「十字軍の轍を踏むな」

イスラムの教義はその初期とても寛容なものだった。
ユダヤ教が他の一切を認めなかったのに対し、一定の税の支払いや条件を満たせば他宗教も容認するほどの広さを持っていた。

また今世紀には突出した感の有る女性の身分の低さも、現実には略奪だったが建前として夫を失った未亡人の保護、女性は擁護すべきものとする考え方が基本だった。

この意味ではイスラムの女性に対する考え方は、欧米諸国の「レディーファースト」とそう大きく概念が異なるものではなかったが、これらの寛大な精神を狭めたものは「村」や「部族」と言う準血縁関係「一族」と言う組織であり、ここで宗教と村や部族の慣習やその都合などが融合して行った事から、次第にイスラムの教義は「狭義」に陥って行った側面が有る。

この事を理解する時、例えば日本に措ける仏教でも、その初期は仏陀と言う一つの信奉対象だったものが、現代ではその途中でこれらの解釈を巡って大きく違わない部分で、色んな仏教系宗教に分離して行った経緯を考えると理解し易いかも知れない。

「空海」も「日蓮」も「蓮如」も「親鸞」もそれぞれが仏教の解釈者にしか過ぎないが、それらが互いに宗派を形成し、影響し合いながらも決して交わる事の無い宗教的独立を保っている事と、イスラムが持つ部族相互の宗教的形態は非常に良く似た部分があり、ここでは部族が特色を出そうとすれば大まかな教義に対してより細かな肉付けが為され、それに対抗して別の部族が更に別の肉付けを定着させる事から、教義はどんどん細かく厳しくなっていく。

その為終わってみれば、今世紀のイスラム教のような大変厳しい教義の有り様となるが、例えば一番初期の12世紀の十字軍の遠征時には、ローマ教皇によって集められたフランス騎士団による遠征で狼藉を働いたのはイスラム諸国ではなく、十字軍の方だった。

略奪、婦女子への暴行、虐殺をもたらしたものはローマ教皇軍だった訳で、文明や思想的にも12世紀のヨーロッパはイスラム文化より遥かに遅れた状態にあった為、こうした勢力に対する対抗の面からも、イスラムではそれまでより強硬な姿勢や教義が求められた経緯が有る。

実際イスラムに対する十字軍の遠征は市民組織編制のものを含めると9回に及ぶが、その大部分はイスラムに対する敗北、良くて引き分けと言う有様で、この遠征がもたらしたものはヨーロッパのイスラムカルチャーショックと、侵略によって強硬化せざるを得なかったイスラム諸国や同部族間の混乱だった。

この点で言えばアメリカ主導の湾岸戦争やイラク侵攻などは、その後のイラクやシリアの国内情勢不安を招き、イスラム国等の台頭を許した事を鑑みるに、まさに21世紀の十字軍だったと言え、特にイスラム国の出現は今後100年単位の抗争になり兼ねない事を、アメリカやヨーロッパ、それに付随する日本などの諸国家は覚悟する必要が有る。

アメリカとソビエトと言う同じ宗教文化圏での対立、あの東西冷戦でも第二次世界大戦前後から40年以上も続き、その間東西融合など有り得ないと思っていた事を省みるなら、イスラムと欧米文化圏との対立、また中国共産党とイスラムの対立が100年で終結するなど楽観的に過ぎるかも知れない。

加えてヨーロッパで始まっている劣化であり、中国共産党の存亡、中国、韓国、日本やロシアなどで始まっている少子高齢化社会である。

ヨーロッパの共同体経済は必ず破綻する。
僅かな富める国家が多くの破綻寸前の国家を助けて余り有る経済を続ける事は現状を鑑みるに不可能であり、中国共産党は時間経過と共に国内不満分子を抑圧できなくなり、ここでイスラム系の国民を弾圧していく政策は、やがて国内不満分子とイスラムの非共和分立攻撃を受ける事になる。

つまり互いに決して融合はしないが、それぞれが独立した共産党崩壊工作に出て、これにイスラム諸国からの非合法援助が出てくる事になり、中国の国力は大きく削がれた上にヨーロッパの経済破綻、更には口は出すが何も出来ない日本や韓国と、かろうじてイスラム諸国とは対立を避けているロシアが集まっても、イスラム国の殲滅は不可能なのである。

だが一方イスラム国を許せば、あらゆる意味でこれまで築いてきた欧米文化、世界秩序の方が崩壊する。
ここに対立を辞めることは出来なくなり、ヨーロッパやアメリカが攻撃すればする程イスラム諸国は混乱し貧困化する為、強硬なイスラム原理主義が蔓延る事になる。

出口の見えない長い戦争が始まったのである。
そしてこの戦争は武力では決して勝つことが出来ない。

私が100年かかるとした意味は、一人の少女に対する希望を拠りどころとしている。

「Malala Yosafzai」(マララ・ユサフザイ)は17歳と言う若さで2014年、ノーベル平和賞を受賞したが、彼女は今たった一人でアメリカ海兵隊やナトー軍が及びもしない闘いをしている。

彼女はイスラムと闘っているのではなく、自身もイスラムで有る事を誇りにし、そしてその教義を本来イスラムが持つ寛容な有り様に戻そうとしているのである。

およそ力で物事を解決しようとした十字軍が、エルサレムを何とか奪回できた期間は全期間を通しても100年ほどである。
最後はイスラムによって13世紀に蹴散らされている。

この事に鑑みるなら、自らの主張によって襲撃を受け、生死を彷徨う裂傷を負いながらも口を閉ざさなかった彼女こそが、イスラムを根底から変える契機、その希望を世の中に与えてくれたのであり、自身の主張によって現存するイスラム勢力からいつか殺される、ノーベル平和賞の受賞はその標的になる事を理解した上で受賞した彼女の意思こそが、やがてイスラムの女性達を動かし、しいてはイスラム教義そのものを動かす原動力になるかも知れない。

そしてイスラムが変わる為には50年や100年の歳月は必要になる。
現存イスラム強硬派が最も恐れるものは武力ではない。
その教義の正当性に拘る部分を太陽の下に晒される事を最も恐れるはずである。
だからいつか「マララ・ユサフザイ」さんは殺されるかも知れない。

パキスタンの少女はその事を知りながら、或いは自身が殺されたら新たな歪曲された預言者にさせられるかも知れない、でもいつかの未来に女性達が自由を獲得するかも知れない可能性を信じたのであり、この戦いは空爆などと言う古典的な闘いとは次元も規模も異なる壮絶な戦いで有る。

私がイスラム国との戦争は100年かかるとしたその100年後は、アメリカやヨーロッパ、国連によってもたらされるのではない。
「マララ・ユサフザイ」と言う一人の少女が存在するからこそ、100年後が信じられると書いているのである。

[本文は2014年10月23日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。