「夏の器」

塗師屋(ぬしや)と言う組織には「筆頭職」(ひっとうしょく)と言う立場が有って、これは通常ならその塗師屋の一番弟子で、修行期間である年季明けが終わった者が、他の塗師屋でも働いて経験を積み年齢を得て、もとの塗師屋で指導的立場に有る、商家で言えば「番頭」の立場に有る者を言う。

だがもしその塗師屋が創業間も無い時は、暫定的にその家の一番弟子の年季明けが終わった時点で、事実上の筆頭職になる場合が有り、筆頭職は親方の次に権威を持っているが、高齢の筆頭だと時には若い親方の指導も兼務している重要職となる。

春3月、まだあちこちで雪が残り、細かく冷たい雨が降っている日だった。

年季明けが終わって間もない私は一番弟子だった事も有って、暫定筆頭職になっていたが、そこへ一人の、30代半ばくらいだろうか、ジャンパー姿の男性が訪ねてきた。

だがおそらくその男性は言語に障害が有ったのだろう、言葉は途切れ々々でしかも発音もしっかりしない。

そこで私は紙とマジックを持ってきて、それで筆談する事にしたのだが、彼は輪島塗の下地職人で、今現在解雇されて仕事が無くて困っている事、障害者である事を紙に書き、つたない発音で「何でもします、どうかここで雇ってください」と何度も何度も自分より年若い私に頭を下げるのだった。

オイルショックか何かでとても景気の悪い時だったやも知れぬが、さすがに人を雇う事に関しては親方の範囲である事から、彼を事務所に待たせて親方に相談に行ったところ、親方は自分が直々対応すると言って事務所まで来ると、「済まない、家も景気が悪くて今は人を雇えない、本当に済まない」と、その職人に頭を下げた。

藁にもすがらんばかりの職人は更に悲しそうな顔になり、そして来た時と同じようにつたない口調で「分かりました、ありがとうございました」と言い、また冷たい雨の中を去って行った。

現在漆芸技術研修所に入所する者の中には美術工芸大学を卒業後入所している者、又は漆器が好きで頑張っている者が多い。

そして若い人や、それを支援している塗師屋も頑張っている事や、やる気が有る人が評価されているのは、それはそれで悪い事では無い。

だが「夏の器を作りました・・・・」と言うお洒落なダイレクトメールなどが送られてくると、私は何故かあの冷たい雨が降る日の男性の事を思い出してしまう。

私は今もガックリ肩を落として去って行く、あの男性の後姿を見送りながら、親方と2人で「済まない」と謝り続けているのかも知れない・・・・。

 

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. タイトルを見た時は、枝雀の「夏の医者」を連想しましたぁ。

    助けて遣れないことも有りますが・・時に及んで思い出すだけでも、次ぎに何かあるときは、一歩進めるかも知れない。

    親方も凄いですね、その方も、仕方ないけれど、少しは気を落ち着けられたかも知れません。
    強い立場の人は、遣ったことを忘れがちですからね、現代の東西の各種色んな事件もそんな事が一因としてあるように思います。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      私が修行中の頃、周囲には明治生まれの先達が沢山存在し、祖母なども明治の女で、とても厳しい人でした。
      多分親方は私に対しても困っている人が来て、その時助けられないときはどうしたら良いかを教えてくれたのだろうと思います。
      つまり「逃げるな」と言う事、正直であれと言う事だったのだろうと思います。
      見栄や体裁を考えるなら親方は自身が断る事をせず、誰か他の者に言わせたでしょうし、「済まない」と詫びることも無かったでしょう。厳しい現実には正面から対処し、自身の状況を偽るなと言いたかったのだろうと、今はそんな事を思います。
      振り返ってダイレクトメールで「夏の器、作りました」は大変オシャレですが、人としての真剣さが感じられず、そうしたものに対する他者の扱いもまた然り、どこかで厳しい現実に対して見栄を張っているような気がして、冷たい雨の中を彷徨う職人の姿を思う時、思わず叫び声を上げたくなってしまう自分が在ります。

      コメント、有り難うございました。

現在コメントは受け付けていません。