「流れ星に祈りを」

古来「流れ星」にまつわる占いは正邪、吉凶の両方の解釈が在り、その解釈の分岐点は占う者、占いを依頼した者の事情、環境によって生じる。

巨星の滅するに似たりで、大きな星の消滅は、小さな鋭い光の新しい星の出現と対比され、これによって既存の巨大な権力が崩壊し、新しい権力の発生を意味するに同じで、個人の単位では「先に在る環境の変化」を意味している。

が、古代中国、メソポタミアなどに見られる「流れ星」の概念は「結果が出る」或いは「変化が起こる」であり、ここでは具体的に吉凶、正邪の区別が付いておらず、従って総合的には「結果が早まる」事を意味していたかも知れない。

難しい問題を先送りしている状況、好意を抱いている者に対して打ち明ける事を戸惑っている者、小さな悪事を働きその発覚を恐れている者に対し、2ヶ月後に来るで有っただろう結果が3日後に来る、そう言う事を意味していただろうが、この因となる環境の変化の質に付いては問われていない。

自然現象や災害、人為的なものを含めての変化だった。

現状が思わしくない者に対する変化とは現状の打破か更なる窮地で有り、現状が好調な者にとっての変化は、もっぱら好調な状態からの崖落である為、恵まれていない者には「希望」、恵まれた状態の者にとっては「恐れ」と言う事になる。

そしてこの流れ星より大きな光、マイナス4等星以上の明るさを持つ流れ星を「火球」(かきゅう)と呼ぶが、大きな隕石と流れ星の中間に位置する規模の、小さな隕石の地球大気圏への突入現象であり、まるで光の玉が空を浮遊しているように見える事から、この名称が付けられている。

ちなみに隕石が地上に届く場合、届かない場合でもマイナス4等星以上の明るさを持っていれば、これを「火球」と概念し、色は緑、赤、オレンジ、黄色、白のものが有るが、これは大気圏に突入した隕石に含まれる金属物質の違いによって生じる。

火球は一般的に大気圏の中で燃え尽きてしまうので、流れ星のように末尾が綺麗に線状で終わらない場合が多く、一番多いのは速度が落ちて最後は2つか3つに分離したした状態で消えていく形になり、大きなものは大気圏に突入した時衝撃音を発するが、数十キロメートル有る大気圏を音速で割れば、物理的には音が到達するまでに何分と言う単位の時間が必要になるはずだが、多くの場合、火球の出現と同時に衝撃音が聞こえる事が多い。

これは電磁波レンズ効果の影響と考えられ、地震等も正確には地殻の震動の初期には音が発生していないにも拘らず、電話などでは崩壊音が聞こえるのと同じ原理かも知れない。

1812年、この年江戸では多くの人が「火の玉」を目撃する現象が発生し、両国界隈では夜店が出てとても賑やかだった記録が「我衣」と言う文献に残されているが、これはどうも「火球」だった可能性が高く、相当に長い期間「火球」が連続して出現したものと考えられている。

最も近い記録では1992年から1995年かけて、日本各地に多くの火球や隕石突入が相次ぎ、この為に阪神淡路大震災と関連付けた解釈をしたケースも発生したが、実際には阪神淡路大震災以後の「火球」目撃例の方が多かった。

それに毎晩夜空を眺めていれば、一つや二つの火球は見られるのが普通である。

だが、これが暗くなって早い時間の比較的大きな「火球」だった場合、人々はそこに偶然の中に必然性を感じ、また末尾が割れて消えて行く事から、「火球」は凶事、天変地異と繋げられる事が多かったが、古い文献では中国でも欧米でも「火球」と見られるものの解釈に「水上馬」を重ね合わせている場合がある。

「水上馬」とはつまり、洪水である。

1812年の江戸の記録は8月後半、9月前半の話であり、この年の9月4日、江戸は台風か若しくは局地豪雨に襲われ、水害で多くの被害を受けていて、「火球」の出現をこれに連動させている形跡がある。

更に1812年は天明の大飢饉が収束し、比較的安定した時期の最後の年で、翌年の1813年から天保の大飢饉が始まって行くのであり、欧米の記録の中でも聖書は隕石落下に拠る直接的な人命の遺失が記録されているが、聖書以外の後年の記録では何故か時々「水上馬」の記述が出てくる。

「我衣」の記録でも、「多紀貞吉」と言う人の話を聞いた「山崎宗固」と言う人の話として、馬に乗った衣冠束帯姿の古い装束の一行が、青い光に包まれ、無言で川の上の空中を歩く姿が記述されていて、これから直後に江戸の大洪水が発生している記述がある。

元々水上馬の発想は氾濫した激しい川の水の流れ、その先頭をイメージしているものと考えられ、怒涛の勢いで走って来る馬の姿に川の流れを合わせたものと考えられているが、これが何故時々「火球」と重ね合わせられるのかは現在では解らない。

唯、欧米の地方伝承でも、日本の地方伝承でも、川の流れが止まり、次の瞬間その水の無くなった川を白馬が走ってきて、その後ろから洪水が襲ってくると言う伝承がいくつか残っている。

これらは多分土石流を概念していたのではないかと考えられるが、昔の人のイメージとは実に豊かで恐ろしく、また正邪、吉凶が背中合わせの自然事象を良く表現していると思う。

聖書の記録では、戦争時より多くの敵が隕石落下によって滅ぼされた事が記述されている。
滅ぼされた命とその国家にすれば隕石は最大の凶事となり、これに敵対していた者に取っては最大の天恵となる。

人の世の正邪、吉凶とはこう言う意味である。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。