う考え方が発生し、ここから近くの山に登ったりするようになっていく。
元々ヨーロッパでは用事が無ければ山に行くなどと言う事が少なく、地理的に国家が隣接している状態で有った事から、「恐れ」に対する比率は自然よりもむしろ「人間」に有った。

従ってヨーロッパの「恐れ」は日本よりも現実的な人間に対する「恐れ」であり、この分だけ宗教観や死生観と連動する機会が少なかった。

このヨーロッパの概念が太平洋戦後の日本に普及した時、それまで日本人が持っていた山や海に対する恐れの濃度を薄めたのであり、だが火山が多く、四季が有り気象的に激しい環境になる日本の山や海の現実は変わらない。

ルネッサンスの自然崇拝主義とは「容認」であり、必ずしも積極的なものではない。
刹那的で、どちらかと言うと世の中を諦めた上での、開き直りに近い自然崇拝ゆえ、「楽しむ」事に主眼が置かれていた。

この意味で日本が持つ自然に対する「恐れ」や「畏れ」とは決定的な違いが有る。
ルネッサンスの「容認」とはそれを自分がどう解釈するかと言う作業を止めたものであり、日本が持つ自然に対する「恐れ」はある種の「哲学」である。

戦後日本の有り様はこの哲学を忘れ去った上に、「世界遺産」と言うルネッサンス的刹那現実主義、拝金主義思想によって脆くも崩れ去った。
人間がどう考えようと自然の驚異は何等変わる事は無く、一時的に何も無かったとしてもそれは唯の偶然である。

世界遺産になったからと言って火山が安全になった訳ではない。
科学が発達したからと言って明日の天気が変えられるものでもない。
地震や火山噴火を防ぐ事は出来ない。

それゆえ「恐れ」と言うものが有り、この恐れこそが自然災害から身を守る唯一の手段である。
政府の保証はもとより、気象庁ですら火山噴火の予想は出来ない。
山や海は観光地ではない。

それは「恐れ」である事、その恐れの地へ行く事の責任は全て自分にある事を、更にはそうした「恐れ」に対してまでも「畏れ」と言う言葉を使った日本人の深遠な哲学を、今一度我々は心に刻んで日々の暮らしを営む必要が有るように思う・・・。

[本文は2014年10月1日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。