「徳の成立」

欧米の概念では「数」は数える事に原初を持つが、日本や古代中国では数は「読む」とも表現されてきた。
「数える」と「読む」の差とは何か、これは数と言うものが「自己」に有るか「他」に有るかの違いであり、もっと言うなら自己と他の関係を示しているとも言えるかも知れない。

「読」の旧字体は「讀」と書き、「言」の右側は「賣」と同じ表記に有りながら意味を違える。

讀の右は元々「睦」と「貝」の合字であり、これは街角を声を上げて物を売るその声を意味するが、「睦」とはまた温和な目、穏やかな目を意味し、この以前は「目」である事が明朝の時代の漢字からも見て取れる。

「睦」は「目」のその時の状態、「装飾」を表し、古くは「徳の右上「十」と「目」にほぼ同じ、一般的に漢字の上と下の関係は下が「意」となるから、「徳」の右の「直」と「心」に近いか、同じだったものの下に「貝」、「声を出して売り歩く」が当てられたものと考えられている。

一方「徳」の旧字は右側が「直」と「心」で構成されるが、これは実際のところで言うなら現在の「徳」である「十」と「目」と「心」の方が古い。
ただし、「彳」が付けられて使われるようになった事を総合するなら「直」と「心」の方が旧となる関係にあり、「直」とは「十」と「目」に簡素な塀が立っている事を意味する。

十の目とは何かと言うと、大勢の人の目をを意味し、「徳」は目を横にした状態の「目」の装飾であり、時々「四」などに近い状態でも用いられるが、「四」は周易では独特な位置に有り、「目」は古くは「神」や「天意」に近く、十人の人の目に半分の囲いの意味は「多くの人の目の前に完全な囲いは出来ない」、或いは多くの人の目の前では何事も隠す事は出来ないと言う意味に解釈されている。

しかし実際に徳の右側に「直」が当てられる事になったのは十の目よりは新しく、この意味では十の目を半分守れ、或いは十の目の後ろと上は自身が守れないが、前と下は守れとも解釈され、こうした流れから十の目を落とすな、誤魔化す事は出来ないぞと言う意味になったのだろうが、十の目の古くは「神の目」だったと考えられている。

「讀」と言う文字の状態は多くの人の目の前で正確に数を数え上げる事を意味していた。
誤魔化せない状態で物事を声に出して言う、つまりは占いの結果を告げる事、または天意に名を借りた権力者の詔(みことのり)にその端を垣間見ることが出来る。

同様に「徳」の右側も十の目の心であり、十の目の心と言う表記は「讀」よりも古く、この意味は基本的には「神の目を意識せよ」であり、「讀」共々十の目の心が途中で「直」の心に切り替わり、そして現在の「読」と「徳」のように全く違った意味になってしまったが、「讀」と「徳」は元々兄弟のような漢字で、「彳」は「貝」や「言」とは範囲が広い「行動」や「動き」「形」全般である事から、「讀」は「徳」の内、声を出して言う事に限定された「徳」の一部と言う事なのである。

ただ、十の目に半囲いが設けられた「直」の字の解釈は未だに不安定で前述された解釈も、推定の域を出ていない。
多くの人の目の前と下に塀を設け、後ろと上はこれが出来ないと言う表現の仕方は非常に意味が深い。

もしかしたら十の目から「直」に変化して行く過程には思想的に大きな変化が存在したのかも知れないが、決定的な事はこの時から徳や讀は神の領域から人の領域に降りてきたと言えるのである。

また「徳」の原義は「升」「昇」に有り、「升」の解釈は明白ではないが、木の柵組をした門の形、或いは階段や梯子を上る姿を表しているとも言われる。

「升」と「昇」とは同義だが、「日」に向かってかかる梯子、そして木の門の頂点付近を指しているとするなら、「日」に近付く事を意味している、簡単に言えば天の心に近付く、天の心を知ると言う意味とも考えられる。

しかしここでも十の目に囲いが出来て「直」と為すに同じような深さが出てくる。
易の掛に「升」が存在し、升は一つの限定でもある。
つまり「升」は上に上がる事を意味しながら、それが能動でも受動でもないのであり、在るべき所へ帰っていく為に上がると言う意味合いを持っている。

全く意識する事も無く意味も無く唯ゆっくりと上がっていく様を表している文字でもあり、こうした背景から見えるものは「太陽」や「月」の動きのようにも思えるのである。

「徳」の本質は「十の目の心」、多くの人の目を意識せよと言う事であり、この多くの人の目の先に「神」や「天」が在る。

してのその意義は音も無く考える事も無く、あるべき所に向かってゆっくりと昇っていく姿に有り、これを行動として表したものが「徳」、音に、言語に表したものが「讀」である。

我々が徳を実践する時、全く意識せず何も考えずに此れを行う事は難しい。

同様に眼前に出現する事象の全てを偽り無く見る事も、それを言語に置き換える事も非常に困難な事で有り、もしかしたら古代の人が十の目を半分隠して「直」にせざるを得なかった背景は、自身が神とはなり得無い事を表したものだったかも知れない・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。