1・「人の隙間に生きた少女」

1980年代の事だったと思うが、ある日系ブラジル人2世の夫婦が子供2人を連れて故郷ブラジルから日本へ渡り、そこで自動車部品工場の仕事を見つけ働き始めた。
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しかし生活は苦しく、両親は夜遅くまで働いていたため、2人の子供11歳の長男と13歳の長女は、殆ど2人きりの生活となって行ったが、そうした中、この少女には当時19歳になったばかりの大学生のボーイフレンドが出来た。
彼女はこのボーイフレンドのことが好きだったらしく、頻繁にこの男子大学生のアパートに出入りしていた。
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だが間もなく、この少女の両親は仕事が無くなったことから、他の府県の別の家電製品工場で働く事になったが、新しく勤務する事になった工場の寮は狭く、長女にはボーイフレンドがいることから、彼女を置いて両親は住所を変更し、この少女はこの日系ブラジル人夫婦の親戚が所有している、古い一軒家で一人暮らしになる。
当時少女は学校へも行かせて貰えず、1日中この家やその周辺で過ごしていたが、そんなおり、14歳になった少女は妊娠する。
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そして少女はこのことを男子大学生に知らせるが、この少女には健康保険証も無ければ、ましてやそもそもビザさへ切れているような状態であることから、この男子大学生は「その内何とかする」と言いながら、結局何も出来ず、彼の両親にすらこのことを話していなかった。
少女は両親が送ってくれる僅かな金で買える食料と、男子大学生が持ってくるお菓子などで食いつないでいたが、お腹が大きくなる頃には動くのもままならない状態となって行った。
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またこうした状況の中、妊娠して性交渉が出来なくなった事から、男子大学生はそれから後この少女の所へも来なくなった。
それから数ヵ月後、付近住民がこの家から異臭がすると言うので、警官2名がこの家に立ち寄ったところ、居間と台所の間で死亡している少女が発見された。
あたりには畳を手でかきむしった形跡があり、彼女は相当な苦しみの中で死んで行った事が伺えたが、それよりも衝撃的だったことは、彼女の太ももの後ろ側にはへその緒が繋がったままの、男の赤ちゃんが一緒に死亡していたことである。
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この少女は自分だけで出産しようとしたのだろうが、体力も無く、それで出産に失敗し、生まれた赤ちゃんもそれと同時に死亡したに違い無かった。
惨い事件と言うだけでは済まされないことだったが、当時私はこの事件を知ったとき、この少女の不安な気持ちを察するに、思わず目頭が熱くなったことを憶えている。
だが一般報道はこの事件の扱いを意外に小さく扱い、またこの男子大学生についても、その後どうなったかの報道はついに為されないままとなった。
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この事件を鑑みるに、日本と言う国はどこかで限りない無責任な社会であり、つまり法的に存在していない、または適合していない者の運命には感知しない風潮がある。
この場合も国籍が違うから民生委員は知らん顔、そして責任能力の無い大学生は都合が悪くなったら放置、そして14歳で保険証が無ければ病院で出産する事も出来ず、両親もまた少女を放置していた。
考えて見ればこの少女は「人の隙間」で生きていた事になり、それに対して誰も手を差し伸べることが出来なかったのである。
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人間として生まれてきて、これほどに辛く寂しいことが他に有ろうか・・・。
日本の法律はいつでもそうだが、健全な者、正規の暮らしをしている者を基準とした法律しか作らない。
それゆえ非合法な者はそれが存在すらしないことになるのであり、こうした事例はフィリピンから金で買われ、非合法に連れてこられた少女たちが辿った運命もまた同じだった。
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自身が非合法であるために性的奴隷となっている状況を申告できなかった。
そして逃亡した結果、組織から追われ殺されていくしかなかった者が、どれだけ存在したことだろう。
にも拘らず日本と言う国は、そうした事は法律上有り得ないことから、いつも無視し、隠蔽とまでは行かなくても、故意に事態を大きくしない方向性を取ってきた経緯がある。
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人間の暮らしにはその表面的社会生活と、影の部分が存在する。
言い方が難しければ、建前と本音といっても良いかも知れないが、そんな光りと影が存在し、では人は光の部分だけで暮らせるかと言えばそうは行かない。
人間は日常心の中で、それが行動に出なくても光と影を行き来しながら、かろうじて光に生きているのであり、普通の人でも時には影に落ちるときもあり、また親の都合、第三者の行動によっては、どうしても光の部分では暮らせない者も出てくる。
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しかしこうした状況を特殊な例として法律で規制したとき、そこから発生してくるものは、影に落ちた者たちの更なる闇であり、日本の法律はこのことを考えていない。
人間社会には「善」の部分にも濃淡があるが、「悪」の部分にも濃淡があり、この内「悪」の部分を失くそうと規制すれば、その「悪」は濃淡を無くし、結果として深い闇しか残らなくなる。
せっかくもう少し頑張れば何とかなったものが、法律によってまた闇の底へ突き落とされるのである。
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だから法律は法律で構わないが、それを運用するときは幅を持たせて運用しないと、グレーゾーンで暮らしている者が、法によって完全な「悪」となって行ってしまうのであり、「悪」を法で縛ったからと言って解決にはならないものなのだが、こうした背景から生まれてくるものは、「闇の力」と言うものである。
つまり善良な精神を持った善良な法は、非合法組織の力を大きくさせてしまう傾向を持つ事を憶えておくと良いだろう。
T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 熊本の慈恵病院の「コウノトリのゆりかご」所謂赤ちゃんポスト、反対者も多かったようですが、中には日本の伝統的美徳が失われるとか軽薄な世上を加速するという難癖ににもならない、想像力のない皮相なご意見を言う御仁もおりました。エテ公でもチンパン人でも、死んだ赤子を暫く連れ歩くものが居るのに、手放す親に対する共感が全く無いなんて、それこそ日本人ので伝統的惻隠の美徳は失われんとしているかも知れません。

