「劣性依存症候群」

世の中には適度であれば有効に働きながら、過ぎると害悪になる物が沢山有るが、例えば薬なども処方を間違えれば逆に病に陥り、よくよく考えれば我々が暮らす社会も適量付近だから何とか維持されているのであり、この中では完全な適量は有り得ず、多少の誤差を伴って、過ぎた者も及ばない者も存在するのが普通、どちらかに傾くと世の中が危うくなって行く。

中世末期のヨーロッパ、俗に言う「ルネサンス」の頃だが、この初期段階で発生してきたローマカソリック支配体制に対する原始キリスト教回帰運動、宗教改革などを調べていると、価値観が豊かさを否定し、より苦しく厳しい方向へと向かって行く傾向を持つ事が見えてくる。

人間の価値観は非常に多様な部分を持っているが、自身が自分の価値を肯定できる人間、現在で言えば「成功組」とでも言おうか、そうした存在は少なく、大方の人間は中々自分の生き方やそれまでの在り様を肯定できる状態には無い。

こうした中で我々各自はどのようにして自身の価値を見出すかと言えば、住んでいる地域、生活圏内で他者との比較を行い、この中で優位に立とうとして物を買ったり預貯金を増やしたり、或いは利権を得ようと考えるが、これらはどう言う場面でも常にピラミッドの頂点でしか無い。

そこでこれから外れてくる人間の方が圧倒的に多くなり、ではこうした人たちがどうやって自身の価値観を築くのかと言えば、半分の人は上を目指すが、もう半分の人は諦めてしまい、ここでは同じ土俵を離れて精神性の部分へと価値観を向かわせ、この過程でそれまでの豊かさや物を多く持ったり、或いは権力に対する欲求そのものを否定する傾向が現れてくる。

また極端に安定した平均的に豊かな社会、平均的に貧しい社会では突出した豊かさや権力は精神的な崇高さから否定され、よりこれらから遠い部分に漠然とした価値観を形成するが、この傾向の激しい状態を「劣性依存症候群」と称する。

劣性依存は社会の半分が持つ人間の基本的な価値観ゆえ、上手く使えば社会に対して有効に働く。

古くは「背水の陣」もそうだろう、劣勢から動機が始まる画家や音楽家、宗教、伝統芸能の師弟関係など、劣勢依存をシステム的に管理できる場合は、ここから利益を得ることも出来る。
皆で結束して頑張って挽回する場合も有るだろう。

しかし豊かさへの欲望には際限がなく、最終的には自身の命で引っかかってくるのと同様に、貧しさや劣勢も命に到達するまでの距離を際限なく堕ちていくものであり、この極端な例が「イスラム国」などの自爆テロと言う過激原理主義運動となって行くが、この根底に沈むものは宗教ではない。

現状に対する不満、社会に対する不満、優性価値観を自身の中で築けず、劣性の中に突き進んだ上の行動であるゆえ、この傾向は特定の地域や国家、思想を越えて世界中で旗印として拠り所とされ、自身の破壊的行動に価値観を持たせる精神行動に使われて行く。

そしてここまでではないが、景気低迷で大手企業しか利潤を確保できない現在の日本社会では、中小零細企業がほぼ「劣性依存」の状態に陥っている。
「これだけ苦労しているんだ、必ず先には良い事も待っているはずだ」
「今は辛抱の時期だ、従業員の皆も辛抱してくれ」

こうした言葉に拠って、現状の劣悪な労働環境が肯定され、自身を鞭打つ事が成功に繋がると言うような、半ば宗教的修行状態に陥っている企業が増加し、ここではより苦労している事が価値観と錯誤されやすく、企業のブラック化は容易に進行していく。

長く監禁状態が続く被害者が、やがて誘拐犯に対して同情や好意を抱くようになる「ストックホルム症候群」は、基本的には「劣性依存症候群」の一つの劇症例であり、価値観が崩壊した後現れる「価値反転性の競合」も劣性依存の一つの方向性と言える。

劣性依存の本質的要因は「現実逃避」ではなく、「自己消失」、いや「自己忘却」と言うのが適切だろう。

火事などの緊急事態では我を忘れて人命救助に当る事が多いが、こうした状態の軽微なものが常に連続した場合、我を忘れて行動している時間が長くなり、本来の自分が遠くへ押しやられた状態になって行くこと、また諦めが多くなる事が原因かと考えられる。

そして劣性依存社会の末路は破綻よりも悲惨な底なし沼陥落であり、実質的被害者は若年層に集中する。

社会の頂点はどうしても経験の長い高齢者や年長者が築きやすく、高齢化社会で高齢者対策が重点的になってくると、このしわ寄せは唯でさへ若年層に向かってる上に、現実が劣性依存型の社会に向かいながら、高齢者の価値観は昭和と言う時代の優性依存価値観のままである。

ここで軽微な非常事態に拠って物分りが良くなった、或いは諦めから苦労している事で自身を肯定するようになった若者が被害者でありながら被害者とも思わない、また思っていても口にする事もできない組織や社会は、まず間違いなくルネサンスや宗教改革期のような、それまでの崩壊を迎える事になるだろう。

平成13年TBSの「日曜劇場」で放映されたドラマ「半沢直樹」にも出演していたジャニーズ所属の若者が、昨年末理由も言わずに突然芸能界から引退すると宣言したが、同じジャニーズ所属の「SMAP」の突然の解散騒動を見るに付け、私は彼らのファンでもなくジャニーズに怨みも無いが、伝え聞く範囲ではどこかで北朝鮮のような独裁企業、また老害満載の傾いた帝国企業をイメージせずにいられない。

更に、若年女子の優性競争心理を劣性依存に変換させ、独裁プロデューサーでアイドルグループが形成されている「AKB48」や、結束やストイックを拠り所にしたような「EXLE」の経営にも同じような臭いを感じ、少しばかりの気持ち悪さを感じてしまう。

TVの世界がいよいよ終焉を迎えている証なのかも知れない・・・。

[本文は2016年1月17日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。