「水で火を燃やす」

財政の概念は本来政府の経済活動を意味するが、民間経済活動への非干渉、或いは公共と言う見かけ上の公平性に鑑みるなら、政府単独の経済活動は自由経済の概念に相反する。
この為一般的に財政とは政府の活動に必要な財源の調達を意味し、この範囲では財政の概念は「租税」と「公債」が中心になる。

しかし1930年代の世界不況下、ケインズのマクロ経済学が出てくると、公共投資の役割が重視され、財政は支出論が主流を占めるようになる。

特に「Fiscal policy」(フィスカル・ポリシー・財政政策)が注目を集めるようになるが、「Fiscal policy」の考え方では景気が悪い時は公共投資を増やし減税を行い、景気が良くなったら公共投資を減らし増税してバランスを保つ事によって、財政も民間経済も一定の均衡状態を目指したものである。

だがこれには「ハーベイ・ロードの前提」、「政策当局が有能であり、常に適時政策判断が実行される状況」が必要不可欠になるが、現実にはそのような有能な政策当局も政府も有り得ない。
従って景気の良い時に財政を引き締め、不況時に放出した公共投資と言う先行財政を回収できず、常に財政は赤字になっていく。

この図式から現在でも世界経済は抜け出る事ができないばかりか、更に深くはまり込んで停滞(スタグレーション)を引き起こしている。

またそもそも「均衡」と言う考え方では、水を頻繁に片方のバケツからもう一方のバケツに移し変えている中で、よほど丁寧にやっても自然減滅が発生し、これが雑な者の手に拠るなら、その減滅率はきわめて高いものとなる。

そして政策当局や政府には初めから丁寧な概念が無く、常に雑な在り様で水が移し変えられる。
当然初期に存在していた水の量はバケツに移し変えられた回数に比例して減滅する。
政策を行えば行うほど財政は赤字になって行くのである。

資本主義経済の中では経済の全てが民間の活動に拠らねばならないが、民間経済の中では必ず内在的な欠陥が生じ、この事により利益を被る者より不利益を被る者の方が圧倒的に多い現実は、政府などに一定の調整等を期待するようになって行く。

それゆえ財政の概念の中には「資源配分」「所得再配分」「経済安定」の3つの機能が存在し、「資源配分」とは民間に拠って供給されない公共財の供給、すなわち司法、外交、防衛などがそれに該当するが、政府の規模が拡大すると、住宅や保健、教育などの半民間供給財にまで影響力を及ぼし、この影響力が強まった分だけ、バケツの水は早く減っていく。

また所得の再配分では市場機能から得られた所得配分が、「公正」の基準に鑑み著しく偏っている場合、これを調整する政策だが、高所得者の所得に対する累進性、資産に対する相続税制などにより集められた財政を、生活保護費用などの公的扶養を通して低所得者へ再配分する仕組みとなっている。

しかし携わる者の手が増えれば増えるほど公務員給与の形で、名目外財政の遺失率を増加させる。

「経済安定」は冒頭に述べた「Fiscal policy」の事である。
だが、公共投資の増大は必要とされる資金の額、総量が一定のものなら、民間の資金が公共資金によって侵食される作用を持ち、一般的にこの現象を「crowding out effect」(クラウディング・アウト効果)と言う。

政府が大量の国債を発行して金融市場から資金を調達すると、金融市場が逼迫して金利が上昇、民間の資金調達が阻害される現象を引き起こす。
その結果国債を大量に発行して公共投資を増やしても逆に民間投資が減少し、全体の有効需要は増加しない。

相殺されるのだが、政府が動いた分、民間が混乱した分、初期の財政を遺失する。

安部政権の経済政策、俗に言う「アベノミクス」はこの点に措いて公共投資によって逼迫する民間資金を紙幣総量増加によって補おうとするもののように見えるが、これは水をかけて火を燃やそうとしている、或いは料理に塩を入れながら同量の砂糖を入れるに同じで、民間資本が最終的にはどんな味の料理にしたいのかがまったく見えなくなる。

方向性や未来のビジョンを失うのである。

同時にこうした白と黒を平行して行うような政策はグレーになるのではなく、白と黒を際立たせる効果を生み、恩恵を受ける者とそうでは無い者の格差が広がり、元々民間の資金投資が低調だった上に国債が大量発行され、資金逼迫の無い財政投入と言う無責任な状態から、資金は過剰になりながら民間の設備投資は進まない現象を発生させる。

そこで余った資金は全て流動性財物、株や金融に流れ、ここでは市場が活況を呈するが、実際の民業、中小企業や第一次産業はより強く海外の影響を受け、縮小していく。
それに株などの資産は流動性資産であり、これが上がったところで決済すれば利益が発生するが、下がったところで決済すれば不利益を被る事になる。

最終的に固定資産の変動幅は大きくなりながら価値を失う方向へと向かい、決済に即時性が薄い固定資産の取引は長期的には下落傾向になる。
固定資産は枝葉、地方から順に資産ではなくなり、逐次ゴミに向かうのである。

ちなみに景気対策で発表された公共事業の内、その年度内に実際の需要となる額を「真水」と呼ぶが、発表された公共事業がその年度内に全て財政支出となるケースは稀で、実際の財政支出は長期化する。

財政支出はそれが本当に必要な時よりずれて執行されて行く。

東北の震災復興費も額こそ発表されたものの、現在の段階でもそれが全て支出されてはおらず、その内に他の名目の財政支出が逼迫し、いつしか忘れられる。
財政支出の内「真水」となるのは多くても50%、通常は40%以下と言うのが現実かも知れない。

そして後の残りは全て「泥水」、或いは「逃げ水」と言うことになろうか・・・・。

[本文は2015年6月29日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。