    今を時めくJICAですが、数十年まえに海外移民事業団もその前身でした、ま、一種の棄民政策なんですが、平たく言えば騙されて移民した人が借りたお金を返せなくなって暫く係争がありましたが、最後には非を認める形で、JICAが債権放棄した記憶が有ります。

    多摩川の河川敷で東南アジアの不法滞在者が餓死した事件がありましたが、これも法の要請主義に阻まれて、異国で気の毒な事になりました。
    法は、それを知らない、若しくは最も弱い人々を救済出来る準備をして置いて欲しいものです、結局は担当者の資質にも大きく依存すると思いますが。

    人は誰かが気をつけて、誰かが待って居る、誰かを待っている状態じゃないと、生きて行けないと思うのですが、教条的に済ませる事が多くなっている気がします。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      この少女の事件を思う時、遠く異国から幸福になろうとして日本へやってきて、そして最後は信じた全ての人から裏切られ、畳を掻き毟り乍ら死んで行った少女の無念が余りにも小さく扱われた事に対し、私はこれが日本と言う国、日本人だったかと言う気持ちになったものでした。こうした在り様が、例えたった一人の命でも国家レベルの恥、国民全体の責任として考えられなくなってしまっていた当時の日本人に対して強い憤りをおぼえたものでした。また同時に海外で災害や広域事件が発生すると、報道は真っ先に「日本人の被害者はいなかった」と報道する。人の命は誰も皆公平で、親が子を思う気持ち、子が親を思う気持ちに国の違いなど在ったはずか・・・と言う事を今でも思います。教条や原則に拠って現実が蔑ろにされる、それこそ全体主義と言うもので、この傾向に今では無関心と利己主義が加わった日本は、もはや形骸的な日本としか言いようがなく、作家の司馬遼太郎がやはり当時の日本に対して疑問を感じ、そこから歴史小説が始まった経緯に鑑みるなら、彼に遠く及ばないまでも、私もこれが日本か、これが日本人かと言う疑問を常に問いかけながら自身の知る記録を残しておきたいと思うのです。

      コメント、有り難うございました。

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