「領土」

太平洋戦争終結後、アメリカの占領下に置かれた日本で、まず当時の民主主義の原則は被占領国の植民地化と言う、従来の形式を許さなかった。

この点でアメリカの占領政策は日本の植民地化政策のラベルを張替え、それが「同盟」と言う形だった。

それまでの国際社会は既に「植民地」が利益にならず、逆にリスクになる事を潜在的に感じていた事から、特にアメリカは豊富な労働力と資源保有国であり、日本に対して生産と言う形での従属を求める必要が無い、逆にそれはアメリカの将来的なリスクにしかならなかった。

日本を占領したアメリカが日本に対して求めていた一番大きな「必要性」は台頭してくる共産主義、社会主義思想、統制経済に対する防波堤の役割と、国際社会に措ける覇権の為の数の一つだった訳であり、日本を占領したアメリカが本当に必要だったものは、日本に措けるアメリカの軍事基地の拡充のみだったと言える。

だからそれ以外の事に付いてアメリカが友好的、寛容だった理由は「どうでも良かった」と言うことなのであり、結果としてこの事が太平洋戦争終結後、日本の本土返還は当初から決まっていたにも拘らず、沖縄の返還が大幅に遅れてくる原因だった。

アメリカがアジア、中東に覇権を拡大する過程で取った政策は「軍事植民地」と言う政策だった訳であり、対象国の軍事にアメリカが深く関与する事でその国家の軍事、つまり国家の主権担保をアメリカが握る形を整えて行ったが、そのモデルケースが日本の沖縄基地だった。

東南アジアは戦争被災国で有って占領国ではない、やれることが一番大きかったのは敗戦国の日本、それも沖縄の基地拡充だった。

その上で日本のモデルを東南アジアに弱く被せて行ったが、この事は日本を始め多くの東南アジア諸国が軍事をアメリカに依存している現実を見れば理解出来るだろう。

そして国家の軍事、暴力を握っていると言う事はその国家の最終意思決定権ヲ握っていると言う事なのである。

アメリカはこうして「同盟」と言う形で今も多くの国家の主権に関与している訳である。

太平洋戦争末期、日本の国家元首をして、沖縄をまるで防波堤のようにしか考えていない発言をせしめるほど、本土からすると遠い地で有った沖縄、しかし太平洋戦争が終わった直後、アメリカでは沖縄の占領は半ば恒久的な概念、戦勝取得物との考えが主流だったが、こうした中で終戦直後から日本政府は沖縄返還に向けて動き出す。

この背景は「血」である。

戦後の日本政府を構成する国会議員、或いは官僚もそうだが、彼らの中には沖縄戦で自決した父や兄、親族を持つ者も少なからず存在し、彼らの中では沖縄は父や兄がそこで国を守って死んで行ったと言う強烈な領土意識が有った。

「我が父や兄の血が沁み込んだ土地」だったのである。

それゆえ沖縄を妥協することは出来なかった。

あれは「日本の領土だ」「我が父や兄が命がけで守った土地だ」の意識は彼らをして決して諦めさせることは出来なかった。

そこへ朝鮮戦争が勃発、終戦直後の日本経済は軍事特需で異例の回復を見せる。

それまでアメリカで支配的だった沖縄の恒久占拠論は一転、日本に負担させてアメリカが使うと言う方向に動き始める。

軍事的には返還は表紙だけかも知れない。

ページを開けば「占領」のままだったかも知れない、だがそれでも形の上だけでも日本に還って来る。

それでも良い、今それしか出来ないのなら、その出来るところのギリギリまででも何とかしたい・・・。

これが沖縄返還だった。

美しい自然を後世に伝えたい、この綺麗な海が汚される事は許されない、生態系の影響は計り知れない、そんな理由などぬるいものでしかない。

「乱世測り難し、平時尚測り難し」

混乱の極みにある社会で一つの方向をつけることは容易い。

だがしかし、平和な時代に在っては方向は四方八方へと向かっていき、その中心には何もなくなってしまう。

日本は長く平和な時代を享受してきたが、その中で過去には一つに固まっていた領土意識が分散し、尚且つ今では人口減少で田舎の固定資産が既に消費された後のゴミになりつつ有る現実を鑑みるなら、日本人の領土意識は世界的に見ても大変消極的なものなのである。

沖縄の意識は複雑である。

女房子供がいつアメリカ海兵隊員に襲われるか解ったものではない。

いつヘリコプターや爆撃機が墜落してくるかもわからない。

一番許せないのがアメリカ軍なのだが、このアメリカ軍のおかげで日本政府から振興資金が振り込まれ、酒場が繁盛しイベントで食べていける側面が有る。

恨みや憎しみ、不安が金で封じ込まれた形なのであり、一番解決しなければならないのはこの歪んだ現実である。

如何なる危機も自身が選択したもので有るなら、納得や諦める事も出来よう。

しかし日本政府とアメリカ政府、それに基地施設指令らによってしか自身の道を選択できない現実、実はこれこそが占領と言うものなのである。

そして領土の意識は文化や思想、政治でもない。

「我が父や母、兄妹の血が流れた土地」以上の領土意識は存在し得ないので有る。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 空気と安全と領土はタダ、但し沖縄を除く。
    小笠原は戦場にはなりませんでしたが、赤く錆びた高射砲が、半分畑の荒れ地に有りました。
    もしかしたら今はもう、もっと朽ちて、一見では何だったか分からなくなっている気がします。

    暫く前に、帰郷した折りに、がが父祖が生まれて生きて、涙を流し、血を流し、そして死んでいった地に有る、墓所に入れるようにしました。
    特段の事が、起きなければ、そこの地に還ります。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      チンギス・ハーン以下、三代のハーン達の統治方法を調べていると、彼らモンゴルの領土に対する移動性の自由と言いますか、固定化されていない領土感覚が垣間見える気がします。「私に逆らうものは必ず殺す、それはこれまで支配した地であろうと、これから先に支配される地で有ろうと同じだ」と言う言葉の反面、従属は「税」のみで逆らわなければ大方の自由が認められ、意外にもそれまでの支配体制より自由で税も軽くなり、商工業が発展する事になりました。
      我々人間は他者いる限り誰からも干渉されず、如何なる支配も完全排除する事は出来ない。それが自ら望んだことで有れ、強要された事で有れ、必ず干渉やいくばくかの支配を受け、また同時に他者に対して干渉し、支配する事からも逃れられない。そして国家はこうした「人」の集積が為しているものであり、国土や国家主権もまたこうした人の「業」と同じ道を歩む。
      「力なき者は滅びる」は社会や人間の摂理ではなく、自然、森羅万象の理で有る事を忘れてはならないだろうと思います。

      故郷・・・、良い響きですね。
      穏やかで、どこかで安寧と言う言葉が似合う気がします。
      今朝は過去に他の所で掲載された、私の「故郷」を記事にしようかな、と思います(笑)

      コメント、有り難うございました。

現在コメントは受け付けていません。