「2冊の本」

東京工業大学の教授なども歴任した「関英男」(せき・ひでお・1905年~2001年)工学博士がその複数の著書、または談話中で引用していた2冊の変わった本が有る。

今夜はこの2冊の本を巡るエピソードに付いての話にしようか・・・。

イギリスのヴィクトリア朝を代表する小説家、おそらく世界で始めて推理小説を書いたのではないかと思うが、「Charles John Haffam Dickens」(チャールズ・ディッケンズ・1812年~1870年)が最晩年の作、「エドウィン・ドルードの謎」の執筆を始めて間もなく、1870年6月に脳卒中により58歳の生涯を終えてしまう。

「エドウィン・ドルードの謎」はこうして半分ほどを残して未完成作品になってしまうのだが、ディッケンズの死から4年後、1874年に突然この「エドウィン・ドルードの謎」は完結編が出版され、しかもディッケンズの自筆署名付きだったのである。

彼が持つ独特の陰鬱な表現、晩年に見せたその意欲的な部分、時に強引なストーリー展開もそのまま表現されていた為、多くの一般読者はこれをディッケンズの自筆と錯誤した。
しかし熱心なディッケンズのファンの中には彼が死後どうやって続きを書いたのか、その真相を追求する者も現れ、ここから意外な事実が浮かび上がってくる。

実はディッケンズの未完成部分を完成させたのはアメリカ、バーモント州ブラッドルボローの工員、T・P・ジェームスと言う若者で、1872年暮れから1873年7月までかかってディッケンズの未完成部分を執筆し、しかも署名までしていたのである。

彼はまったくの無学で文才は無く、ではどうして未完成部分が執筆できたのかと言うと、「自分でも解らない、知らない間に書いていた・・・・」と言う事だった。

また同じく「宇宙戦争」などで有名なイギリスのSF小説家、「H・G・ウェルズ」が1933年に出した「The shape of Things Come」中では、フィリップ・レーブン博士が2106年を現在とした、過去の歴史を述べているのだが、この中には第二次世界大戦の勃発や原子爆弾の開発に成功する事、それが日本の2つの都市に落とされ、都市は永久死滅都市となり、生き残った者もそれから後子孫が残せない状態になる事を述べているのである。

またこうして悲惨な最期を迎える第二次世界大戦だが、この後は日本が世界のけん引役になって世界国家が建設され、2106年に至っていることになっている。

1933年、もしかしたら実際に執筆が始まったのは1932年かも知れないが、だとしたらH・G・ウェルズは12年後の世界情勢をかなり明白に予測していた事になる。
勿論最先端の科学として核融合反応の事は知り得たかも知れない。
世界が戦争に向かってひた走っていた事は肌で感じられたかも知れない。

しかし日本政府が国際連盟脱退の詔書を発布するのは1933年3月27日の事であり、ルーズベルトがニューディール政策を実行していくのもこの時期なのである。
確かにいやな雰囲気が漂うものの、この時点で日本が世界を相手に戦争など、現実的には考えられていなかった。

いわんや原子爆弾など、当時の為政者や科学者の中でも認知されているケースは稀だった。

フィリップ・レーブン博士は滞在先のジュネーブで朝方夢を見る。
その夢の中で2106年版の歴史書が机の上に置いてあった。
そこから幾つかの過去の歴史、1933年以降の世界史の記録を垣間見た博士は、目が覚めると共に覚えていた歴史書の内容を書き留める、そう言うストーリーなのだが、妙にリアリティーが有る。

2106年まで後91年、H・G・ウェルズがフィリップ博士を通して言いたかった事が本当なら、日本は新しい世界秩序を作る為に大きな貢献をする国家となるが、ウェルズの未来を我々は現実にできるだろうか・・・。

関英男博士は宗教と科学、超心理学と科学の統一理論に関して研究していたエレクトロニクス、情報工学の当時の最高権威だった。
晩年は変わった言動も多かったが、私は関博士の著書によって物理学に血と肉を見つける事ができた。

本文は関博士の1973年の著書中に引用されていたものを私が加筆したものであり、博士に心から感謝と敬意を表するものである。

[本文は2015年6月27日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。