「大吉のおみくじ」

この村で餅を作るのが私の家だけになってもう5年、いや7年ぐらい経つか・・・。

高齢化で一人暮らしの家が殆どになり、あとは空き家ゆえ、時間も人手もかかる餅を作る事が無くなった村の人達は、いつしか正月や祭りの餅を私の家に注文するようになって行ったが、その注文も年々減って行く。

元々餅は我が家の余力で作っていたもので、もち米の代金だけで手間や経費は年末年始の休みゆえ趣味と割り切っていた為、専門の餅屋さんから見ると値段は半額以下の代物だったが、父が右半身不随となり母が死んでからはもっぱらこの餅作りは私の仕事になっていて、ついでに私は預かっている田畑の地権者や世話になった人、仕事の取引先にも「ふるまい」として切り餅を送っていた為、正月近辺につくもち米の量はゆうに1俵(60kg)を超える。

年々正月でも餅の準備をしない独居老人家庭が増え、気が付けばふるまいとして作る切り餅の方が増えてきていたが、12月29日を避け、28日に80kgのもち米を幾つもの桶に分けて水に浸し、切り餅用に大豆や「さや豆」なども水に漬け、それを30日に蒸して餅にする。

父が元気で母が存命中の時はこれを3人でやっていたから楽だったが、1人となった今ではこうした作業は結構大変で、朝6時には朝食を取らないと機嫌が悪くなる父親の食事と、7時には妻の食事を作り、その後片付けが終わってから米を蒸し始め、全ての餅がつき上がるのは夕方5時くらいになる。

この間にも家族の昼食の支度が有り、既に臼取りがいないから機械で餅をついている為、餅がつけている間に次のもち米の準備をしながらで大忙しだが、今年は仕事も来年の米の作付けも大きく整理した事から機気分的な余裕が有り、鼻歌交じりでこれを終えた私は翌日31日には注文されていた餅を届け、大掃除も終えて飾り付けをし、夕方には鶏とゴボウを煮たダシ汁の蕎麦に海老の天ぷらを乗せた年越し蕎麦を父と妻に作り、自身はもう蕎麦も天ぷらも見たくなくなっていたので、「あ~かい狐と緑の狸」の緑の狸に湯を注ぎ、それを猫にも食べさせながら、前年一年を終えた。

翌1月1日、切り餅がそろそろ硬くなったかと思ったら、どうやら少し米を蒸し過ぎた傾向に有ったのと、この暖冬で温度の下がり具合が少なかった為だろう、半分ほどは切れたが、残りの半分は切るとまだくっつきそうだったので、これを翌日に回して切れた分だけを世話になっている人と村の人達に配った。

そして帰ってくると、妻が呼吸困難に陥っていて、すぐさま病院へ連絡し連れて行ったが、2週間ほど入院が必要となった。
いろいろ準備し、父には正月早々不安を与えないように妻の入院は隠して、再度病院へ向かい、書きかけの年賀状を仕上げ寝たのは夜の9時30分、翌日1月2日には昨日切れなかった餅を切って他府県分を送付し、また病院へ向かった。

妻は正月早々済まないと言っていたが、「な~にどうせ休んでいるんだから暇つぶしには持って来いだ」と笑い飛ばし、年末に買い忘れた食材をスーパーで買って家に帰りついたのは午後3時、今年は余裕だなと思って1月1日に餅を配りに行った時引いた大吉のおみくじを棚に放り上げ、私はストーブの前で横になった。

祖母がよく「大吉」の年は油断が多くなるから気を付けろと言っていたものだったが、元々凶男の私は大吉には極めて警戒感がある。

姿を見つけ部屋に入ってきた猫の頭をなでながら、「まあまあの年明けではないか・・・」と呟いた私は、もしかしたら少し微笑していかも知れない・・・。

年末頻繁に秘匿をコメントを書いてくれたKJさん、これが私の答えだ・・・。
力無き者は人を助けてはならない。
家族と離反し正月に家にも帰れない状態の者がボランティアなどして、そしてそこから自身が救われたと思う、その時点で人も自分も救われる機会を失ったと思うべきだ。

本来人を救うのに自身が救われてはならない。
日本海溝地震(東日本地震)でも、よくボランティアをしながら自分が救われたと言う話が多く出てきたが、救われ得べき自身が有るならまず先に自分を救え。
その自分が救われた上で人を救わねば、たとえ共感したとしてもそれは相互に堕ちていく甘い誘惑だ。

弱き者は必ず何かにしがみつこうとする。
それが善意でも感動でも人助けでも同じ事だ。
それにしがみついて現状から逃げても自身も救われないばかりか、その救ったと思った人も現実を離れた危機が及ぼした非現実にしがみつく事になる。

税を払っているか、親兄弟に迷惑をかけていないか、誰かを裏切ったままになってはいないか・・・。
そうしたものが有るなら、まず先にそれに対して自身を正せ。

どこかで闇を抱えた者、愚かな者がした施しは相手に対して結果的な不幸、或いは破滅をもたらす。
能登半島半自地震でも日本海溝地震でも「善意」や「感動」を巡ってどれほどのものが失われたか計り知れない。

壊れたものは壊せ、それに絆創膏を貼って過去の思い出に浸っていても明日は救われない。
まずは離反している親のところへ顔を見せてやれ、その事無くしてどれだけ人を救おうが自身は救われず、人もまた先に進めないようにしてしまうだけだ。

語り部など人間の屑のやる事だ、額に汗してまず働け。

それとこの現代社会では決して頑張ってはいけない。
自分が損をしない程度に言われた事だけを正確にやる自制心が必要だと思う。
日本の社会はもう現実的には社会主義経済になっている。
この中では頑張れば頑張った分が他者に利する。

人に利用されるだけだから、今は力を蓄えて時を待て。
若者の働きが年寄りの遊興費に消えていく社会では、頑張ろうとするあなたの意思は将来社会に対する恨みにしかならないだろう。

また関東大地震はオリンピック前に必ず発生する。
古来より多くの者が文献に「地震の前に温暖なるものなり」と記している。
関東方面の温暖な傾向は1月16日前後まで続くゆえ、今年気を付けるとするなら、まず1月20日から2月5までを気を付ける必要が有るのではないか、そう思う。

安政江戸地震のおり、井戸水の水位が下がってから地震が発生した事を記録したのは商家の主だった。
「後世の人々に知らし置く為にこれを記す」としている。
地震は或る意味金儲けのチャンスだった商家の者でも「後世に知らしめる・・・」と言う意識を持っていた。

自身が救われたと思う感動の正体と、このスケールの持つ意味を體せよ・・・。

記事を尋ねて頂きました方々には謹んで新年のお慶びを申し上げます。
本年が皆様にとりまして良い一年でありますよう、希望致します。
本年も宜しくお願い申し上げます。

[本文は2016年1月3日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。