「韓非子の山」

高い山に登って眼下を眺めると大変心地良く、また下に広がる景色に、人の世の暮らしの何とささやかな事かと思う。
が、実は人の世は平地にいても高い山にいても同じであり、それを小さく感じさせているものは「山」なのである。

このように我々人間は今自分が在る場所、存在している時間に拠って、何等変わる事無く営まれている社会を、全く異なる感覚でそれぞれに捉えていて、自身の本質を忘れ易い。
いや、そもそも自身の本質はこうして環境と時に拠って変化していると考えた方が良いのかも知れない。

しかし一方で山の頂に在るからと言って、自身の体積がその大きさになったのでもなければ、寿命が延びた訳でもない。
山の下にいる時と何等変わらないのだが、山がこれを忘れさせ、そして人は山の力を自身の力と錯誤し易い。

銀行で支店長を務めた男性などが定年退職した途端、その自身の華やかで多くの行員を動かしていた力が、実は銀行と言う組織の山だった事を知るケースは多いが、人間はこうして程度の差は有れ環境や時の下駄を履いて世の中を見ている。

更にはこうした自身の在り様、下駄を履いた環境が急激に変化しない場合、この環境に慣れて依存して行く事になる。

権力の座に在る者はその権力を自身の力と考え易いが、それは自分の力ではなく自分がはいている下駄、登っている山の力で有り、この事を忘れた者が為す事は山の力が持つ余裕で他を考え易い為、傲慢になるか甘くなるかのどちらかの非現実に傾く。

山の上に立つ爽快感は山がもたらしているものであり、眼科に広がる人間の心までもが小さくなった訳でもなければ、皆が山の爽快感から来る簡略さで生きてもいない。
また自分の身長が伸びる訳でもなければ、腕力が強くなった訳でもない。
状況は何も変わってはいない、その事を忘れず気を付けろ、と言うことだ。

「韓非」(かんび)は秦の始皇帝時代の思想家、政治戦略家だが、「韓」の王子で有りながら、敵対する秦の始皇帝が彼の著した「韓非子」に感銘を受け、始皇帝の招請を受けて秦に入り、当時の秦の重臣だった李斯(りし)の謀略に拠って毒殺された。

そしてここからは私の考えになるが、韓非子の山の反対側、「谷」もまた山と同じ程気を付けなればならないように思う。

病に有る者、貧困に在る者、老いた者、或いは昨夜飲み過ぎて今朝の体調が優れない者でも良いが、その調子の悪さに甘えて本来為せる事までも為さず、それが為せない理由に逃げてはいないだろうか・・・。

また一定の年齢になると、集まれば自身の体調の悪さを話し始め、やがては体調の悪さ自慢になるが、これもまた価値反転性の競合であり、不幸さ不運さ加減を話し、ここに自身の現状を肯定する理由とする場合も有るが、これらは本来ならもう少し頑張れる範囲を予め諦め、為せる事を為していないかも知れない。

犯罪の温床は実は「怠惰」であり、本来日常少しずつ積み上げなければならない努力を、明日に伸ばして行った結果迎える破綻の一つと言う側面を持つ。
病を理由に、老いを理由に、貧困を理由にもう一歩踏み出せる所を諦めるは、山に在って尊大に膨らんだ自我に同じである。

人間は良くも悪くも環境に甘え易い。
山に在っては山に寄りかかり、谷に在っては谷に甘える。
山に在る者は下駄を履いて考え、谷に在る者は自身の足を切り落として物事を見ている。

しかし両者の前に横たわるものは唯その時の環境と言うものでしかない。
本質の自分は本来何も失っていなければ、何も足されてはいない。

今山に在る者、調子の良い者も、谷に在って調子の悪い者もその環境に溺れず、環境に甘えず日々の小さな努力と謙虚さを忘れてはならない。
低い所から人を見ればそれはとてつもなく大きく見え、高い所から人を眺めるならそれはゴミ粒のようにしか見えず、だがこれは人の現実の姿に非ず。

全て自身と同じ身の丈の人間で有る事を、
自分は大きくも無ければ小さくもなっていない現実を怠ってはならない・・・。

[本文は2015年6月18日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。