「裏切られるまでの信」

2014年のNHK大河ドラマ「黒田官兵衛」のラストシーン、徳川家康が関が原の合戦に及ぼうとしているその時、九州で黒田如水(官兵衛)が挙兵したとの報を受け、家康が「如水め~」と言う場面が有ったが、これは現実には有り得なかっただろう。

黒田如水も徳川家康もNHKで脚本を書いている者ほど浅い生き方をしてはいない。

関が原合戦の前、既に黒田如水は家康に九州で西軍に付く諸将討伐の請願書を出していて、徳川家康もこれを承認している。
従って、黒田如水が九州で挙兵する事は徳川家康の既知なのであって、尚且つ黒田如水のある程度の裏切りも承知していたはずである。

頼朝以降の源氏が全てこの嫡流を名乗る「八幡太郎義家」、「源義家」(みなもとの・よしいえ)の父「源頼義」の時代(1000年頃)から既に日本に存在する武士は限られていた。

それゆえ敵だ味方だと斬り殺していたのでは有能な武将を失うと言う国家的損失が発生するのであり、こうした背景から優れた武将と言うのは敵としても味方としても、それは状態を現していると言う考え方が古くから存在し、この起源は中国春秋戦国時代の「孫子」以前に遡り、現実には言葉通りにはならずとも、それを理想とする考え方は根強く残り、古典的な「義」や「仁」の定義を変質させた。

敵か味方は「人」ではなく、その人が置かれた状態を指していると言う考え方は、一見卑怯であったり整合性が無いように思われるかも知れないが、基本的に寿命の有る人間にとって、約束とはいつか死が訪れた時それが守れなくなるものであり、しかもそれがいつ訪れるかは解らない。

従って約束が人の世の慣わしなら、いつかはそれを裏切る日が出てくる。
始めから人の終わりは裏切りなので有って、敵味方と言うものはその時の状況にしか過ぎないと言う考え方は一方に理想が有るなら、その片方の「現実」を拠り所とする事に始まる。

家康は関が原で戦うに措いて、西から攻め込まれる恐れを黒田如水に拠って防がねばならず、嫡子の黒田長政を懐柔したのも如水に対する警戒からで、確かに関が原で石田三成に敗ければ黒田如水は天下を狙うかも知れない。

またそうでなくても東西両軍が戦いで疲弊した場合も同じかも知れない。

しかし西の憂いを抑え、いつか裏切るにしても、その裏切る瞬間までは味方として動く事を使った訳であり、その裏切りのタイミングも解っている。
だとしたら、これ以上確定した味方は有り得ないのであり、黒田如水も裏切れる場合と、味方として残っていかねばならない分岐点が解っていて、その分岐点は徳川家康が思うタイミングと一致していた。

そして徳川家康は幼い頃から今川義元、織田信長の人質として、いつ首を刎ねられるか解らない時期を生き抜いて来た武将であり、これは黒田如水とてそう大きな変わりは無い。
自身の命の儚さと強さを、天下と言うものの恐ろしさと無情の強さを知っていた。

だから関が原の合戦前に黒田如水が九州で挙兵した時に言う言葉は「如水殿、合力かたじけない」と言うのが正しく、徳川家康なら必ずこうした言葉を使うだろうし、黒田如水にしても「わしは天下を取る」などとは絶対言わなかったはずである。

「徳川殿、お味方しまずぞ・・・」
までを言葉にし、それ以後は心の中で「ただし、天意が無ければそれまでですが・・・」と言う事だっただろう。

豊臣と言う大義上は味方同士だが、天下と言う立場では限りなく大きな敵同士だった家康と黒田如水、彼等はその敵としての立場上でお互いをもっとも理解し合える関係に有った。

現状の周囲に存在する味方が味方とは限らない。
心情的に味方でもその者が愚かで有ったり、または心の弱い者で有ったりする場合は敵以上の被害を味方にもたらすことがある。

反対にいつか裏切る存在であってもどこまで行けば裏切るかが解っていれば、それまでは確定的な味方なのである。

これは法に措ける「罪を憎んで人を憎まず」と言う言葉に似ている。
すなわち我々は敵で有るか、味方で有るかと言う判断を「人」やその人の態度言葉「心」に求めるが、これは正確さに欠け、現実が見えていない。

自身の弱さを鑑みれば、人に強さを求める事の愚かさを知るべきであり、状況に応じて裏切らねばならない場面は容易に訪れる。
ここに何時も裏切らないと言う「信」が有るのではなく、「信」の現実面は常に状況に在って、期限の中でしか存在し得ない。

「信」は「人」に「言」であり、人の言葉は常に裏切られ続けるゆえ、「信」の大切さが説かれるのであり、「仁」と「義」の初源は言葉による約束の対極にある。
すなわち言葉に対する許しの根拠が「仁」で有り、言葉に対する履行が「義」である。

後世国家と言う意識が発展してくるに従って「仁」と「義」は二面性を持つに至った。
自身が世の中に示す「仁」や「義」と、世の中の為の「仁」や「義」は相反する。

国家の代表は自身が約束を守ることで「信」を得られるわけではない。
その約束が守られたとしても国家が困窮したなら、約束など守ってくれない方がまだましであり、自身の「仁」や「義」に拘った場合は既に方策を失っている事が多い。

つまり国家元首が自身の「仁」や「義」を守ろうとする行為の裏側には、大局に対する失敗が常に潜んでる事を憶えておく良いだろう。
また敵味方と言う関係の中で「信」と言うものを思うなら、それは人に在るのではなく、時と場、その人間の状況に在る事を思った方が良いだろう。

決して未来永劫変わる事の無い真理はこの世の中には存在しない。
それが真理となり得るのは「終わった時」である。

味方だから「信」が在る訳ではなく、「信」は敵に在っても存在し、いつか裏切られるからそこに「信」がないと思うのは浅はかな事である。
「信」は長さにあるのではなく、その強さに意味が有り、例え一時でも人を信じる事が出来た、信じ合える者がいた事を有り難く思わねばならない。

裏切られるまでの「信」を理解し得ない者は、常に「信」に怯える事になる。

[本文は2015年1月3日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。