「猫に手ぬぐい」

1980年頃まで残っていたが、今はあまり聞かれなくなった迷信に「猫に手ぬぐいを掛けるな」と言うものが有った。

この迷信はとても意味深い感じがするものの、その歴史は意外に浅く、江戸時代、東海道の宿場町「戸塚宿」で発生した逸話が始まりと言われていて、現在の横浜市戸塚で醤油屋を営む家の主が、なぜか毎晩手ぬぐいが1本ずつ無くなるのを不思議に思っていたが、ある晩帰りが遅くなってしまったおり少しばかり道に迷い、淋しいところへ出てしまった。

「やれやれ、何となく感じの悪いところへきてしまった」と思い先を急ぐ主だが、そこへ何やら賑やかな音が聞こえてくる。

「こんなところで何だろう」と思ったが、その賑やかな音がする方へ誘われるように足をむけると、そこでは何と20匹前後の猫が踊っていて、その中心に主の家の猫が手ぬぐいを被って踊っていたのである。

1980年代まで日本各地に残る猫と手ぬぐいの迷信は、実は全てこの話が元になっていて、現在の横浜市泉区「踊り場」交差点の名称はここから始まっていると言う説が有るが、同地区にはそれより以前から「またたび」に酔った3匹の猫が踊っていたとされる伝説が存在し、実際にはこうした民間に在った古い言い伝えに、江戸時代に流行した手ぬぐい文化が被せられたものと言えるかも知れない。

手ぬぐいの起源は御簾(みす)であり、位の高い者が身分卑しき者の前では姿を現さない事の、身分卑しき者の側からの「簾」と言う事ができる。

つまり身分の卑しい者が高貴な方に対して畏れ多く、自身の顔を隠す為に用いられた布が始まりとされていて、平安時代に身分卑しき者にとってはそれが自身が持つ一番高価な物、「布」に拠って畏れを表現した、これが手ぬぐいの始まりと見られている。

そして鎌倉期に始まった工業化、消費型経済文化が花開く江戸元禄時代に一般庶民へと普及し、用途も多様化した上で90cm×35cmと言う日本手ぬぐいの寸法も、大まかにはこの頃確定する。

また同様に稲作が基本経済となって行った日本では、米を鼠から守るために猫が重用され、その当初は鎌倉期に仏教の経典を鼠から守るた為に輸入された猫では有ったが、繁殖して人間生活に密着したものとなって行き、こちらも江戸時代には進んだ猫の繁殖と江戸文化が重なり、手ぬぐい共々大流行して行ったのである。

つまり猫と手ぬぐいは江戸元禄に流行したものの象徴のようなもので、これらが組み合わされて流行し、全国に普及した上で旧来から伝わる故事と融合し、その地域独特の猫と手ぬぐいの話が出来上がっていくのであり、この過程で当初は漫談のような江戸の逸話は「逆解釈逸話」へと変遷していく。

基本的には気候の良い地域と寒冷地、豊かな地域と貧しい地域、享楽主義と現実主義の差だが、江戸から地方へ伝わって行った猫と手ぬぐいの逸話は、厳しい環境の下では深刻化し、仏教思想や神道思想へと融合し、旧来から存在する猫の神秘性は「死」にまつわる話へと展開していく事になる。

猫が死者を飛び越えると死者が蘇ると言う伝承は古くから存在するが、こうした話と手ぬぐいを被って踊る猫の話が融合し、やがて猫に手ぬぐいを掛けるとその家に死者が出る、或いは手ぬぐいを被って踊る化け猫と言う具合になって行くのであり、厳しい階級社会だった江戸時代の日本では被る理不尽を哀れみ、こうした化け猫騒動で非業の死を遂げた者の無念を晴らす話が流行して行くのである。

さらにこうして猫や化け猫の流行と一緒に流行した手ぬぐいも、猫と同じように解釈の範囲が広がり、元々「簾」と言う一種の結界だったものが、その結界の要素を広げ、死者と生きている者を分ける為にも用いられるようになって行く。

死者の顔を何かで被う行為は、世界的にも古くから存在する人間の基本的な感情表現であり、これに手ぬぐいが用いられるようになるのは必然の事だった。

やがて手ぬぐいは死者にまつわる話へと発展していくのであり、この中では結界思想がその絶対性ゆえに曖昧性を帯びていく過程が存在し、九州の一部地方ではつい最近まで盆踊りに手ぬぐいで顔を被って踊る地域が在ったが、これなどはお盆に帰ってくる死者達に違和感を感じさせまいとする配慮から、自分が手ぬぐいで顔を被って死者との隔たりをなくすると言う意味が有った。

「村上健司」著、「日本妖怪散歩」によれば1737年に現在の横浜市泉区踊り場交差点付近に、踊る猫の魂を鎮める為の供養等が建てられたとされている。

当時「猫」や「化け猫」がここまで大流行した事が伺えるが、一緒に登場してくる「手ぬぐい」「灯り油」もまた大流行したものと言え、化け猫騒動が主人の恨みを晴らすものだったり、仏教の逸話に融合したものが多かった事を考えるなら、華やかな江戸元禄文化の背景には人々の恨みもまた多く、救われたいとする者の多かった時代である事もまたうかがい知れるのである。

猫に洋服を着せ帽子を被らせる昨今、「手ぬぐいを掛けるな」などと言う者は既にいなくなったかも知れないが、手ぬぐいは死者と生きている者の境界で有り、これを罪もない逆らえない者に対して悪戯に被せる、死と生を安易に遊ぶ、その自身の不遜さは迷信を超えて厳に慎まなければならないように私は思う。

ちなみに私は現在も農作業に出るときは日本手ぬぐいを被って出かける。
手ぬぐいは今も私に取っては重要な日常との結界なのである。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。